CHT和平協定

■ジュマの人々にとって和平協定の意義とは
 1997年12月、バングラデシュ政府に武力的な抵抗運動を続けたジュマ先住民族リーダーとバングラデシュ政府の間で、和平協定が結ばれました。これにより20年近く続いた紛争に終止符が打たれたのです。自分たちの生活と文化を守るために多くの血を流してきたジュマ先住民族にとって、非常に大きな転換期でした。また世界の関係者もこの和平協定の締結を賞賛しました。

■和平協定の中身と実態
 国際的に関心が低く、2者間で締結された多くの和平協定は、内容的にも妥協が目立つだけでなく、順調に実施されないことが多いと言われています。それでは、チッタゴン丘陵の和平協定はどうだったのでしょうか。
 今回、和平協定の交渉と締結に中心的にかかわったのは、抵抗武装グループのジュマ民族政党PCJSSでした。彼らは、分離独立ではなくバングラデシュ国内での高度なジュマ独自の自治権を求め、以下のような要求を掲げ、歴代のバングラデシュ政権と交渉してきました。

  1. 憲法での先住民族の権利の認定
  2. CHT域内に関する法律を制定できる州議会
  3. 内戦時代に政府主導で移住してきた入植者の平野部への引き上げ
  4. 国境警備軍(BDR)を除く政府軍の撤退

 交渉の結果、PCJSSが掲げた要求は直接的には受け入れられませんでしたが、

  1. 武装党員の非武装化と再就職の保障
  2. インド側に避難していた難民の帰還・生活再建
  3. 国内避難民の生活再建
  4. 土地問題の解決
  5. ジュマ独自の自治のための新しい制度
  6. そして6つの基地への陸軍の引き上げ

など、平和な暮らしを取り戻す多くの画期的な措置が盛り込まれていました。
しかし、和平協定には妥協と思われる点もいくつかが含まれていました。例えば

  1. 政策的に連れてこられ、対立の根源的な原因となっているベンガル人入植者の再定住課題が何も触れられていないこと
  2. ジュマを先住民族として憲法で認知することが謳われていないこと
  3. すべての対応策には、日程の締め切りとモニタリングをする機関が明記されていないこと

こうした欠点に対して不満をもつジュマの人々の一部は、「完全な自治回復」をスローガンに挙げて、新たな政党を立ち上げるグループもありました。

■実施されない和平協定
 残念ながら、現在も和平協定は十分実施されていません。終了したのは、先住民族武装グループの非武装化と再就職の斡旋、インド側にいた難民の帰還と生活再建については、ほぼ終了したと言ってもいいと思います。しかし、他の協定の中にあった事項はほとんど実施されずに現在に至っています。抵抗力を失った先住民族側は、日常的に被る強引な土地収奪や暴力事件に何も抵抗できずにいます。またバングラデシュ政府は、この状態を見てみぬふりをしています。こうした事態を一日でも早く避けるためには、和平協定の完全実施が非常に重要になっているのです。