設立/年表

2013年度
5月 国連の先住民族問題常設フォーラム(UNPFII)に参加 共同代表のトム、副代表の木村の2名が、ニューヨークで開催されたUNPFIIに参加した。
6月 ジュマ活動家を日本に招へい バングラデシュ在住のジュマ活動家を日本に招へいし、今後の平和促進に関する戦略会議を実施した。
8月1日 事務局スタッフを増員 新たに事務局スタッフ雇用し、事務局が2名体制となる。
10月5-6日 グローバル・フェスタ参加 グローバル・フェスタの展示・飲食ブースに出展。世界の紛争を考えるワークショップも実施した。
2012年度
5月 国連の先住民族問題常設フォーラム(UNPFII)に参加 ニューヨークで開催されたUNPFIIに、共同代表のトム、運営委員の木村が参加した。
6月30日、7月14日 まなびカフェ「開発、人権、どっちが先?」を開催 シャプラニールと共催で、ネパール、カマイヤの事例から見た「民族対立の中での開発支援の可能性」、「人権を優先する開発支援とは何か」を問う勉強会「まなびカフェ」を開催した。 以降、年に数回の「まなびカフェ」を継続して開催することとなる。
7月21-22日 ICIP-CHT設立会議開催 海外在住のジュマが組織するICIP-CHT(International Council for the Indigenous People of CHT)の設立会議が、タイのチェンマイで開催され、ジュマ・ネットもオブザーバーとして参加した。
7月23日 共同代表トムがダッカ空港で不当に国外外退去を命じられる バングラデシュ、ダッカ国際空港に到着した共同代表トム・エスキルセンが、同国への入国を拒否され、一晩空港警察に身柄を拘束されたあと、翌日の便で同国を強制退去させられた。これを受け、バングラデシュ政府へ理由の説明と入国規制の撤廃を求める書簡を送った。
10月5-6日 グローバル・フェスタ参加 グローバル・フェスタに出展し、飲食ブースにてピタサンドを販売し、物販ブースにて活動紹介を行った。
11月17日 10周年記念シンポジウム・記念パーティを開催 ジュマ・ネット設立10周年事業として、これまでの平和構築の成果と、国連、国家、ODA、市民社会のそれぞれの役割と将来的な協働のあり方を探るシンポジウム「これからの平和構築:「なぜかかわるのか、どうかかわるのか、誰と協働するのか」」を開催した。
2011年度
4月17日 ラムガー襲撃事件発生 カグラチョリ県のラムガー郡で、ベンガル人4名と先住民族ジュマ2名が死亡、約20人が負傷し、仏教寺院を含む両コミュニティーの約100戸の家屋が焼失する大規模な襲撃事件が発生した。 ジュマ・ネットは50万円の緊急支援を行うとともに、在バングラデシュ大使館に要請文を提出した。 また、在日ジュマが抗議デモを行い、要請文を手渡しした。
4月 事務局スタッフの新規雇用 事務局スタッフ1名を雇用した。
5月 国連の先住民族問題常設フォーラム(UNPFII)に参加 共同代表のトム、運営委員の木村の2名が、ニューヨークで開催されたUNPFIIに参加した。この時にCHT問題が大きく取り上げられ、バングラデシュ政府へ以下の勧告がされた。
●和平協定実施のスケジュール発表すること
●CHTからの軍の撤退すること
●CHT内で人権侵害を行っている兵士をPKO派兵させないよう人権審査を強化すること
10月 グローバルフェスタに出展 グローバル・フェスタに出展し、活動紹介およびクラフト販売を行った。
11月 チッタゴン丘陵委員会のCHT訪問 チッタゴン丘陵視察のためバンドルバン市を訪問したが、軍諜報機関の妨害を受け、先住民族との対話予定のキャンセルを余儀なくされた。
1月2日 共同代表トムが現地で不当に地域外退去を命じられる CHTバンドルバン県を訪れていた共同代表のトム・エスキルセンが、同県の軍の諜報機関(DGFI)に不当に同県の退去を命じられた。
2月 事務所移転 台東区東上野の丸幸ビルから同区上野5丁目へ事務所を移転した。
3月 新ブックレット(改訂版)完成 2004年に作成されたブックレットを改訂し、「バングラデシュ、チッタゴン丘陵で何が起こっているか」を発刊した。
2010年度
4月27日 「チッタゴン丘陵和平協定実施を求める世界同時キャンペーン」の報告会を開催 ゲストスピーカーとして、坂口直人衆議院議員を迎え、「チッタゴン丘陵和平協定実施を求める世界同時キャンペーン」の報告会を開催した。
10月 グローバル・フェスタに出展 グローバル・フェスタに出展し、活動紹介およびクラフト販売を行った。
1月 事務局スタッフの退職 事務局スタッフが退職し、次のスタッフ雇用まで運営委員が事務局業務を担う。
2009年度
4月 アースデイ東京に出展 アースデイ東京(代々木公園)に出展し、活動紹介およびクラフト販売を行った。
8月11-18日 第三回CHT委員会の現地訪問 日本から、委員の上村英明氏が参加。副代表のトム・エスキルセンも同行した。
9月10-20日 スルタナ・カマル氏とランライ・ムロー氏を日本に招聘し、シンポジウムを開催 バングラデシュの人権活動家:スルタナ・カマル氏と軍からの不当逮捕・拘束から解放されたランライ・ムロー氏を招聘し、シンポジウムでは各パネリストのこれまでの活動の事例から問題提起・議論を行った。
10月3-4日 グローバル・フェスタに出展 グローバル・フェスタに出展し、活動紹介およびクラフト販売を行った。
10月24日 タンヴィール・モカメル氏の『コルノフリの涙』上映会+対談を開催 バングラデシュのドキュメンタリー映画監督:タンヴィール・モカメル氏の来日に合わせ、『コルノフリの涙』上映会と対談を行った。
3月21日 バングラデシュ首相に「チッタゴン丘陵和平協定の完全実施を求める要請書」提出 坂口直人・田中美絵子両衆議院議員、駐バ日本大使同席の下、バングラデシュのシェイク・ハシナ首相に「チッタゴン丘陵和平協定の完全実施を求める要請書」の手渡した。
3月 事務局スタッフの退職と新規雇用 事務局スタッフ2名が退職し、新たに1名のスタッフを雇用した。
2008年度
4月22日 サジェック襲撃事件 ランガマティ県サジェックで、ベンガル人入植者がジュマの人々を襲い、100軒近い家が放火され、負傷者が出る。ジュマ・ネットはその後100万円近い支援活動をバングラデシュ・アディバシ・フォーラムと共同で展開する。
5月31-6月1日 CHT国際委員会開催 デンマークのコペンハーゲンで開催された第1回CHT国際委員会の設立集会に副代表のトムが出席。
7月1日 事務局スタッフを増員 元バングラデシュ協力隊員が事務局スタッフとなり、事務局が2名体制となる。
7月 販売事業を開始 ジュマ・ネット活動の資金のを得るため、販売事業を開始した。第一弾は、北海道の会員、奥田氏のメロンを販売。その後カボチャ、お米などの販売を手がけていく。
7月4日 先住民族サミットでディピティ氏が発言 札幌および二風谷で開催された先住民族サミットで、在日ジュマ民族のディプティさんが参加し、ジュマとしての発言を行なう。ジュマ・ネットから交通費を一部支援する。
8月6-14日 第1回チッタゴン丘陵委員会、バングラデシュ訪問 チッタゴン丘陵委員会がはじめてバングラデシュを訪問。現地で大きな反響を呼ぶ。ジュマ・ネットからは副代表のトムが参加。
8月7-14日 エスニック・ピース・ツアーを開催 第1回エスニック・ピース・ツアーを8月7日~14日まで開催する。ダッカの国際先住民族の日のイベント、タイガイル県のモドプールのガロのコミュニティを訪問。しかし、参加者は2名だった。
11月6-16日 ドゥルバール・ネットワーク2名を日本に招聘 ドゥルバールネットワークのスタッフである、べッキーさん、アノアラさん2名をチッタゴン丘陵から日本に招聘し、関東、大阪を回る。
12月 ランライ、ボクールの釈放のための署名キャンペーンを展開 ランライとボクールの釈放のための署名キャンペーンを展開する。
1月31日 3ヵ年計画を話し合う これまでの事業を見直し、3ヵ年計画の話し合いを行なう。その後、2月21日で2回目、3月の営委員会で議論を継続し、3ヵ年計画の骨子ができる。
2月16日-22日 第2回チッタゴン丘陵委員会が、バングラデシュ訪問 第2回チッタゴン丘陵委員会のバングラデシュ訪問が行なわれる。メンバーの上村氏も参加。事務局スタッフも最初の3日間参加する。帰国後、3月18日に外務省、3月31日にJICA、4月10日には一般向けに報告会を開催した。
2月27日 第2回エスニック・ピース・ツアーを中止 第2回エスニック・ピース・ツアーが、BDRの反乱騒動で、中止になった。
2007年度
5月26日-6月11日 レイプ被害者の活動を検討 副代表トムと事務局スタッフが、チッタゴン丘陵を訪問調査。レイプ被害者支援をしている、ドゥルバール・ネットワークのシェファリカ氏と会い、協同事業を検討する。
6月24日 チッタゴン丘陵委員会の結成にかかわる 現地出張で、オランダのジェネカ氏がチッタゴン丘陵委員会を再結成する動きがあることを知る。ジュマ・ネットも、できるだけ手伝わせてほしいことを伝え、協働しながら進める方向で話が進む。
8月26日 フルバリ事件 フルバリ石炭採掘事業に反対するデモで3名が死亡する事件が2006年8月26日に発生。ジュマ・ネットも、JACSES(「環境・持続社会」研究センター)と一緒にアジア開発銀行の姿勢を問う、キャンペーンを展開。
10月 エクパタ・キャンペーン 日本市民がジュマ・ネットの運動に参加できるキャンペーンが必要ということで、「エクパタ(1枚のハガキ)・キャンペーンを開始する。目標数は1,000のところ、最終的に900枚近い署名ハガキが集まる。
10月28-11月6日 ドゥルバルネットワークのシェファリカ、ナシマ氏ら来日 女性の人権活動をしているドゥルバル・ネットワークのカグラチャリ・グループのシェファリカ・トリプラ氏らを日本に招聘。東京、千葉、神奈川、大阪で講演活動をした。また、この来日をきっかけに、1,000人の署名を集める「エクパタキャンペーン」を開始した。最終的に900枚近い署名ハガキが集まり、在日バングラデシュ大使館に手渡す。
11月 チッタゴン丘陵白書完成 2003年から2006年までのジュマ・ネットの集めた情報を集約した「チッタゴン丘陵白書」が完成。
11月23日~12月2日 チッタゴン丘陵政治状況が悪化 下澤が、チッタゴン丘陵を訪問。チッタゴン丘陵委員会関連の関係者と会う。その後選挙管理内閣体制に移行し、チッタゴン丘陵の政治状況が悪化。活動家は常に監視される状況になり、平和構築活動が停滞する。
12月3日 不当逮捕、和平協定実施の要請文を提出 サバイバル・インターナショナルの呼びかけに応えて、在日バングラデシュ大使館に、ジュマ・ピープルズ・ネットワークと一緒に、不当逮捕、和平協定の実施を訴える要請文を提出した。
2006年度
4月3日 マイシュチュリ事件 カグリラチャリ県マイシュチュリでベンガル人入植者によるジュマ・コミュニティへの襲撃事件が発生し、30名以上が重軽傷を負う。ジュマ・ネットは青木遊介氏を派遣し、取材を行なう。その後2名のレイプ被害女性には、支援を継続した。
4月16日 第5回ボイサビを開催 第5回ボイサビを開催。その少し前にマイシュチュリ事件が起きた事により開催を控えるべきという議論があったが、最終的に開催することになる。参加者約80名
7月23日 「コルナフリの涙」上映 ダンビル・モカメルのドキュメンタリー映画「コルナフリの涙」の上演・販売権を購入し、日本語テロップを入れ日本で始めて上映会を行う。その後数回の上映会を開催、DVDの販売を継続している。
8月18-30日 スマナランカ氏第3回来日 スマランカル氏が来日し、主に大阪、京都、広島、岡山などで講演する。その後世界宗教者平和会議に出席。また襲撃事件の被害者であるクキとニムニの2人の高校生が来日し、東京で日本の高校生や大学生と交流をした。
9月31日-10月1日 グローバル・フェスタに出展 初めてグローバル・フェスタ2006に出展。ピタ・パンに、ジュマ料理のゴンドをに包み込んだ料理を考案し、販売。予想以上に収入につながる。
1月1日 第3回平和ミッションの中止 第3回平和ミッションを2007年2月3日~10日の予定で企画したが、選挙管理内閣による統治が不安定であるため、今回は実施を見送った。
2月2日 D・チャクマ氏、難民認定される ジュマの活動家で在日のD・チャクマ氏、難民不認定処分取り消し裁判に勝訴。その後、法務省は8月15日に難民認定を決定した。9月7日には、難民認定を祝う盛大な会を開催した。
3月9-10日 合宿を開催 ジュマ・ネット5年目を向けるにあたり、関係者がスキャットセミナールームで合宿を実施した。「現地市民社会のネットワーク化」「駐在員の派遣」「組織規模の拡大」「複数国支援の可能性」などが検討された。
2005年度
7月1日 平和学習ワークショップの開発 三菱銀行国際財団の支援が決まり、平和学習ワークショップづくりが始まる。5回ほど他の事例から学ぶ学習会を行い、その後実行委員で参加型でチッタゴン丘陵問題が体験できるワークショップづくりを進めた。
7月12日 カレダ・ジア来日緊急集会 ジュマ・ピープルズ・ネットワーク、ジュマ協力基金などと共催で、バングラデシュ首相のカレダ・ジア来日に際して、緊急集会を開催。13日には「バングラデシュ人民共和国のチッタゴン丘陵問題解決への積極的な関与とODA支援の見直し」の要請文を小泉首相宛で、外務省に手渡す。
8月22-23日 ICCP会議開催 ICCPの会議がバンコクで開催される。委員の増加、中期長期ビジョンの作成、和平協定モニタリング提案、チッタゴン丘陵3県の委員会づくりなどが提案された。
11月19日-28日 スマナランカ氏 第2回来日 ICCPの会議がバンコクで開催される。委員の増加、中期長期ビジョンの作成、和平協定モニタリング提案、チッタゴン丘陵3県の委員会づくりなどが提案された。PBMのスマナランカ氏を招聘し、各地で現地報告会を開催する。この時の動員数は約230人。
2月11日~17日 第2回平和ミッション 8名の日本人が第2回平和ミッションとしてチッタゴン丘陵を訪問し、マハルチャリ被災地や県知事などを訪問。偶然、ガマリダラの土地収奪現場にも立ち会う。また2003年に襲撃され破壊された、レムチュリの仏教寺院がジュマ・ネットの支援により2月には完成し、完成式に立ち会う。
3月 エコ・パーク建設反対活動を支援 エコ・パーク建設反対運動を続けてきたガログループが、ジュマ・ネットの支援でビューティーパーラーで働くガロ女性の実態調査をし、報告書が発刊される。
3月 ヨーロッパの人権NGOを訪問 代表の下澤が、英国、オランダ、デンマークのチッタゴン丘陵問題にかかわりのあるNGO9団体を訪問。ヨーロッパNGOとの連携の必要性、チッタゴン丘陵委員会の再結成の必要性をNGOに強調した。
2004年度
7月1日 ブックレット発刊 ブックレット「今チッタゴン丘陵で何が起こっているか」を発行。
9月1日 ジュマネット通信発刊 ジュマネット通信第1号を発刊。以後年4回発行を続けている。
10月1日 アルバイトを雇用 事務局のアルバイトスタッフが採用され、週3日程度の勤務体制となる。2005年4月には5日体制に、そして2006年にはアルバイトからフルタイムスタッフになる。
11月12日 事務所開設パーティ 事務所開設パーティが新宿で開かれ、50名近くが参加。事務所はJVC(日本国際ボランティアセンター)事務所の5階に。
12月2日 Dさんを救え!緊急行動市民の会 難民申請していたD氏が入管に拘束され、「Dさんを救え!緊急行動市民の会」をチッタゴン・ヒルこども基金、ジュマと共に歩む会、ジュマ・ネットなどが共同で結成し、署名を集める。署名の数は約5000件に。
12月13-15日 ICCP結成 インドのコルカタで開催された「第4回International Workshop on Multi-Ethnic Asia and Formation of Intrnational CHT Committee for Peace」の会議の場で、「チッタゴン丘陵国際委員会」(International CHT Committee for peace=ICCP)設立が呼びかけられ、代表に真実氏、理事として下澤、トムもこの委員になることを求められる。
1月25日 チッタゴン丘陵情報交換会 JICA事務所で、JICA、JBIC、アジア経済研究所の関係者などを招いて、l情報交換会を開催。
2月14-20日 第1回平和ミッション 日本人13名で、第1回平和ミッションを実施。PBMを通して、カグラチャリ県のマハルチャリ被災地を見学。また日本大使館にチッタゴン丘陵の課題を注意喚起し、ODAの5ヵ年計画に支援および和平協定実施を促すことを盛り込んだ要請書を手渡す。これらがきっかけになり、5ヵ年計画の中にチッタゴン丘陵が書き込まれる。
2003年度
4月19日 ブイオチョラ事件が発生 カグラチャリ県ブイオチョラ村でベンガル人入植者によるジュマへの襲撃事件が発生し、ジュマ・ネットは在日バングラデシュ大使館に抗議文を出すともに、PBM(Parbatya Bouddha Mission)を通じて、被害者の支援活動を行う。
7月27日-8月2日 スマナランカ氏第1回目の来日 PBM創設者のスマナランカル氏来日。チッタゴン・ヒルこども基金と共催で、池田香代子氏をゲストに常圓寺でスマナランカル氏の講演会を8月1日に開催。来場者は約80名
8月26日 マハルチャリ事件が発生 カグラチャリ県マハルチャリ郡で大規模なベンガル人入植者によるジュマの人々への襲撃事件が発生。ジュマ・ネットはPBMを通じて被害者支援活動を開始し、トラクター、灌漑ポンプ、食料、衣料などを配布。のちに支援活動は3ヵ年復興事業へと発展し、2006年度で事業は終了する。
11月1日 ジュマ・ネット設立総会 スキャット・ミセナー・ルームで設立総会を開催し、正式にジュマ・ネットが組織される。運営委員は9名。2003年~2005年までの3カ年計画つくられる。
11月23日-12月2日 「大地と共鳴する人びと」開催 サラワク・キャンペーンと共催でアジア先住民族招へい実行委員会を結成し、「大地と共鳴する人びと~アジア先住民族の苦悩・抵抗・未来~」を開催。11月25日~27日まで北海道の二風谷を訪問、11月29日は常圓寺でワークショップ、30日はシンポジウムを開催した。
1月3日 「大地と共鳴する人びと」開催 サラワク・キャンペーンと共催でアジア先住民族招へい実行委員会を結成し、「大地と共鳴する人びと~アジア先住民族の苦悩・抵抗・未来~」を開催。11月25日~27日まで北海道の二風谷を訪問、11月29日は常圓寺でワークショップ、30日はシンポジウムを開催した。
1月3日 エコ・パーク問題 バングラデシュのタンガイル県モドゥプールで、エコ・パーク建設に反対したガロの人々に対して、森林省の警護員が発砲し、死者と負傷者が出る事件が発生する。その後、WE21ジャパンのメンバーと代表の下澤がこの場を訪問し、女性グループの支援事業を2年間、2006年度まで実施した。
2月12日-3月25日 チッタゴン丘陵調査活動 代表の下澤がチッタゴン丘陵調査を実施する。主に、アディバシ・フォーラム、PBMなど、約20近いNGOを訪問。
2002年度
4月14日 第1回ボイサビを開催 新宿消費者生活センター(高田馬場)で第1回ボイサビ開催。来場者は約100名。以降、2008年4月までの計7回開催される。2009年からは、在日ジュマの人々によってボイサビが継続開催されることとなる。
8月31日-9月1日 ジュマ・ワールドを開催 シャプラニール30周年東京イベント「協力から共生へ 懐かしい未来」の中の企画の一つとして、「ジュマ・ワールド」を開催。生活用品の展示、竹かごづくり、唄の紹介、寸劇、料理の実演などを行ない、ジュマ・ネットの課題も訴える。寸劇「ジュッモビが誘拐された」が好評。
11月12日-12月6日 チッタゴン丘陵を訪問 ジュマ・ネットの主要メンバー4名がチッタゴン丘陵を訪問。
2001年度
2月15-16日 シャプラニールの手工芸品展に参加 在日ジュマで構成されているジュマ・ピープルズ・ネットワーク・ジャパンが、シャプラニールの手工芸品展に参加。
3月 ジュマ・ネット発足 在日ジュマのメンバーと日本人ボランティアが協働して、チッタゴン丘陵の正月行事であるボイサビ実行委員会『ジュマ・ネット』を立ち上げる。