2010/01/15 Fridayauthor: JummaNet事務局

「コルノフリの涙」上映会+タンビール・モカメル監督対談のつどい

2009年10月24日、「コルノフリの涙」上映会+タンビール・モカメル監督対談のつどいを開催しました。

このイベントは、ジュマ・ネットとアジア・リーダーシップ・フェロー・プログラム(国際文化会館・国際交流基金共催事業)、立教大学法学部の主催で開催しました。

当日は115名の参加者、関係者も含めると130名もの大勢の方が参加しました。

【プロフィール】

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Tanvir Mokammel監督

バングラデシュを代表する映画監督、作家。ダッカ大学で英米文学を専攻後、左派系ジャーナリストとして働いたあと、バングラデシュ全土の農民を組織する左派系活動家として活躍。その後、大学時代から関心の高かった映画の世界で本格的な活動に入る。これまで5本の長編映画と11本のドキュメンターリーを作成した。社会性のあるテーマに対する国内外の評価は高く、映画祭での受賞作品も多数。ベンガル民謡バウルの作曲家ラロン・フォキルの生涯を描いた『ラロン』(2004年)、貧しい村に偽りの寺院を作りイスラム聖職者になりきる男を描いた『根のない樹』(2001年)、チッタゴン丘陵地帯の先住民族と入植者との対立を描き、バングラデシュ国内では上映禁止となったドキュメンタリー『コルノフリの涙』(2005年)などは、日本でも上映された。作家としても多彩で、新聞への寄稿のほか、詩、短編小説、文芸批評など数多くの作品を執筆。


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福澤郁文

グラフィックデザイナー、(株)デザインFF代表。

雑誌や本のデザインを中心に、国際協力や開発教育などの編集デザインを多く手がけている。アート系ワークショプのファシリテーター。亜細亜大学で[国際NGO論」、桑沢デザイン研究所で「視覚伝達論」などの講師を努める。バングラデシュの独立戦争(1970年)直後に復興ボランティアとして現地に渡り、帰国後、海外協力の市民活動を立ち上げる。それ以来、約40年にわたり、シャプラニール=市民による海外協力の会をはじめ、開発教育、APEX、ジュマネットなどでNGOの活動を担ってきた。アジアの旅と音楽を楽しみ、特にバウルなど豊潤なベンガル文化に強く魅かれている。


【当日のプログラム】

1部

13:30~ 開場

14:00~ はじめの挨拶、立教大学教授竹中先生より

14:10~ チッタゴン丘陵問題概要 ジュマ・ネット代表下澤

14:15~ 『コルノフリの涙』上映(1時間)

15:15~ 休憩

2部

15:25~ タンヴィール氏と福澤郁文氏との対談

    「『コルノフルの涙』から見えるチッタゴン丘陵の人々、その歴史」
16:40 終了



【対談の一部をご紹介します】

(インタビューは福澤郁文・ジュマネット運営委員)


Q『コルノフリの涙』を製作するきっかけは何だったのでしょうか。

 

 子どもの頃、両親に連れられてチッタゴン丘陵地域(以下CHT)に行ったことがあります。深い森に囲まれ、そこは理想郷のような所でした。美しさに心が魅せられたのです。ところがそこから森が消え、人々が対立し、苦しい状況におかれていると聞き、とても悲しくなりました。もうひとつは、ドイツの作家ギュンター・グラス氏との出会いでした。ダッカ大学で学者や作家、知識人との語らいの場がありました。実はその数日前、CHTにおいて虐殺事件がおこり、多くの人が犠牲になっていました。彼がその事件に触れ、「なぜ事件がおこったのか?」と問い質すと、なかの一人が「あれはバングラデシュからの分離独立を叫ぶテロリストたちの仕業だ」と政府見解と同じ発言をしたのです。ギュンター・グラスの顔色が変わりました。そして、「バングラデシュの独立戦争のとき、パキスタンの有識者たちが、独立を求めたあなた方ベンガル人に対し、同じことを言っていたのですよ」とがっかりした表情で諭したのです。「あなたたちが芸術を追求する人間であれば、もっと深い真実を追究すべきではないですか......」とね。その言葉を聞いたとき、私は映画を撮ろうと決心したのです。

 

Q この映画が上映禁止になった背景にはどんな状況があったのですか。

 

 当時力を持っていた軍部が、国の利益に反するとして政府に働きかけたようです。私たちは裁判に訴えて闘いました。今だに上映禁止令は解かれた訳ではないのですが、上映は続けています。

 

Q ベンガル人文化と、CHTのマイノリティの人々の文化・宗教・生活の違いとはどのようなものがあるのですか。

 

 民主的な制度がしっかりしていない場合、ベンガル人の多数者に対し、少数者が脆弱な立場に置かれてしまう。山間地の住民と平野部の人々には、生産活動、経済活動に大きな違いがある。焼き畑農業と水田耕作も大きな違いですし、経済力にはもっと大きな違いがあります。もうひとつは言葉の問題です。言語は民族のアイデンティティを形成します。そして、イスラム教のベンガル人と精霊信仰や仏教を中心とした山間地域の人々の宗教にも、大きな違いを見出しています。宗教観というものは文化にも大きな違いを生み出すものです。

 

Q そのような文化的摩擦に対し、メディア関係者や映画にも登場するお坊さんたちは、どのようにコミュニケーションをとろうとしているのですか。

 

 つい最近、あるバウルの吟遊詩人から印象的な言葉を聞きました。彼はこう言ったのです。一種類の花だけでは花園は創れない、と。国も同じです。いろいろな文化が共存してこそ、豊かな文化が生まれるのではないでしょうか。ひとつの民族、ひとつの言葉のみになると、文化の多様性が損なわれてしまうのです。

 バングラデシュは小さな国かもしれませんが、幸いにも多様な民族がいます。文化的、政治的、経済的にこの多様な権利を守ってこそ豊かな社会ができるのです。そのことを映画を通して伝えたかったのです。

 

Q すばらしいお話ですね。ところでバウルとはどのようなものですか。お話しください。

 

バウルとは伝統的なベンガルの吟遊詩人です。千年近くの伝統と興味深い哲学をもっています。人を大切にすることは神を崇拝することになるとうたいます。そして、バウルの詩は常に二重に深い意味を持っています。神は自分のすぐ隣に、自分の中にいるのになぜ気づかないのだ、神というのは人の心に宿ると伝えるのです。私はバウルの詩人、ラロン・フォキールの映画を今までに二本撮りました。アジアで初めてノーベル賞を受けたタゴールも、彼に大きな影響を受けたといわれています。普遍的な人間哲学、タゴールの思想「自分の中の知られざる本当の自分」という思想は、ラロンからインスピレーションを与えられたと......。

 

Q バングラデシュではイスラム教を国の宗教と定めています。同じベンガル人として宗教を超えて、どのような精神性をもつことが大切なのでしょうか。

 

 民主主義の基盤が弱い国では、少数者の人権が歪められることがあります。表現の自由を守り、本当のことを伝えられる環境をつくることが大切です。バングラデシュにも三つのマイノリティが存在します。宗教的少数者のヒンドゥ教徒や仏教徒。言語的少数者としてのウルドゥ語のビハーリ族。そして民族的少数者、CHTのチャクマ、マルマなどの少数民族の人たちです。すべての人が平和に暮らし、共存したいと考えています。しかし、そのようなマイノリティに対して、抑圧している最大の力は、右傾化していく政府の政策だったと思います。ジャーナリストや知識人はそのことに大きな責任を負っていると思います。声なき声を伝えていく大きな責任です。ジュマ・ネットのように、人権に基づいた活動をするNGOに期待が寄せられているのです。


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対談の様子