2018/10/27 Saturdayauthor: JummaNet事務局

ロヒンギャ難民キャンプにトイレが!

 8月27日、バングラデシュ、コックスバザールのロヒンギャ難民キャンプを視察することができました。地元NGOのPULSEと連携して、156基のトイレを難民キャンプに無事設置することができました。多くの皆様にご寄付のご協力をいただきありがとうございました。
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トイレが設置されたテンカリキャンプ


新品のトイレが!

 大量流入があった昨年の9月と比べると、難民キャンプは落ち着いた様子だった。入り口には、配給所が設置されており、軍人が座っている。また、キャンプ内の通路も土嚢や竹などで補強され、ところどころ排水路などもつくられている。あちこちに店も出されており、生活感が伝わってくる。難民の流入は僅かだが、今も続いており、キャンプの数は40近くになりつつある。ここは、デンカリ・タジミヤコラ・バーマパラ13番キャンプ、略してテンカリキャンプと呼ばれている。両脇にびっしりと小屋が並ぶキャンプの坂道をゆっくり登っていくと、新品のトタンのトイレがあちこちに見える。よく見ると、ひとつひとつにジュマ・ネットのシールが張られている。

IMG_9460.JPG オヤ?トイレの壁にジュマ・ネットのシールが?

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    ちゃんと用が足せる綺麗なトイレが

 シールには番号がつけられており、そこは151番と書かれている。さっそくそのトイレの扉を開けて、中を覗いてみた。シンプルだが、トタンの屋根と壁で囲まれ、便器部分が土中に埋め込まれていた。これが世帯にひとつずつ設置されていた。これなら女性でも安心して使えるし、雨でも濡れない。勝手にトイレを覗いている外国人を不審に思ったのか、家の人が中からこちらをじっと見ているので、さっそくお話を聞かせてもらうことにした。

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  ロヒンギャ難民、アブドゥル・ミアさんと子どもたち

 この家族はちょうど1年前にバングラデシュにやってきた。1週間ほとんど何も食べず徒歩だけで、死ぬ思いをしてやってきたという。「私の親戚や近所の村人が軍人に殺されたのを聞いて、ほとんど何も持たずに逃げてきました」と当時のつらい思いを語ってくれた。さっそく「トイレはどうですか?」と聞くと、ニコリとして、「これまでは共同のトイレだけだったんです。いつも人が使っていて待たないといけなかったし、汚いんです。それに娘たちがそこを使うのをいやがって」と新しいトイレを喜んでくれているのが伝わってきた。その後、3世帯ほどお話を聞かせてもらい、どのトイレも順調に設置され、活用されていることがわかった。同行してくれたPULSEのスタッフに聞いてみると、155基の予定のところ、156基が世帯に一つずつ設置されたということだ。約千人近い人々の役にたてたのかな・・・・とほっとした瞬間だった。

これからのキャンプの課題

 インタビューの中で、キャンプに残っている課題を聴いてみた。「料理用の薪がない」ご主人はアブドゥル・ミアさん。子どもが6人おり、奥さんを入れて8人家族だ「キャンプの中が不衛生」「配給される食糧に肉、野菜、魚がほしい」「現金がない」と、どの家族も同じ課題を伝えてきた。「ミャンマーに帰りたいですか?」と聞いてみると、「市民権が保証されないかぎり、帰りません」と、どの家族もはっきりと答えていた。

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        ロヒンギャキャンプで見かけた女の子。ビルマの腰巻のタミを身につけている

 帰りの車の中で、PULSEのスタッフから最近のキャンプの様子を聞いてみた。帰還作業が硬直している今、難民が一番欲しいものは現金で、余剰な援助物資も、現金を手に入れるため、地元のバザールに売りに出されている。結果、米、小麦、油などが市価の3分の1以下の価格で売られている。キャンプ外での労働は禁止されており、キャンプ付近の道路ではロヒンギャの流出を管理している。しかし、脇道を通っていけば、いくらでも市街に出られるのが実態で、近隣の街では、ロヒンギャと思われるドライバー、労働者がかなり見られると言う。難民70万人といえば、コックスバザール県220万人の人口の3分の1にあたり、労働市場規模から考えると、地域経済に大きな影響を与えることは必至だ。
 今後ジュマ・ネットとして何ができるのか。事態は新しい局面に来ていると実感した。