2008年4月サジェク襲撃事件
2008年4月20日夜9時半ごろから翌朝未明にかけて、ランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンで、ジュマ民族の住む8つの村に百名以上の集団が襲い掛かり、家財を略奪した上で少なくとも77戸の先住民族の家に放火し、全焼させた。礼拝所とユニセフが経営する2つの学校も焼け、ベンガル人入植者が建てた小屋も数十戸焼失した。
襲撃されたナーサリー・パラ(村)、ダネ・バイバチョラ村、バメ・バイバチョラ村、プールボ・パラ(村)、バルガット・パラ(村)、レトカバ村、MSFパラ(村)およびゴンガラム・ムク村は、森林省が管轄する保存林の中にあり、ジュマ民族が長年、慣習法に基づき焼畑などで暮らしてきた場所である。近年、ベンガル人の入植が進められ、特に今年3月ごろから各地で入植者たちがジュマの住居の間近に勝手に小屋を建てる動きが始まり、緊張が高まっていた。
4月28~29日に現地でジュマと入植者の両方から聞き取りを行った国内人権団体やジャーナリストからなる市民調査団によると、ジュマ被害者の多くは、攻撃者と一緒に兵士も混じっているのを目撃しており、ベンガル人入植者は、黒い服をまといマスクを被った部外者の集団が犯行を行ったとし、地元住民の犯行ではないと主張している。市民調査団も、各地で全焼したジュマの住居の間にベンガル人の小屋が焼かれずに建っているのを確認しており、放火は選択的に行われたと推察している。
事件直後、さまざまな人権団体が現地で調査を行い、人権団体ASK事務総長スルタナ・カマル女史
率いる市民団体やWFP、軍が救援物資を配ったが一時しのぎに過ぎず、民族間の不和で夜も寝られない緊張した状態が続く中で、被害者住民は、家を建て直す目処が立たず、雨季が始まった森の中でビニール・シーツなどで雨風を凌ぐ辛い日々を送ってきた。特に住居の再建が喫急の課題となった。
ジュマ・ネットでは、被災者への緊急支援を呼びかけ、みなさまの暖かいご厚意により、100万円(約65万タカ)の寄付金を集め、6月はじめに現地受け皿のバングラデシュ先住民族フォーラムに届けることができた。デンマークのDANIDAから約100万タカ、オーストラリア在住のジュマ留学生などからも約16万タカが届けられた。しかし、救援物資の配布を妨害されないためには、影響力のある引率者が必要があり、適任者がみつかるまで時間が掛かった。結局、CHT委員会共同代表でもあるスルタナ・カマル女史が再び団長となり救援物資を配ることとなった。
救援物資配布
8月2日土曜日、住居再建用のトタン105世帯分(ジュマ被害者約80世帯+ベンガル人入植者の被害者25世帯) および、お米、大豆油、発酵海老ペーストなどがトラックでチッタゴン市から運ばれ、配布現場に来たジュマ被害者全員に配られた。森などに避難していて取りに来れなかったジュマ被害者の分は現地の仏教寺院に預けられた。一行は、ジュマ民族からの善意の印として、入植者に25世帯分のトタンと救援物資を配ろうとしたが拒否され、いろいろな抗議や妨害に遭ったので、仕方なく持ち帰ることになった。入植者が受け取る公算は低く、緊張した情勢で物資を換金して現金を被害者に配ることも現実的ではなかったので、残ったトタン25世帯分とお米約800キロは、寺子屋を運営するPBM(Parbatya Bouddha Mission=丘陵ブッダ伝道会、カグラチョリ町)に寄付された。
緊急支援 会計報告(2008年8月)
収入
緊急支援募金(5/14~8/6迄 のべ123名の方より) |
752,500 |
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ジュマ・ネットの緊急救援基金より繰り入れ |
247,500 |
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合計 |
1,000,000 |
支出 すべて被害世帯(105世帯分)
費目 |
単価 |
数量 |
単位 |
日本円 |
トタン |
8,890 |
105 |
束 |
933,500 |
発酵海老ペースト |
185 |
210 |
キロ |
38,700 |
大豆油 |
2,200 |
9 |
ケース |
19,800 |
運搬費 |
|
|
|
7,360 |
合計 |
999,360 |