チャクマ族の王様たちと、山岳地帯をゆく 2/2
こんにちは!
現在、大学を休学しチッタゴン丘陵ランガマティにある寄宿舎学校Moanoghar(モノゴール)でボランティアをしている渡部です。
ジュマ・ネットの現地通信員として1年間、子どもたちの様子や現地の出来事をお伝えしています。
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天皇(陛下)の行幸?のようなものに同伴しました。
(チャクマ族は女が働きもの!)
野菜、果物、お米、日用品、洋服・・・
ここまで3日間、道中でわたしたちをぬかして行く、大きなかごをかついだ村人たちは、これらを運んでいたのです。
しかし、ここはやはり、「チッタゴン丘陵地帯」。
それを再認識したのは、おだやかなマーケットに、こうして軍隊がいることです。
ひとりではありません。
このマーケットだけでも、10人くらいが見回っていました。
道中、なんだか近代的できれいで大きな建物だね、と指さしたら、「あれはアーミーだから。」と言われたこともありました。

(少数民族しかいない山奥にベンガル人の軍が銃を持って見回っているのは異様だった)
(のもしゅかーる)
(ある村では1000人ほどの村人が集合。)
(この村のかわいい女の子たち。学校に一度も行ったことがないという女の子が多かった)
(チャクマ民族の伝統的な踊りを披露してくれた女の子。)
ここからは、出会った子どもの写真シリーズを。
これは、お父さんのお手伝いをしているのか、大きなかごに入った野菜と油を運んできた少年たち。なにがおもしろいのか、げらげら笑っていました。
水辺から遠いところに住んでいる家族は水汲みをしてきます。
女の子たちが、あぜ道を通って、遠くからこの釜に水を汲んで運んできます。
汚くなるからやめなさい、ケガすると困るからやめなさい、迷惑をかけないようにしなさい、5時までに帰って来なさい・・・そんなことを言う大人はいませんから、子どもは本当に子どもらしく育つわけです。
(この笑顔!こんな場所が、仲間が、時間が日常に存在する。)
(ジュマの人たちの典型的な竹製の家。20年ほどもつ。)
(二毛作が基本だそう。すべて手作業です。)
「貧困」について考えたことを少し書きます。
家族みんな、誰も飢えてはいない。
食べるものは畑で取れるし、米も野菜もある。
でも、現金収入を得るのが難しい。
年に一度の収穫時に売りに行く時が唯一の現金収入。
病院へかかるには、子どもを学校に行かせるのには、現金収入が必要。
そんな話をよく聞いたし、相談されたし、目の当たりにしました。
「子どもを学校に行かせられないと、このまま子どもも同じように大人になり、同じ仕事(焼畑または稲作)しかできなくて、孫も同じだ。」と。
彼らが言っていたこの課題に対して、なにができるのでしょう。
仕事を作る?・・・簡単なことではありません。
お父さんが出稼ぎに行くしか、定期的な現金収入を得る方法はないのでしょうか。
この場で、村で、なにかできたらいのかもしれないけれど・・・
そのとき、わたしはきちんと返事をすることができませんでした。
(たまに日陰を貸してもらってひとやすみ。)
歩きすぎた全身筋肉痛と、崖ですべって足から出血したのと、正体不明の虫に刺され左足がとても腫れていることと、山の中のトイレ(壁がなくオープン。穴のみ)でお尻も虫に刺されたことと、冬に池での水浴びをしたので風邪をひいたのを除けば元気に帰ってくることができました!
(最終日、日が暮れてから吸った水たばこ。相当肺にきました・・)
本で勉強していても絶対に得られないものを得ました。たくさんの人に出会い、様々なことを知りました。
へばっていたわたしにたくさん親切にしてくれた、村のおばちゃんたちに感謝です。
今回の経験は1つずつゆっくり言葉にしていきたいと思います。
(一晩過ごした村での記念撮影。)