ア行
ISI (ISI) Inter-Services Intelligence
パキスタンの諜報機関。バングラデシュで北東インドの民族ゲリラに訓練を提供しているとインドは主張するがパキスタンは否定している。
アジア開発銀行 (ADB) Asian Development Bank
アジアの経済発展を目的とする国際金融機関。CHTでの道路建設、大規模植林、プランテーションなどに融資したことが批判されてきた。日本が資金の多くを拠出している。
アジア先住民族同盟 (AIPP) Asia Indigenous Peoples Pact
アジア先住民族団体の連合組織。生物多様性や気候変動などに関して国連で提言を行い、先住民族同士の交流や研修にも取り組む。本部はタイ国チェンマイ市。
URL
:http://www.aippnet.org/
アワミ連盟 Awami League
バングラデシュの現政権党。独立運動の母体となったバングラデシュ2大政党のひとつ。党首は初代首相ムジブル・ラーマンの娘、シェイク・ハシナ氏。民族主義、民主主義、政教分離、社会主義を理念とする。1997年にPCJSSと和平協定を結んだ。1972~75年、1996-2001、2009年~にに政権を掌握。
アンサル Ansar
政府公認のベンガル人入植者の民兵組織
国際先住民族問題作業グループ (IWGIA) International Working Group for Indigenous Affairs
デンマークを本拠とする国際NGO。CHT委員会の国際事務局も勤める。世界の先住民族の近況を伝えるIndigenous Worldという本を毎年出している。
URL:
http://www.iwgia.org/
NSI (NSI) National Security Intelligence
バングラデシュの諜報機関のひとつ。
カ行
カース地 Khas land
「未利用の国有地」。しかし、CHTでは焼畑休閑地など、先住民族によって慣習的に管理・利用されている土地を多く含む。こうした土地に関する見方の違いも争いの火種となっている。
カグラチョリ県 Khagrachari District
チッタゴン丘陵3県の北に位置し、インド・トリプラ州と接する。主要河川はチェンギ川、カサロン川、マイニ川。チャクマ民族、トリプラ民族が多く住む。内戦時代は、特に激戦地で虐殺が繰り返され、多くの難民がトリプラ州に逃げた。
カグラプール女性福祉組合 (KMKS) Khagrapur Mahila Kalyan Samiti
カグラチョリ町を本拠とし、ドゥルバルに加盟するジュマ女性団体。代表は2007年に来日したシェファリカ・トリプラさん。ジュマ・ネットでは、KMKSによるレイプ被害者支援のパイロット事業を支援している。
カプタイ・ダム Kaptai Dam
米国国際開発庁(USAID)の資金援助で1962年に建設を完了した巨大な水力発電ダム。CHTの優良な農地の4割を含む655平方キロを水没させ、10万人を立ち退かせた。うち4万人がインドに難民化し、無国籍のまま今日に至る。CHT紛争の火種のひとつ。
カルバリ Karbari
村の長。村内で土地の管理、徴税や争議の裁定を行う。
カレダ・ジア Khaleda Zia
現BNP党首。91~96年、2001~2006年に首相を歴任。故ジアウル・ラーマン大統領の妻。
丘陵学生評議会 (PCP) Pahari Chhatra Parishad
90年代のバングラデシュの民主化を契機に活動を開始したジュマ民族の学生運動。デモ、集会、抗議文提出など合法的な手段で問題をアピールした。今は和平協定賛成派と反対派に分裂している。
丘陵県評議会 (HDC) Hill District Councils
委員の2/3を先住民族とする公選の地方自治機関。1989年に導入された。和平協定で、土地管理、教育、農業、警察など33分野68業務の幅広い行政権を与えられることになっているが、多くは委譲されておらず、長年選挙も行われていない。
丘陵女性連盟 (HWF) Hill Women's Federation
90年のバングラデシュの民主化を契機に活動を開始したジュマ女性団体。丘陵学生評議会と共にデモ、集会、抗議文提出などを行う。今は和平協定賛成派と反対派に分裂している。
丘陵人民評議会 (PGP) Pahari Gana Parishad
90年代のバングラデシュの民主化を契機に活動を開始したジュマ社会人からなる運動団体。UPDFの母体のひとつとなったが近年は活動していない。
丘陵僧侶協会 Parbattya Bhikkhu Sangha
チッタゴン丘陵の僧侶たちの団体のひとつ。PBM院長スマナランカール師が以前に代表を務めた。僧侶による平和行進など社会活動も行う。
丘陵ブッダ伝道会 (PBM) Parbattya Bouddha Mission
1983年にカグラチョリ町で仏教僧スマナランカール師が開いた先住民族のための寄宿舎学校(寺子屋)。農村開発事業も行う。ジュマ・ネットではPBMを通してマハルチャリ襲撃事件の被害者支援を行った。
グッチョグラム/集団村 Gucchagram
入植者を先住民族ゲリラの攻撃から守るために収用した集団村。
検問所 Checkpost
CHTの幹線道路には、いたるところで兵士が番をする検問所が置かれ、ジュマ活動家や外国人、ジャーナリストの行き来が厳しくチェックされている。
国連開発計画 (UNDP) United Nations Development Program
途上国の開発と援助のための国連総会の補助機関。本部ニューヨーク。ミレニアム開発目標の達成に注力し、『人間開発報告書』を毎年発行している。CHTでは、CHT開発ファシリティーという機関を通して5年間5億円の予算で農村開発プロジェクトを行う。地域評議会とも連携し、各村にパラ(村)開発委員会を結成。「即効ファンド」という小額無償援助を村委員会で決めたプロジェクトに提供している。
コティン・チボル・ダン Kathin Chibor Dan
例年11月に行われる丘陵地帯の仏教徒の祭り。女性たちが夜を徹して綿から糸を紡ぎ、染め、24時間以内に法衣を織り上げて僧侶たちに奉納する。ビサカという女性信者がお釈迦様や弟子たちのために一夜で法衣を織り上げた物語が起源。コティン=困難な、チボル=法衣、ダン=布施(檀)
コルポナ・チャクマ Kalpana Chakma
丘陵女性連盟(HWF)元事務局長(Organizing Secretary)。1996年6月11~12日深夜に兄弟2人と自宅から私服を着た軍人に連行された。兄弟は銃撃を受けながら逃亡したが、コルポナさんは失踪し、帰らぬ人となった。国内外の圧力により政府は真相究明委員会を設けたが、その報告書をいまだに公表していない。HWFでは、現在も、真相究明と犯人の処罰を求めるキャンペーンを続けている。
サ行
サークル首長 Circle Chief
1900年CHTマニュアルで、先住民族の慣習法に基づく行政権(土地管理、徴税、永住者の認定など)と司法権(先住民族同士の民事・家庭法など)を与えられた伝統首長。ラジャ(王)とも呼ばれる。チャクマ首長、モン首長、ボモン首長の3人がそれぞれ管轄する地域を「サークル」と呼ぶ。モン首長、ボモン首長はマルマ民族。首長の下にはモウザ長の「ヘッドマン」、村の長「カルバリ」が居て、徴税や争議の裁定を行う。
サジェク襲撃事件 Sajek Incident
2008年4月20日夜、インド国境に近いランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンでジュマ住民の家屋が少なくとも77軒、キリスト教会と2つの学校、そしてベンガル人入植者がジュマの利用地に許可なく建てた小屋数十軒が放火された事件。ジュマ・ネットでは、住居再建用のトタンなどを配布する救援事業を行った。
サバイバル・インターナショナル Survival International
イギリスを本拠とする先住民族支援国際NGO。長年CHT問題も取り上げる。日本にも支部を置いている
URL
:http://www.asahi-net.or.jp/~VI6K-MRMT/survival.htm
ジアウル・ラーマン Ziaur Rahman
1975年ムジブル・ラーマン大統領暗殺・クーデター後、反クーデターで当時陸軍参謀総長だったジアウル・ラーマン氏が実権を握り、78年6月に大統領に就任して民生への移行を表明、79年選挙で彼が結成したバングラデシュ民族主義党(BNP)が大勝した。しかし、81年の軍クーデターで暗殺された。現BNP党首カレダ・ジア氏の夫。
CHT委員会 (CHTC) Chittagong Hill Tracts Commission
80年代後半に欧州で設立された人権団体。1990年の現地訪問を機に"Life is Not Ours"と題する画期的な報告書と4回のアップデートを発表し、世界にチッタゴン丘陵の問題を知らせた。一時停滞していたが、2008年夏にベンガル人委員も入れて再結成され、現地調査と提言活動を行っている。ジュマ・ネットも事務局の一翼を担っている。
URL:http://chtcommission.org/
第24歩兵師団長 (GOC) General Officer Commanding
チッタゴン管区の陸軍最高司令官。昔はCHT開発局の長を務めた。今でも高等教育機関での民族枠の適用を承認する権限など、地方行政に強い影響力を持つ。
シェイク・ハシナ Sheikh Hasina
現バングラデシュ首相。アワミ連盟党首。建国の父、故ムジブル・ラーマン首相の娘。ムジブル・ラーマン首相一家虐殺の際、海外留学していたため生き残った。91年6月総選挙でアワミ連盟を勝利に導き、2001年まで首相を務めた。1997年12月2日にPCJSSと和平協定を結んだ。2008年12月の総選挙で大勝し、2009年1月に新アワミ連盟が発足した。
シャードナ・ティラ Sadhana Tila
カグラチョリ県ディギナラ郡の山間部にある仏教瞑想センター。2006年ごろから軍・入植者による土地収奪の試みに住民が執拗に抵抗し続けている。
ジャマート・エ・イスラミ党 Jamaat-I-Islami Party
イスラム原理主義政党。2001~2006年にBNP率いる連立政権に参画した。
シャンティグラム Shantigram
内戦時代にゲリラへの支援を断ち切るためにチャクマ民族を強制収用した集団村
シャンティ・バヒニ (SB) Shanti Bahini
「平和軍」=PCJSSの武装部門
ジュマ Jumma
焼畑文化を持つチッタゴン丘陵の全ての先住民族の総称。PCJSSがジュマという新しいアイデンティティーを提唱した。正しくは「ジュンモ」と発音。
ジュム Jum
CHTの言葉で「焼畑農業」を意味する
ショントゥ・ラルマ Santu Larma
PCJSS党首、地域評議会議長(暫定)。PCJSS創設者M.N.ラルマの弟で、同氏が1983年に暗殺された後に党首となった。1997年にハシナ首相と和平協定に調印した。
1900年CHTマニュアル 1900 CHT Manual
別名「1900年CHT条例(1900 CHT Regulations)」。ベンガル人の土地の売買や居住を厳しく制限し、民族首長の司法や自治の権限などを明確にした法律。先住民族に有利な規定の多くが適用されなくなったが、現在も法律として有効性が認められている。ジュマ民族の自治権要求の根拠のひとつ。
村落防衛隊 (VDP) Village Defense Parties
政府公認の入植者民兵組織のひとつ
タ行
タスクフォース Taskforce
CHT和平協定に従い、難民と国内避難民の再定住・生活復興について調整する機関として1998年に設立された。入植者も国内避難民として支援対象とするかどうかで政府とジュマ民族間で意見が対立し、こう着状態が続いてきた。
地域評議会 (RC) Regional Council
CHT和平協定に従い、CHT3県の一般行政・法秩序・開発・県評議会を「監督・調整」する自治機関として1998年に設立。先住民族を委員の2/3とする。しかし、権限がほとんど委譲されていない。3県評議会の委員から互選されることになっているが、県評議会選挙が実施されていないため、PCJSSメンバーを中心とする「暫定地域評議会」として運営されている。
チッタゴン丘陵開発局/委員会 (CHTDB) CHT Development Board
1976年に作られたCHT専門の開発機関。アジア開発銀行などの資金で道路やプランテーションを整備してきた。内戦期は、第24歩兵師団長(GOC)が議長を務めたが、和平協定後はジュマ民族(国会議員など)が議長に就任することになっている。
チッタゴン丘陵人民連帯協会 (PCJSS) Parbatya Chattagram Jana Samhati Samiti
CHTの先住民族政党。1975年から自治要求を掲げて政府に武力で抵抗し、1997年にCHT和平協定を結んで武装解除した。13民族を結束させる「ジュマ民族」という概念を作った。
チッタゴン丘陵担当省 (CHTAM) CHT Affairs Ministry
CHT和平協定に従い、CHTの行政全般を管轄する中央政府機関として1998年に新設された。先住民族を大臣とすることになっている。
チッタゴン丘陵和平協定 CHT Peace Accord
1997年12月2日にPCJSSと政府間で結ばれ、内戦を終結させた協定。難民の安全な帰還、土地の返還、軍の撤退、先住民族を優先した自治体制などを条件にゲリラが投降した。
DGFI (DGFI) Directorate General of Forces Intelligence
バングラデシュの諜報機関のひとつ。
デバシシ・ロイ Devasish Roy
現チャクマ民族首長(ラジャ)。2007~2008年暫定政権で政府顧問(閣僚)を勤めた。弁護士資格を持ち、先住民族権利宣言の文案作成に関わるなど、国連でも活躍している。
統一人民民主戦線 (UPDF) United People's Democratic Front
CHT和平協定を不服とし、「完全自治」を標榜して1998年に結成されたCHT先住民族政党。丘陵学生評議会(PCP)、丘陵人民評議会(PGP)、丘陵女性連盟(HWF)の協定反対派が母体となった。
ドゥルバル Doorbar
1995年世界女性会議を契機として結成されたバングラデシュの女性団体のネットワーク組織。全国550団体が加盟。女性に対する暴力の撤廃を目的に活動している。CHTにも41の加盟団体がある。2006年4月のマイシュチョリ事件の直後、全国64県で先住民族女性への抑圧を非難するデモを行った。ジュマ・ネットでは、ドゥルバルを通してレイプ被害者支援、女性ネットワーク支援を行っている。
土地委員会 Land Commission
CHT和平協定に従い、土地問題を解決するために作られた特別法廷。退官した判事を委員長とし、民族首長、地域評議会議長、県評議会議長、県知事を委員とする。CHTの既存の慣習に則って土地争議を裁決する最終決定権を持つ。実際には、委員長が頻繁に交代し、予算やスタッフが不足し、まったく機能して来なかった。
ドチュワニ Dochuwani
チッタゴン丘陵の伝統的な米焼酎。特殊なかまどで2回(ド)蒸留(チュワニ)して作る。
ハ行
バングラデシュ国境警備軍 (BDR) Bangladesh Rifles
国境の警備を専門とする軍事機関。チッタゴン丘陵に多数展開している。2009年1月にBDR幹部の虐殺を含む謀反で大騒動となった。
バングラデシュ民族主義党 (BNP) Bangladesh Nationalist Party
バングラデシュ二大政党のひとつ。党首は故ジアウル・ラーマン大統領の妻、カレダ・ジア氏。保守主義、反共産主義、民族主義の色彩が強く、2001~2006年にイスラム原理主義政党ジャマート・エ・イスラミ党などと連立政権を組んだ。2008年総選挙で大敗した。
バンドルバン県 Bandarban District
チッタゴン丘陵最南端の県でビルマのチン州・アラカン州と接する。マルマ人のほか、ムロー、ボムなど少数派の先住民族が多く住む。
ピノン・カーディー Pinon Khadi
チャクマ女性の伝統衣装。赤と黒を基調とした美しい手織物。ピノンは巻きスカート、カーディーはショール。
平等権運動 (SOA) Sama Odhikar Andolan
チッタゴン丘陵のベンガル人入植者の団体。和平協定のマイノリティー優遇策を逆差別として批判する。汚職で服役中の元国会議員(BNP)ワドゥッド・ブイヤン氏をリーダーとし、特にBNP政権下では、ジュマを標的とする襲撃事件や土地収奪に関わったとされる。
フセイン・モハメド・エルシャド Hossain Mohammed Ershad
81年ジアウル・ラーマン首相暗殺後、82年に無血クーデターで当時の陸軍参謀総長だったエルシャド氏が全権を握り、翌年に大統領に就任し、軍事政権を敷いた。1990年の民主化運動で退陣させられた。
ブッダ・シシュ・ゴル Bouddha Shishu Ghar
カグラチョリ県マイシュチョリ地区にある仏教系寄宿舎学校(寺子屋)。院長は仏教僧スマナ師。入植者に境内のほとんどを占拠され、2006年4月のマイシュチョリ襲撃事件で建物を壊された。
プリティ派 Priti Faction
Priti Kumar Chakma氏が率いたPCJSSの一派。社会主義国家を目指す「長い闘争」を標榜するラルマ派と異なり、インドの介入による「早い解決」を望んだ。1983年にPCJSS初代党首、MNラルマ氏を暗殺し、ラルマ派と戦ったが敗北し、85年に幹部はインドに逃れ、ゲリラの多くはエルシャド大統領の恩赦を受け入れて投降した。
プロシット・ビカーシュ・キシャ Prasit Bikash Khisha
UPDF党首。元は丘陵人民評議会(PGP)リーダー
ヘッドマン Headman
数ヶ村を含むモウザという行政単位で、土地管理や徴税、争議裁定を行う先住民族リーダー。
ベンガル人入植者 Bengali Settlers
1979~1984年にかけて政府は、反乱鎮圧の手段として約40万人の貧しいベンガル人に農地や食料配布を約束してチッタゴン丘陵に計画的に入植させた。多くは約束された土地が得られず、駐屯地と隣接した集団村で配給に頼る暮らしを強いられてきた。当時から今日まで軍を後ろ盾として入植者がジュマ民族を襲撃し、土地を収奪する事件が相次いでいる。
ボイ・サ・ビ Boi-sa-bi
チッタゴン丘陵の先住民族のお正月祭り。ベンガル暦ボイシャーク月一日(4月15日ごろ)。トリプラ語でボイシューク、マルマ語でサングライ、チャクマ語でビジュと呼ばるのを約めてボイ・サ・ビと呼ぶようになった。華やかな儀式が行われ、パゾンという縁起の良いご馳走や焼酎(ドチュワニ)を振舞う。タイやビルマの水掛祭りのCHT版。
保存林 Reserve Forest
バングラデシュ政府は近年、森林資源の確保のために、保存林の指定面積を広げてきたが、紛争で国内避難民となったジュマ民族も多く住んでおり、焼畑など利用が厳しく規制されることで苦境に立たされている。
ボノ・バンテ師 Bono Bhante
チッタゴン丘陵のもっとも有名な仏教僧侶。密林で修行して悟りを開き、阿羅漢(解脱者)になったとされる。ランガマティのラージ・ボノ・ビハール寺管長。
ボログラム Borogram
内戦時代にゲリラへの支援を断ち切るためにマルマ・トリプラ民族を強制収用した集団村
マ行
マイシュチョリ襲撃事件 Maischari Incident
2006年4月3日にカグラチョリ県モハルチョリ郡マイシュチョリでベンガル人入植者がジュマの住む3つの村を襲撃し、マルマ女性2人をレイプし、約30人に重軽傷を負わせ、約100戸の住居を略奪して家財を破壊した事件。
マハルチャリ襲撃事件 Mahalchari Incident
2003年8月26日にカグラチョリ県マハルチャリ郡で、入植者がジュマ民族十数ヶ村を襲い約400家屋に放火した。2人が殺害され、10人の女性がレイプされ、4つの仏教寺院が放火もしくは破壊され、多数の負傷者を出した。ジュマネットでは、耕運機やポンプなど農業資材の提供、機織プロジェクトなど復興事業を行った。
モノゴル Moanoghar
1974年にランガマティ町で設立されたCHT最大の仏教系寄宿舎学校(寺子屋)。ジュマ民族の未来を担う若いリーダーを多く輩出してきた。
ヤ行
焼畑農業 Shifting Cultivation
ジュマ民族の伝統農法。森を切り開いて乾燥させ、火入れをして、棒で土に穴を開けて多くの種を混ぜて作付けする。収穫後は10~20年ほど休閑させた後に再び利用する。土地を劣化させない工夫がほどこされているが、休閑サイクルが短くなると肥沃度が落ちる。
有権者名簿 voter lists
和平協定では、チッタゴン丘陵の先住民族および同地域で合法的に土地を有し、定住するベンガル人永住者の名前だけを有権者名簿に記載することになっているが守られず、選挙でジュマ民族に不利な結果を生んできた。この問題が争点となり、県評議会の選挙が長年行われていないことが自治機構の形骸化の一因となっている。
ラ行
ランガマティ県 Rangamati District
チッタゴン丘陵の中央に位置し、インドのトリプラ州・ミゾラム州、ビルマのチン州と接する。カプタイ湖畔のランガマティ町は、チャクマ王宮や地域評議会があり、観光地として人気がある。チャクマ、マルマなどが多い。
陸軍駐留地 Army Camp
長野県とほぼ同面積のチッタゴン丘陵には500箇所以上の仮設の陸軍駐留地があると言われている。和平協定では、そのすべてを撤去し、兵士を6つの基地に引き上げることになっているが、ほとんど実施されていない。
RAW (RAW) Research and Analysis Wing
インドの諜報機関。バングラデシュ独立戦争の時はベンガル義勇兵を支援したが、CHT内戦ではPCJSSのジュマ民族ゲリラをサポートした。
ロガン村大虐殺 Logang Massacre
1992年4月10日にカグラチョリ県パンチョリ郡で起こったCHT紛争最大の虐殺事件。ジュマ住民数百人が殺され、700軒以上の住居が放火され、大量の難民がインド・トリプラ州に流出した。
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