国連

ジュマ・ネットが例年参加してきた、国連先住民族問題常設フォーラムにおける提言活動の成果と課題につき、共同代表トム・エスキルセンが二回に分けて報告いたします。
前半のpart1に続き、今回は後半として、国連の諸機関との対話・連携についての報告です。

<国連機関との対話>
フォーラム会期の傍らで、ジュマ活動家たちとCHT委員会は、CHT問題の解決に影響力を発揮できそうな主要な国連機関と面談し、協力を要請してきた。話し合いの主な内容を紹介する。
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ジュマの民族衣装「カディ」を身に着けるパン・ギ・ムン国連事務総長

<PKO局~人権審査の新方針が実現!>
2011年から毎年、PKO局に人権審査制度を導入するよう申し入れてきた。当初、PKO局はすでに内規による人権審査制度を導入していると説明した。直接雇用する監視官は、一人一人の人権履歴を審査し、各国政府が提供する部隊に関しては「その人員が人権侵害に関わったことがない」という約束を政府から取りつけるとのことだった。派遣先や本国で人権侵害に関わったことが判明した人員は、本国に強制送還し、本国政府が訴追し処罰する決まりになっていた。

2013年にPKO局アジア・中東部長の中満泉氏に直接お会いすることができ、国連が2012年12月に全ての国連職員の人権審査に関する新しい方針を採択したことを知った。今年も同氏が対応して下さり、「国連人員の人権審査」と題する正式な方針文書を手に入れることができた。

この方針によると、国連に人員を推薦する加盟国は、「各候補が刑事犯罪もしくは国際人権・人道法違反で有罪判決もしくは捜査か訴追を受けたことがないことを、そしてその知る限り、作為または不作為によって国際人権・人道法違反に相当する行為に関わった嫌疑をかけられたことがないことを保証する」ことが義務付けられている。
また、個人の立場で国連に就職する人からも「刑事犯罪で訴追されたことがなく、国際人権法・国際人道法違反を犯したことがない」という念書を取ることになっている。

つまり、「国際人権法・国際人道法違反」に関しては「嫌疑をかけられた」だけで国連職員としての適格性を失う。「刑事犯罪」で訴追された場合も捜査と起訴の内容を国連に開示することが義務付けられている。

国連事務局人的資源管理部(OHRM)と人権高等弁務官事務所(OHCHR)が共同議長を務める「国連事務局 人権審査作業班」が方針の実施状況を監視し、職員候補の人権履歴に関する情報交換の手順を策定することになっている。

中満氏によると、PKO局は、直接の苦情受付窓口を置いていないが、OHCHR、DPA、UNDPもしくは各国の国連常駐調整官に情報を提供すれば情報交換網を通じて、PKO局などに伝達されることになっているという。
PKO局は、人権審査の結果、解雇・本国送還した人員が本国でどのような処分を受けたかについても情報を収集しているが、その提供を政府に強制することはできないとのことだ。
スリランカなど軍が著しい人権侵害に加担したことが分かっている国からは増員せず、個人を雇用する時も人権侵害の疑いをかけられていないかどうか、ネット検索などで調べることが慣行になっているという。

<国連開発計画(UNDP)~CHTからの拙速な撤退にNO!>
UNDPは、2003年から2013年にかけて「CHTにおける開発と信頼醸成の促進」と題する2億1千万米ドル規模の開発事業を実施してきた。丘陵地帯の村々に「村開発委員会」を設け、村人が決めた事業に3500~7000米ドル相当の「即効ファンド」数千件を提供してきた。現在、同事業の評価と今後の方向性に関する検討が行われているが、規模を大幅に縮小し、実施主体を県評議会に移管することが議論されている。特にUNDPから事業を請け負っていたジュマNGOの多くが人員削減や閉鎖に追い込まれており、同プロジェクトで運営されていた小学校の内、国営化に必要な土地の登記が済んでいない228校が閉鎖されようとしている。ジュマ代表者は次期計画の立案にジュマが参画できるようにし、急な事業撤退をしないよう訴え続けている。

<先住民族の権利に関する特別報告者(SRIP)>
SRIPのジェームス・アナヤ氏(マオリ民族)とも毎年、情報交換を行ってきた。これまで同氏は、正式な書簡で2010年バガイチョリ襲撃事件、バングラデシュ北西部のフルバリ炭鉱開発計画、ジュマ女性に対する暴力およびCHT和平協定の実施の遅れについて政府に問い合わせ、回答を得て、人権理事会への報告書に盛り込んできた。
同氏は、バングラデシュで正式な調査を行うために招待してほしいと政府に要請してきたが、実現しなかった。今年9月からビクトリア・タウリ・コープス氏(フィリピン・イゴロット民族)にバトン・タッチしたが、彼女はCHTを何度か訪問したことがあり、活躍が期待される。

<国連政治局(DPA)~ 政治のレーダーに浮上>
国際政治に関する国連事務総長の諮問機関であるDPAとも毎年、情報交換を行ってきた。当初は「CHT問題は和平協定で解決したと思っていた。政治のレーダーに映っていない」と言われたが、UNPFII勧告で認識が変わったようだ。
2011年9月に潘基文氏が国連本部でシェイク・ハシナ首相らと会談した際に先住民族を話題に出され、ハシナ首相が「ベンガル人が我が国の主な先住民で、部族民は後から移住してきた」と応じたところ「そうすると貴国の国連大使も先住民ですね。大したものです」と笑ったそうだ。 
CHT委員会委員で米国タフツ大学教授のハンナム氏の元ゼミ生がDPAの実務担当をしており、反応はよいが中東情勢などに翻弄され、CHT問題に率先して取り組める状態にはないようだ。

<国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)>
国連で人権問題を統括するOHCHRとも毎年面談し、CHTの近況を伝えるとともに、アドバイスを頂いてきた。先住民族問題だけでなく人種差別、女性に対する暴力、宗教迫害、拷問などのテーマを扱う特別報告者、そして人種差別撤廃委員会などの条約機関、人権理事会による加盟国の人権状況の普遍的・定期的レビュー(UPR)にもっとマメに情報提供するよう勧められてきた。
国連の仕組みを十分活かし切れていないことを毎回、反省させられている。

<まとめ>
これまでCHT問題に関する国連での提言活動に相当な資金と労力が投入されてきたが、和平協定は実施が進まず、憲法で先住民族の存在が否定され、目標に向かっている実感は沸かない。
和平協定実施の追い風となるはずだった2011年のUNPFII勧告は、軍の逆鱗に触れ、政府との対話のパイプが細くなったように見える。しかし、CHT問題が「和平協定で解決した」という幻想が払拭され、再び国際社会で議題として取り上げられるようになった。

2012年末に「国連人員の人権審査」方針が採択され、新しいチャンスが巡ってきた。ジュマの人々を苦しめてきた軍の司令官のPKO派遣を阻止し、人権侵害にブレーキをかけるために新方針を活用すべきである。
そのためにジュマ関係者もNGOも国連の人権制度に精通し、軍や警察による犯行を漏らさず、テーマ別の特別報告者や条約機関に伝えてPKO局の注意を喚起し、国連から政府に問い合わせが殺到するようにしなければならない。国連会議への参加を「お祭り騒ぎ」として終わらせないフォローアップこそ大事である。

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国連にて、ジュマ関係者たちと(左端が筆者)

共同代表 トム・エスキルセン
ジュマ・ネットが例年参加してきた、国連先住民族問題常設フォーラムにおける提言活動の成果と課題につき、共同代表トム・エスキルセンが二回に分けて報告いたします。
今回は前半として、フォーラムの位置づけや流れ、2011年勧告、またバングラデシュとPKOについての報告です。

【国連先住民族問題常設フォーラムでの提言活動を振り返る】
ジュマ・ネット共同代表 トム・エスキルセン

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国連先住民族問題常設フォーラム参加のジュマ関係者


<はじめに>
ジュマ・ネットは例年5月にニューヨーク国連本部で行われる先住民族問題常設フォーラム(UNPFII)に2011年から毎年参加し、ジュマ民族代表の提言活動をサポートしてきた。
その成果と課題について振り返りたい。

<目標>
ジュマ民族が例年、国連における提言活動で目指してきたことは、バングラデシュ政府にCHT和平協定の実施を促し、ジュマ民族を先住民族として認めさせ、国連先住民族権利宣言(UNDRIP)に謳われている権利を勝ち取って行くということだろう。
ジュマ・ネットは、CHT委員会のチームの一員として、そうしたジュマ民族の提言活動を側面支援してきた。
CHT委員会は、国連機関との対話の場の設定、ジュマ活動家の間の連絡調整、サイド・イベントの企画、マスコミ対応などを行ってきたが、議事録・報告書作成などを担当させていただいている。
国際レベルで連携した活動がジュマ民族運動の内紛の和解のきっかけになることも期待している。

<国連で活躍するジュマ民族関係者>
例年、UNPFIIには、ジュマ政党PCJSS両派の関係者のほか、カパエン財団やCHT市民委員会といったジュマ市民団体、マレヤ財団などジュマ開発NGO関係者も参集している。
また、チャクマ王のデバシシ・ロイ弁護士はUNPFIIの委員を務め、提言活動をとりまとめる重要な役割を果たしている。PCJSSとPCJSS改革派は、国内では抗争を続けており、市民団体やNGOも政治の影響を受けているが、国際的な場では、和平協定実施という共通目標を掲げて何とか足並みを揃えてきた。
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チャクマ王デバシシ・ロイ弁護士

<国連への橋渡し役としてのCHT委員会>
2008年に再結成されたCHT委員会は、2002年から2007年までUNPFIIの委員を務めたアイダ・ニコライセン氏(デンマーク)と同じく2008年~2010年にUNPFII委員だったラース・アンダース・バエル氏(北欧サーミ民族)をそれぞれ共同代表および委員に迎え、2011年にはニコライセン氏の後任として、UNPFIIの事務局長を2003年~2010年まで務めたエルサ・ストマトポウロウ氏を共同代表に迎えたこともあり、国連と非常に強いパイプを持ち続けてきた。
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ラース・アンダース・バエル氏(北欧サーミ民族)

2011年にデバシシ・ロイ氏がアジアの先住民族を代表するUNPFII委員に就任し、彼の姉のチャンドラ・ロイ氏がストマトポウロウ氏の後任としてUNPFII事務局長に就任したことで、CHT問題を国連で取り上げる未曽有のチャンスが巡ってきた。

<2011年UNPFII勧告>
UNPFIIは2010年の第9会期で次年度にCHT和平協定の実施状況を議題として取り上げることを決め、それを調査する特別報告者としてバエル氏を任命した。
2010年秋に彼は、丘陵3県を歴訪し、2011年のUNPFII第10会期でCHT和平協定に関する詳細な報告書を発表した。
その中で、軍が行政や住民の生活に不当に介入していることが和平協定の実施を遅らせていることを指摘し、バングラデシュ政府に対して1)期限を設けて和平協定を実施すること、2)CHTからの軍の撤退を促進することを勧告し、国連PKO局に対しては、3)バングラデシュからPKOに派兵される兵士が国内で人権侵害を犯していないかどうかチェックするよう勧告することを提案した。
UNPFIIは提案を採択し、その旨、勧告した。

<バングラデシュ政府の反応>
バングラデシュ政府は、「我が国に先住民族はいないので、UNPFIIはCHT問題に関する管轄権がなく、それについて勧告する資格はない」と激しく反論した。
UNPFIIの上位機関である国連経済社会理事会(ECOSOC)の2011年7月の会合でバングラデシュ政府はUNPFII勧告の採択を阻止しようとしたが、あまり賛同が得られなかった。
ECOSOCはUNPFII勧告を変更なく追認し、政府の反対意見を脚注に記載することに留めた。
面目を失った政府は腹の虫が治まらなかったようだ。2011年6月に行われた憲法第15回改正で「全国民はベンガル人」と決めつけ、先住民族は「小さな民族集団」という名称を押し付けられた。
また、政府は全ての公文書から「先住民族」という言葉を削除するよう命じ、公務員が8月9日「国際先住民族デー」の行事に参加・協力することを禁じた。
CHT委員会の現地ミッションも妨害されるようになった。

<バングラデシュとPKO>
バングラデシュは、世界のどの国よりも多い約1万人の兵士と警察官をPKOに派遣している。
PKO派兵はバングラデシュの軍人にとって出世の登竜門であり、例えば、将校なら普段の給料(1万五千タカ=約2万円)の約十倍の報酬(2200米ドル以上)を得る又とないチャンスでもある。
政府もPKO兵士一人当たり毎月約1300米ドルの支払いを国連から受けとる。  
2012年にバングラデシュ国連大使は同国が国連PKO局から3年間で9億1900万米ドルの外貨を獲得したことを明かした。
これは同国の軍事予算(年間9億1900万米ドル)の約1/3に匹敵し、軍がCHTで得ている利益を遥かに上回ると思われる。 

CHTで襲撃事件を指揮した将校や特殊部隊RABで野党関係者を司法外処刑した兵士がPKOに派遣されていることが知られている。そのような兵士が海外の紛争地で住民の命や人権を尊重できるだろうか。国連の信用に関わる問題だ。
現にPKO兵士が援助物資と引き換えに性行為を強要するなど不祥事が続いたため、2003年にアナン事務総長は国連職員による性的搾取に関する「許容ゼロ」方針を打ち出さなければならなかった。PKOによる人権審査は、CHTにおける軍の横暴を食い止める決め手になり得るが、軍の急所を突き、逆鱗に触れることでもある。

<2012年~2014年 UNPFIIでの動き>
2012年は、コロンブスなど探検家たちが「無主地」の米大陸・豪州などを「発見」したとする「発見の理論」について考えることが特別テーマとなった。
CHT問題は直接、議題に挙がらなかったが、「人権」に関する議題でジュマ代表者たちは、CHT和平協定実施とPKO人権審査に関するUNPFII勧告を政府が無視し続けていること、女性に対する暴力が急増していることなどを訴えた。
また、ジュマ・ネットは国際NGOのIWGIAと共同で執筆したCHTにおける軍の役割に関する英語報告書を発表し、国連機関などに配布した。さらに国連に初めて参加するUPDF関係者1名を含むジュマ代表者4人の旅費を補助した。本国で対立する3派が顔を合わせる稀な機会となったが、文言の調整がつかず、統一した声明を読みあげるには至らなかった。

2013年は、保健、教育、文化に関するUNPFII勧告およびUNDRIPの実施状況、世界先住民族会議、国際金融機関との対話などが本会議のテーマとなった。
ジュマ・ネットは、ジュマ代表1名の現地滞在費を補助した。ジュマ代表者たちは、CHTで事業を再開しているアジア開発銀行に対して、住民の同意に基づき事業を行うよう要請し、弊害の多い小規模貸付や植林事業をしないよう訴えた。
また人権侵害、土地収奪、教育、憲法改悪などについて声明を読み上げた。IWGIA・市民外交センターなどの共催で「先住民族、和平協定、人権」をテーマにサイド・イベントが実施され、多くの参加者を集めた。

今年、2014年は、特別テーマとして「UNDRIPに合致した良き統治の原則」が議題となり、デバシシ・ロイ委員がCHT和平協定に基づく「土地委員会」をその実践例の一つとして取り上げる報告書を発表した。
ジュマの慣習法や伝統首長たちの役割を尊重した土地委員会の仕組みは、UNDRIPの精神に合致しているが、関連法に和平協定と矛盾する条項が残っているため、活動を開始できていないのが残念だと結論付けた。
政府代表は、土地委員会法の改正が遅れているのは、「全関係者の参加を保障する」ための「必要悪」だと述べ、和平協定を完全実施する政府の決意に変化はないことを強調した。
そのほか、ジュマ関係者は女性に対する暴力、人権などに関して10件ほど声明を読み上げ、アムネスティーはCHTの土地問題を、北欧三国はCHT和平協定の遅れを憂慮する声明を読み上げた。
CHT委員会はCHTにおける女性に対する暴力に関する報告書を発表した。IWGIA・市民外交センターなどの共催で「冷遇と不処罰:CHTにおける暴力」と題するサイド・イベントを企画したが、参加者は前年より少なかった。ジュマの旅費支援は行わなかった。

【part2】へ続く


2009/06/05 Fridayauthor: 副代表 木村真希子

国連の先住民族会議に参加してきました(3)

バングラ出張報告のフルーツ、おいしそうですねcatfaceそういえば、私が留学していたデリーもこの時期は暑くて何もできないのですが、唯一の楽しみがマンゴーでした。朝も昼も晩もマンゴーとヨーグルトで食事を済ませていたような気がします。

大学で非常勤講師をするようになってから、この時期にインドに行けなくなって、おいしいマンゴーが食べられないのはちょっとさみしいですdespair

さて、国連会議報告の続きを。

2007年9月に「先住民族の権利に関する国連宣言」が国連総会で採択されました。先住民族の人たちにとっては非常に重要な土地権や資源権、自決権などが確立された重要な宣言なのですが、実際に国家や国民の人たちが理解し、実行しようと思わなければなかなか目に見える成果となって表れてきません。

アジアの多くの国では、宣言の影響が多少なりとも目に見えているのはネパールや日本など、ごくわずかです。みんな深刻な人権侵害や貧困など抱えていて、それをどうにかする手がかりを求めて国連にやってきます。そのため、宣言実施に関する話し合いは今回のフォーラムでも非常に重要なテーマとなっていました。

下の写真は、人権理事会に任命された先住民族の権利に関する特別報告者ジム・アナヤ氏とアジアの先住民族の会合の際のものです。法律の専門家とこうして会合を持って、アドバイスをもらうのも重要な活動の一つです。

 

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CHTから来た人たちは、やはり和平協定の実施をどのように進めるかを国連宣言実施のプロセスと重ねて、模索しているようでした。下の写真は、CHTからの参加者お二人と、アジア・コーカス夕食会で撮ったものです。

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左はゴータム・チャクマさん、真中は筆者、右がムリナル・カンティ・トリプラさん

一週間でしたが、いろんな事を学び、刺激を受け、そして勇気づけられました。国連に行っても劇的に状況が変化するわけではないのですが、それでも参加し続けたいと思うのは、やはり他の国でも困難に直面しつつ頑張っている人たちの存在に励まされ、学び、頑張ろうと思えるから。来年も参加できるといいな。

 

2009/06/04 Thursdayauthor: 副代表 木村真希子

国連の先住民族会議に参加してきました(2)

ちょっと間があいてしまいましたが、国連会議の報告をもう少し。

前回報告したように、会議中に自分たちの状況を報告したり、国家や国連に対して提言することも重要な活動ですが、なんといっても2000人以上が参加する大きな会議。みんな会議以外の場でも、自分たちの活動スペースを広げる工夫をします。

アジア先住民族がここ数年、開催しているのが夕食会。アジア各国から来ているいろんな先住民族グループの人が協力してお金を集め、第1週目の夜に常設フォーラムの委員や各国政府代表を招待して夕食会を開催します。中華料理を近くのお店からケータリングして、飲み物も出して、毎年60-80人以上参加する賑やかな食事会となります。

実は国連の会議では、お食事を一緒にしながらいろんな話をしたり、自分たちの持つイシューを話して印象付けるのは非常に重要な活動の一つなのです。常設フォーラムの委員を招いて、一緒にお食事しながら歌やダンスを披露したりするのも、大事なロビー活動の一つ。

下の写真は、夕食会で撮ったものです。アジア先住民族のネットワーク団体であるAIPPの議長、事務局長、そしてUNDP(国連開発計画)でアジア地域の先住民族プログラムを推進するチャンドラ・ロイさんです。チャンドラさんはチャクマの女性。アジア先住民族のリーダーは、女性で活発に活動している方が非常に多く、元気づけられます。

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左から、AIPP議長のスイ・カーさん、UNDP先住民族地域プログラムのチャンドラ・ロイさん、AIPP事務局長のジョアン・カーリングさん。

2009/05/28 Thursdayauthor: 副代表 木村真希子

国連の先住民族会議に参加してきました(1)

5月18-22日の間、国連先住民族問題常設フォーラムの第8会期に参加してきました!

日本では豚インフルエンザで大騒ぎで、国連NY本部で感染者も出たということで、行くことに少しためらいもありましたが、行ってみるとNYではマスクの人を見ることもなく、みな平常通りでした。

国連にはいくつか先住民族に関する機関がありますが、今回参加した常設フォーラムは2002年に設置されました。毎年、テーマが設定されて、世界各地から来た先住民族の人たちがそれぞれの置かれた状況について報告し、国連のできること、してほしいことについて要請を出します。今年は先住民族の権利宣言の実施などがテーマでした。

ただ、毎年発言者が集中するのは「人権」の議題。世界から集まってくる先住民族の人たちは、それぞれ国内で深刻な人権問題を抱えています。フォーラムは加盟国政府に対して命令することはできず、勧告するのみなので、発言してもすぐに改善するとは限らないのですが、それでもみんな国内で解決できない問題を数多く報告します。

下の写真は、インド北東部マニプル州の先住民族の友達です。今年のはじめに大規模な軍事作戦が展開され、彼自身も身の安全が確かではない中、勇気を持って状況を報告していました。

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2009/05/15 Fridayauthor: 副代表 木村真希子

先住民族運動との出会い

<タイトルが違いますが、5月7日の「ナガランドとの出会い」のつづきです。>

ナガランドの独立運動について論文を書くため、先住民族に関する文献を調べていて、日本では市民外交センターがアイヌ民族の国連参加を支援していることを知りました。そこで代表の上村英明さんに連絡を取り、市民外交センターの活動にも少しずつ参加するようになりました。当時、上村さんは琉球・沖縄民族の問題を先住民族の視点から考えることを試み始めており、同じ年代の沖縄出身の学生さんたちと一緒に沖縄の基地問題などを国際人権法の視点から考える勉強会に参加したりもしました。ナガランドだけでなく、世界に広がる先住民族運動というものを実感し始めました。

本当はこうしたNGO活動をずっと続けたかったのですが、一方で自分の研究者としての将来を考え、2001年にインドに留学することになりました。ナガランドの研究を続けたかったのはもちろんですが、現地に入れない地域を論文の対象として選ぶのは難しく、隣のアッサム州を選びました。その時はずいぶん残念に思いましたbearingが、他の北東部の地域のことを知るきっかけとなったので、今では回り道したことが結果的によかったなと思っています。

インドでの現地調査は2年間でひと段落したので、2003年からインドと日本を行き来し、また長年興味のあった国連先住民作業部会にも市民外交センターの一員として参加しました。スイスのジュネーブで毎年開催されていたこの会議は、毎年1000人以上の先住民族が世界各地から参加し、まさに先住民族にとっての外交の場といった感じでした。

また、2003年はジュマ・ネットがCHT・ナガ・サラワクから先住民族の方たちを招聘し、「大地と共鳴する人々」のシンポジウムを開催しました。ナガの人が来るというので、私も何回か会議に参加し、当日のお手伝いもしました。下澤さん、トムさん、みどりさんほか、ジュマ・ネットの人たちに出会ったのはこのころでした。今から思うと、あれこれ無茶な提案をしたりして困らせたと思うのですが、いろんな人たちと知り合いになれた貴重な機会でした。

今から振り返ってみると、2003年ははじめて国連に参加したり、ジュマ・ネットのシンポのお手伝いをしたりと、わたしの現在のNGO活動にとっては転換の年だったのだなと思います。それからもう6年も経ってしまいましたcoldsweats01

 

さて、明日から、国連NY本部で開催される「先住民族問題常設フォーラム」に参加してきます。CHTや、インド北東部ほか、いろんな国の先住民族が集まる国連会議です。また会議の様子もブログで報告する予定です:-)