2009/06/23 Tuesdayauthor: 共同代表 トム・エスキルセン

サマンバヤ・アシュラムの想い出 II 

80年代半ば、インド・ビハール州のブッダガヤで、被差別カースト(ダリット)の子供たちのためのガンディー系寄宿舎学校、サマンバヤ・アシュラムに長期滞在した時のことをまた書きたいと思います。アシュラム本部は、お釈迦様が菩提樹の下で瞑想して悟りを開いた場所とされるマハーボーディ(大菩提)寺から歩いて一分の静かな裏路地にあります。門を潜ると、ぼろぼろの紺色のワンピースを着た少女たちが中庭を箒で掃いたり、果樹園からパパイヤの実を運んだりして、楽しそうに働いています。ムサハル(ネズミ喰い)と呼ばれ、大地主の農奴として何世紀も搾取されてきたダリット・コミュニティーの少女たちですが、来客に「ナマステー!」と合掌して元気に挨拶する瞳は、いつも輝いていました。

アシュラムで学ぶ少女たちの中にも、いろんな境遇の子がいたようです。親が養っていくことができず、嘆願して受け入れてもらった子達もいれば、アシュラム卒業生の両親が子供の教育のために進んで託すケースもありました。アシュラムでは、地域で蔓延する幼児結婚の風習を無くすためにも、ちゃんと16~17歳まで勉強を続けるさせるよう家族を説得し、本人たちが望む場合は卒業生同士の見合い結婚のアレンジもしていました。しかし、多くの家族は、娘たちを早く嫁がせて家事や家業を手伝わせる要望が強く、十三、四歳でアシュラムから引き上げて結婚させていました。そのような結婚式の夜は、一晩中、太鼓が鳴り響き、酒に酔った男たちが踊っている姿が見られました。

逆に、家族の理解も得られ、勉強もできる一部の少女たちは、卒業後にアシュラムが経営する村の学校の先生になり、僅かながら給料も得られる場合がありました。ただ、アシュラムは、独自のカリキュラムで教育を行う政府非公認の学校のため、卒業証書は一般の就職には役に立たず、出稼ぎもできない少女たちは村で結婚するしか選択肢はないようでした。何世紀も差別され搾取されてきたコミュニティーの中で、弱いものがさらに弱いものを押さえ込む悪循環を断ち切ることは容易でなく、少女たちが夢見ることのできる未来の展望は広いとは言えませんでした。そのような苛酷な現実が外で待っている少女たちも、アシュラムという安住の地で、互いに助け合い、友情を深める、しばらくの子供らしい時を過ごしているようでした。

そんな中に、他の子達と少し雰囲気の違う、ぽっちゃりして優しい目をした、バイラビーという女の子がいました。彼女は、ほかの子たちにいろいろと面倒を見てもらいながら、あまり大変な掃除や農作業をせず、のんびり過ごしていることが多いようでした。バイラビーは、7~8歳ぐらいの時に、野良犬といっしょにいるところを発見され、アシュラムに保護されました。赤ちゃんの時に捨てられ、野良犬に育てられたのでした。他の少女たちの丁寧な指導で、衣服を着たり、身体や身の回りをきれいにするスキルをかなり身につけていましたが、学び始めた時期が遅すぎたのか、言葉をしゃべることができません。それでも、手や指で合図をしたり、声を出したりして、かなりコミュニケーションをとっていました。彼女の素朴な微笑み、そして彼女を助けたり、おちょくったりして仲良くしている少女たちの姿を忘れることができません。

あれから15年ほど後、日本のお坊さんたちとインド仏跡巡礼に同行する機会があり、アシュラムにも立ち寄ることができました。いつもと変わらない子供たちの姿、だいぶお年を召されたドワルコ院長、白髪が増えたスレシュ先生などと再会でき、胸に熱いものが込み上げました。若い女性の先生たちの中には、あのころ、校庭で、はしゃいでいた少女たちの姿もありました。最初はピンと来なかったようでしたが、だんだん思い出してくれて、互いの消息を聞き、懐かしい話をしました。

「ところで、バイラビーは、どうしているの?」

バイラビーは、数年前に病気で亡くなっていたことを聞かされました。詳しい経緯を聞く時間もなく、一行とホテルに向かわなければなりませんでした。寂しい夜空に無数の星が煌めいていました。