CHT和平協定の実施状況

(関連資料)
PDFiconpeaceaccordlist1 CHT和平協定の実施状況の一覧表(2006年末作成)
PDFiconpeaceaccordlist2 PCJSSのCHT和平協定、修正要求5カ条(2006年末作成)

■実施されない和平協定
 和平協定が調印され、インド・トリプラ州から難民が全員帰国し、PCJSSの元ゲリラも武器を捨てて普通の生活に戻り、CHT省や地域評議会という新しい自治機関は設立されました。しかし、約11年経った現在も、平和な暮らしを取り戻す上で重要な内容の多くは実施されず、治安の悪さを口実に軍隊が居座り続けています。また、ジュマ民族運動が和平協定賛成派(PCJSS)と反対派(UPDF)に別れ、内部抗争を繰り返してきたことも、陸軍が弾圧を続ける格好の口実を与えてしまっています。

■引き伸ばされる和平協定
 1996~2001 年に政権を握り、和平協定を結んだアワミ連盟は和平協定推進と口では唱えていましたが、関連法案に和平協定の矛盾する条項をわざと入れるなど、引き伸ばし工作が目立ち、重要な項目の実施には消極的でした。
 2001年~2006年のBNP政権はベンガル民族主義・イスラム原理主義の色彩が強く、和平協定は違憲なものと決め付け、できる限り実施を妨害することに終始しました。2007年1月~2008年12月の選挙管理内閣は、結果的に土地収奪を野放しにし、ジュマ政治指導者の弾圧を続ける結果となりました。

では、どのような実施状況なのか簡単に見ていきたいと思います。

1)自治制度:
 県評議会には約束された権限が一つも委譲されず、県行政と軍が旧態依然としてベンガル人を優遇する政策を進めています。ベンガル人入植者を除く永住者の有権者名簿が作られないため、県評議会選挙が一度も実施されず、政府が指名したジュマ評議員が暫定的に業務をしているに過ぎません。行政を「監督・調整」すべき地域評議会は、県評議会選挙が未実施のためPCJSSメンバーによる暫定的な運営が行なわれていますが、行政や県評議会から無視され「監督・調整」機能がほとんど果たせずにいます。

2)土地問題:
 3万件以上の土地争議が提起されたにもかかわらず、一つも審理できず活動が完全に停止しています。十分なスタッフや予算も配分されず、委員の招集もできずきました。県評議会も土地譲渡に関する許認可権をもち、政府による土地収用に関しても承認を求められるはずでしたが、この権限を与えられずにいます。土地台帳調査も実施されず、駐屯地の跡地やカプタイ湖畔の土地、未利用のゴム園もジュマ民族に提供されていません。また、造林や森林保護の名目で保存林の面積が拡張され、森に住んでいた先住民族が大勢、締め出されているのが現実です。

3)非軍事化:
 政府は丘陵3県にあった500ヵ所近い仮設駐屯地のうち、約200箇所を引き上げたと主張していますが、PCJSS側で確認した数は31箇所に過ぎません。逆に、新たな駐屯地も各地で建設されいます。特にバンドルバンでは2007年春に射撃訓練所の拡張のためのムロー民族が数百世帯、強制退去させられるなど、軍による土地収奪が続いています。軍兵士による仏教寺院など宗教施設への冒涜行為も数多く報告されています。

4a)難民:
 1998 年2月にはトリプラ州から12,222世帯64609人のジュマ難民が帰還し、その大多数は、食糧配給、牡牛か乳牛を購入する資金(ただし890世帯は未収)、ローン返済免除(ただし642人は免除されず)トタン、建築資材費3000タカ、住居・農業資金5000タカなどを約束どおりに支給されました。しかし、出身地の40の村が入植者に占拠されており、少なくても約3055世帯が元の土地に戻れずにいます。また、土地を失った総数は9780世帯に上るとされ、6つの学校、5つの市場、7つの仏教・ヒンドゥー教寺院も占拠されたままです。

4b)国内避難民:
 国境を越えて逃げられなかったジュマ国内避難民は、政府タスクフォースが支援策を施すことになっていますが、食糧配給は受けることができず、政府主導で元の地域に戻す取り組みも行われなかったため、帰還難民と比べて冷遇されました。しかも、タスクフォースでは、政府側がジュマ90,208世帯のほかベンガル人入植者38,156世帯も国内避難民として生活再建を図るべきだと主張し続けています。ジュマ国内避難民はほとんど誰からも目を向けられず放置された状態となっているのが実態です。

 5)PCJSS元武装党員の復員:
 約束された恩赦・訴追撤回・釈放は一定実施されました。PCJSSはその党員に対する999件の訴訟のうち839件の一覧を政府に提出し、2004年夏までに720件が撤回されています。投獄中のPCJSS党員は、21名釈放されましたが、全員ではありませんでした。元公務員PCJSS党員の職場復帰が約束されていた78人中64人しか復職できませんでした。一方、671人が警察官として雇われたましがCHT外の平野部に配属され、現在もCHT警察は、ほぼ100%ベンガル人で、中立的な法執行への障害となっています。

■今後の展望
 CHT 和平協定は、実施を監視する第三者機関が設けられず、実施スケジュールも明記されず、憲法ではなく廃止・改定されやすい法律で有効性を与えられているため、当初から実施における強制力が弱いことは分かっていました。和平協定を不服として批判してきたUPDFと、調印したPCJSSの対立は今日まで続いており、ジュマを弾圧し軍を常駐させる口実を与えてしまっています。ベンガル人入植者に土地は奪われ続けており、このままの状態がまだ続けば、先住民族居住地域としての独自性を保つことは非常に難しい状況です。

 しかし、CHT和平協定は、国家が先住民族と結んだ条約として国際社会からも注目され、政府も無闇に廃案にすることはできない公約で、ジュマ運動が権利を実現する足がかりとして、いまだに重要な公約です。チッタゴン丘陵が独自の文化や風土を持った地域として平和に発展することは国益にも適ったことであり、民主的で進歩的な政権が誕生すれば、和平協定を進めることは夢ではないと思われます。