設立/年表
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2001年度 |
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2002年2月15日~16日 |
シャプラニールの手工芸品展に参加 |
在日ジュマで構成されているジュマ・ピープルズ・ネットワーク・ジャパンが、シャプラニールの手工芸品展に参加。 |
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2002年3月 |
ジュマ・ネット発足 |
在日ジュマのメンバーと日本人ボランティアが協働して、チッタゴン丘陵の正月行事であるボイサビ実行委員会『ジュマ・ネット』を立ち上げる。 |
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2002年度 |
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2002年4月14日 |
第1回ボイサビを開催 |
新宿消費者生活センター(高田馬場)で第1回ボイサビ開催。約100名が当日は来場し、主催者全員が驚く。その後毎年この時期に開催され、第7回(2008年4月)まで開催される。2009年以後は在日ジュマの人々によってボイサビが継続開催されている。 |
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2002年8月31日~9月1日 |
ジュマ・ワールドを開催 |
シャプラニール30周年東京イベント「協力から共生へ 懐かしい未来」の中の企画の一つとして、「ジュマ・ワールド」を開催。生活用品の展示、竹かごづくり、唄の紹介、寸劇、料理の実演などを行ない、ジュマ・ネットの課題も訴える。寸劇「ジュッモビが誘拐された」が好評。 |
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2002年11月12日~12月6日 |
チッタゴン丘陵を訪問 |
ジュマ・ネットの主要メンバー4名がチッタゴン丘陵を訪問。 |
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2003年度 |
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2003年4月19日 |
ブイオチョラ事件が発生 |
カグラチャリ県ブイオチョラ村でベンガル人入植者によるジュマへの襲撃事件が発生し、ジュマ・ネットは在日バングラデシュ大使館に抗議文を出すともに、PBM(Parbatya Bouddha Mission)を通じて、被害者の支援活動を行う。 |
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2003年7月27日~8月2日 |
スマナランカ氏第1回目の来日 |
PBM創設者のスマナランカル氏来日。チッタゴン・ヒル子ども基金と共催で、池田香代子氏をゲストに常圓寺でスマナランカル氏の講演会を8月1日に開催。来場者は約80名 |
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2003年8月26日 |
マハルチャリ事件が発生 |
カグラチャリ県マハルチャリ郡で大規模なベンガル人入植者によるジュマの人々への襲撃事件が発生。ジュマ・ネットはPBMを通じて被害者支援活動を開始し、トラクター、灌漑ポンプ、食料、衣料などを配布。のちに支援活動は3ヵ年復興事業へと発展し、2006年度で事業は終了する。 |
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2003年11月1日 |
ジュマ・ネット設立総会 |
スキャット・ミセナー・ルームで設立総会を開催し、正式にジュマ・ネットが組織される。運営委員は9名。2003年~2005年までの3カ年計画つくられる。住所は代表の下澤宅で。 |
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2003年11月23日~12月2日 |
「大地と共鳴する人びと」開催 |
サラワク・キャンペーンと共催でアジア先住民族招へい実行委員会を結成し、「大地と共鳴する人びと~アジア先住民族の苦悩・抵抗・未来~」を開催。11月25日~27日まで北海道の二風谷を訪問、11月29日は常圓寺でワークショップ、30日はシンポジウムを開催した。 |
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2004年1月3日 |
エコ・パーク問題 |
バングラデシュのタンガイル県モドゥプールで、エコ・パーク建設に反対したガロの人々に対して、森林省の警護員が発砲し、死者と負傷者が出る事件が発生する。その後、WE21ジャパンのメンバーと代表の下澤がこの場を訪問し、女性グループの支援事業を2年間、2006年度まで実施した。 |
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2004年2月12日~3月25日 |
チッタゴン丘陵調査活動 |
代表の下澤がチッタゴン丘陵調査を実施する。主に、アディバシ・フォーラム、PBMなど、約20近いNGOを訪問。 |
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2004年度 |
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2004年7月1日 |
ブックレット発刊 |
ブックレット「今チッタゴン丘陵で何が起こっているか」を発行。 |
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2004年9月1日 |
ジュマネット通信発刊 |
ジュマネット通信第1号を発刊。以後年4回発行を続けている。 |
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2004年10月1日 |
アルバイトを雇用 |
アルバイトとして松田みどりが採用され、週3日程度の勤務体制となる。2005年4月には5日体制に、そして2006年にはアルバイトからフルタイムスタッフになる。 |
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2004年11月12日 |
事務所開設パーティ |
事務所開設パーティが新宿で開かれ、50名近くが参加。事務所はJVC(日本国際ボランティアセンター)事務所の5階に。 |
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2004年12月2日 |
Dさんを救え!緊急行動市民の会 |
難民申請していたD氏が入管に拘束され、「Dさんを救え!緊急行動市民の会」をチッタゴン・こども基金、ジュマと共に歩む会、ジュマ・ネットなどが共同で結成し、署名を集める。署名の数は約5000件に。 |
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2004年12月13日~15日 |
ICCP結成 |
インドのコルカタで開催された「第4回International Workshop
on Multi-Ethnic Asia and Formation of Intrnational CHT Committee for Peace」の会議の場で、「チッタゴン丘陵国際委員会」(International
CHT Committee for peace=ICCP)設立が呼びかけられ、代表に真実氏、理事として下澤、トムもこの委員になることを求められる。 |
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2005年1月25日 |
チッタゴン丘陵情報交換会 |
JICA事務所で、JICA、JBIC、アジア経済研究所の関係者などを招いて、l情報交換会を開催。 |
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2005年2月14日~20日 |
第1回平和ミッション |
日本人13名で、第1回平和ミッションを実施。PBMを通して、カグラチャリ県のマハルチャリ被災地を見学。また日本大使館にチッタゴン丘陵の課題を注意喚起し、ODAの5ヵ年計画に支援および和平協定実施を促すことを盛り込んだ要請書を手渡す。これらがきっかけになり、5ヵ年計画の中にチッタゴン丘陵が書き込まれる。 |
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2005年度 |
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2005年7月1日 |
平和学習ワークショップの開発 |
三菱銀行国際財団の支援が決まり、平和学習ワークショップづくりが始まる。5回ほど他の事例から学ぶ学習会を行い、その後実行委員で参加型でチッタゴン丘陵問題が体験できるワークショップづくりを進めた。 |
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2005年7月12日 |
カレダ・ジア来日緊急集会 |
ジュマ・ピープルズ・ネットワーク、ジュマ協力基金などと共催で、バングラデシュ首相のカレダ・ジア来日に際して、緊急集会を開催。13日には「バングラデシュ人民共和国のチッタゴン丘陵問題解決への積極的な関与とODA支援の見直し」の要請文を小泉首相宛で、外務省に手渡す。 |
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2005年8月22日~23日 |
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ICCPの会議がバンコクで開催される。委員の増加、中期長期ビジョンの作成、和平協定モニタリング提案、チッタゴン丘陵3県の委員会づくりなどが提案された。 |
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2005年11月19日~28日 |
スマナランカ氏 第2回来日 |
PBMのスマナランカ氏を招聘し、各地で現地報告会を開催する。この時の動員数は約230人。 |
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2006年2月11日~17日 |
第2回平和ミッション |
8名の日本人が第2回平和ミッションとしてチッタゴン丘陵を訪問し、マハルチャリ被災地や県知事などを訪問。偶然、ガマリダラの土地収奪現場にも立ち会う。また2003年に襲撃され破壊された、レムチュリの仏教寺院がジュマ・ネットの支援により2月には完成し、完成式に立ち会う。 |
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2006年3月5日~19日 |
エコ・パーク建設反対活動を支援 |
エコ・パーク建設反対運動を続けてきたガログループが、ジュマ・ネットの支援でビューティーパーラーで働くガロ女性の実態調査をし、報告書が発刊される。 |
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2006年3月5日~19日 |
ヨーロッパの人権NGOを訪問 |
代表の下澤が、英国、オランダ、デンマークのチッタゴン丘陵問題にかかわりのあるNGO9団体を訪問。ヨーロッパNGOとの連携の必要性、チッタゴン丘陵委員会の再結成の必要性をNGOに強調した。 |
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2006年度 |
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2006年4月3日 |
マイシュチュリ事件 |
カグリラチャリ県マイシュチュリでベンガル人入植者によるジュマ・コミュニティへの襲撃事件が発生し、30名以上が重軽傷を負う。ジュマ・ネットは青木遊介氏を派遣し、取材を行なう。その後2名のレイプ被害女性には、支援を継続した。 |
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2006年4月16日 |
第5回ボイサビを開催 |
第5回ボイサビを開催。マイシュチュリ事件もあり開催を控えるべきという議論があったが、最終的に開催することになる。参加者約80名 |
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2006年7月23日 |
コルナフリの涙上映 |
ダンビル・モカメルのドキュメンタリー映画「コルナフリの涙」の上演・販売権を購入し、日本語テロップを入れ日本で始めて上映会を行う。その後数回の上映会を開催。今もDVDにダビングして関心のある人びとに販売している。 |
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2006年8月18日~30日 |
スマナランカ氏第3回来日 |
スマランカル氏が来日し、主に大阪、京都、広島、岡山などで講演する。その後世界宗教者平和会議に出席。また襲撃事件の被害者であるクキとニムニの2人の高校生が来日し、彼らは主に東京で日本の高校生や大学生と交流をした。 |
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2006年9月31日~10月1日 |
グローバル・フェスタに出展 |
初めてグローバル・フェスタ2006に出展。「ピタ・パン」という、ジュマ料理のゴンドをナンに包み込んだ料理を考案し、販売。予想以上に収入につながる。 |
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2007年1月1日 |
第3回平和ミッションの中止 |
第3回平和ミッションを2007年2月3日~10日の予定で企画したが、選挙管理内閣による統治が不安定であるため、今回は実施を見送った。 |
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2007年2月2日 |
D・チャクマ氏、難民認定される |
ジュマの活動家で在日のD・チャクマ氏、難民不認定処分取り消し裁判に勝訴。その後、法務省は8月15日に難民認定を決定した。9月7日には、難民認定を祝う盛大な会を開催した。 |
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2007年3月9日~10日 |
合宿 |
ジュマ・ネット5年目を向けるにあたり、関係者がスキャットセミナールームで合宿を実施した。「現地市民社会のネットワーク化」「駐在員の派遣」「組織規模の拡大」「複数国支援の可能性」などが検討された。 |
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2007年度 |
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2007年5月26日~6月11日 |
レイプ被害者の活動を検討 |
副代表トム、事務局員の松田が、チッタゴン丘陵を訪問調査。レイプ被害者支援をしている、ドゥルバール・ネットワークのシェファリカ氏と会い、協同事業を検討する。 |
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2007年6月24日 |
チッタゴン丘陵委員会の結成にかかわる |
現地出張で、オランダのジェネカ氏がチッタゴン丘陵委員会を再結成する動きがあることを知る。下澤が彼女に電話をかけ、できるだけ手伝わせてほしいと依頼し、協働しながら進める方向で話しが進む。 |
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2007年8月26日 |
フルバリ事件 |
フルバリ石炭採掘事業に反対するデモで3名が死亡する事件が2006年8月26日に発生。ジュマ・ネットも、JACSES(「環境・持続社会」研究センター)と一緒にアジア開発銀行の姿勢を問う、キャンペーンを展開。 |
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2007年9月7日 |
バングラデシュ、チッタゴン丘陵問題意見交換会を開催 |
JICA、ドナー、NGO関係者の参加のもと「バングラデシュ、チッタゴン丘陵問題意見交換会」を開催。CHT白書のドラフトをもとに意見交換。 |
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2007年10月 |
エクパタ・キャンペーン |
日本市民がジュマ・ネットの運動に参加できるキャンペーンが必要ということで、「エクパタ(1枚のハガキ)・キャンペーンを開始する。目標数は1,000のところ、最終的に900枚近いハガキが集まる。 |
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2007年10月28日~11月6日 |
ドゥルバルネットワークのシェファリカ、ナシマ氏ら来日 |
女性の人権活動をしているドゥルバル・ネットワークのカグラチャリ・グループのシェファリカ・トリプラ氏らを日本に招聘。東京、千葉、神奈川、大阪で講演活動をした。また、この来日をきっかけに、1,000人の署名を集める「エクパタキャンペーン」を開始した。最終的に900枚近いハガキが集まり、在日バングラデシュ大使館に手渡す。 |
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2007年11月 |
チッタゴン丘陵白書完成 |
2003年から2006年までのジュマ・ネットの集めた情報を集約した「チッタゴン丘陵白書」が完成。 |
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2007年11月23日~12月2日 |
チッタゴン丘陵政治状況が悪化 |
下澤が、チッタゴン丘陵を訪問。チッタゴン丘陵委員会関連の関係者と会う。その後選挙管理内閣体制に移行し、チッタゴン丘陵の政治状況が悪化。活動家は常に監視される状況になり、平和構築活動が停滞する。 |
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2007年12月3日 |
不当逮捕、和平協定実施の要請文を提出 |
サバイバル・インターナショナルの呼びかけに応えて、在日バングラデシュ大使館に、ジュマ・ピープルズ・ネットワークと一緒に、不当逮捕、和平協定の実施を訴える要請文を提出した。 |
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2008年度 |
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2008年4月22日 |
サジェック襲撃事件 |
ランガマティ県サジェックで、ベンガル人入植者がジュマの人々を襲い、100軒近い家が放火され、負傷者が出る。ジュマ・ネットはその後100万円近い支援活動をバングラデシュ・アディバシ・フォーラムと共同で展開する。 |
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2008年5月31日~6月1日 |
コペンハーゲンで開催された第1回CHT国際委員会設立の集会に副代表のトムが出席。 |
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2008年7月1日 |
2番目のスタッフを増員 |
元バングラデシュ協力隊員の佐藤未希が、スタッフとなる。 |
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2008年7月 |
資金調達のために販売事業を開始 |
ジュマ・ネット活動資金のための販売事業で北海道の会員の奥田氏のメロンを販売する。その後カボチャ、お米などの販売を手がけていく。 |
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2008年7月4日 |
先住民族サミットでディピティ氏が発言 |
札幌および二風谷で開催された先住民族サミットで、ディプティさんが参加し、ジュマとしての発言を行なう。ジュマ・ネットから交通費を一部支援する。 |
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2008年8月6日~14日 |
第1回チッタゴン丘陵委員会、バングラデシュ訪問 |
チッタゴン丘陵委員会がはじめてバングラデシュを訪問。現地で大きな反響を呼ぶ。ジュマ・ネットからはトムが、ボランティアとして参加。 |
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2008年8月7日~14日 |
エスニック・ピース・ツアーを開催 |
第1回エスニック・ピース・ツアーを8月7日~14日まで開催する。ダッカの国際先住民族の日のイベント、タイガイル県のモドプールのガロのコミュニティを訪問。しかし、参加者は2名だった。 |
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2008年11月6日~16日 |
ドゥルバール・ネットワーク2名を日本に招聘 |
ドゥルバールネットワークのスタッフである、べッキーさん、アノアラさん2名をチッタゴン丘陵から日本に招聘し、関東、大阪を回る。 |
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2008年12月 |
ランライ、ボクールの釈放のためのキャンペーンを展開 |
ランライとボクールの釈放のための署名キャンペーンを展開する。 |
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2009年1月31日 |
3ヵ年計画を話し合う |
これまでの事業を見直し、3ヵ年計画の話し合いを行なう。その後、2月21日で2回目、3月の営委員会で議論を継続し、3ヵ年計画の骨子ができる。 |
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2009年2月16日~22日 |
第2回チッタゴン丘陵委員会が、バングラデシュ訪問 |
第2回チッタゴン丘陵委員会のバングラデシュ訪問が行なわれる。メンバーの上村氏も参加。スタッフの松田も最初の3日間参加する。帰国後、3月18日に外務省、3月31日にJICA、4月10日には一般向けに報告会を開催した。 |
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2009年2月27日 |
第2回エスニック・ピース・ツアーを中止 |
第2回エスニック・ピース・ツアーが、BDRの反乱騒動で、中止になった。 |




