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80年代半ば、インド・ビハール州のブッダガヤで、被差別カースト(ダリット)の子供たちのためのガンディー系寄宿舎学校、サマンバヤ・アシュラムに長期滞在した時のことをまた書きたいと思います。アシュラム本部は、お釈迦様が菩提樹の下で瞑想して悟りを開いた場所とされるマハーボーディ(大菩提)寺から歩いて一分の静かな裏路地にあります。門を潜ると、ぼろぼろの紺色のワンピースを着た少女たちが中庭を箒で掃いたり、果樹園からパパイヤの実を運んだりして、楽しそうに働いています。ムサハル(ネズミ喰い)と呼ばれ、大地主の農奴として何世紀も搾取されてきたダリット・コミュニティーの少女たちですが、来客に「ナマステー!」と合掌して元気に挨拶する瞳は、いつも輝いていました。

アシュラムで学ぶ少女たちの中にも、いろんな境遇の子がいたようです。親が養っていくことができず、嘆願して受け入れてもらった子達もいれば、アシュラム卒業生の両親が子供の教育のために進んで託すケースもありました。アシュラムでは、地域で蔓延する幼児結婚の風習を無くすためにも、ちゃんと16~17歳まで勉強を続けるさせるよう家族を説得し、本人たちが望む場合は卒業生同士の見合い結婚のアレンジもしていました。しかし、多くの家族は、娘たちを早く嫁がせて家事や家業を手伝わせる要望が強く、十三、四歳でアシュラムから引き上げて結婚させていました。そのような結婚式の夜は、一晩中、太鼓が鳴り響き、酒に酔った男たちが踊っている姿が見られました。

逆に、家族の理解も得られ、勉強もできる一部の少女たちは、卒業後にアシュラムが経営する村の学校の先生になり、僅かながら給料も得られる場合がありました。ただ、アシュラムは、独自のカリキュラムで教育を行う政府非公認の学校のため、卒業証書は一般の就職には役に立たず、出稼ぎもできない少女たちは村で結婚するしか選択肢はないようでした。何世紀も差別され搾取されてきたコミュニティーの中で、弱いものがさらに弱いものを押さえ込む悪循環を断ち切ることは容易でなく、少女たちが夢見ることのできる未来の展望は広いとは言えませんでした。そのような苛酷な現実が外で待っている少女たちも、アシュラムという安住の地で、互いに助け合い、友情を深める、しばらくの子供らしい時を過ごしているようでした。

そんな中に、他の子達と少し雰囲気の違う、ぽっちゃりして優しい目をした、バイラビーという女の子がいました。彼女は、ほかの子たちにいろいろと面倒を見てもらいながら、あまり大変な掃除や農作業をせず、のんびり過ごしていることが多いようでした。バイラビーは、7~8歳ぐらいの時に、野良犬といっしょにいるところを発見され、アシュラムに保護されました。赤ちゃんの時に捨てられ、野良犬に育てられたのでした。他の少女たちの丁寧な指導で、衣服を着たり、身体や身の回りをきれいにするスキルをかなり身につけていましたが、学び始めた時期が遅すぎたのか、言葉をしゃべることができません。それでも、手や指で合図をしたり、声を出したりして、かなりコミュニケーションをとっていました。彼女の素朴な微笑み、そして彼女を助けたり、おちょくったりして仲良くしている少女たちの姿を忘れることができません。

あれから15年ほど後、日本のお坊さんたちとインド仏跡巡礼に同行する機会があり、アシュラムにも立ち寄ることができました。いつもと変わらない子供たちの姿、だいぶお年を召されたドワルコ院長、白髪が増えたスレシュ先生などと再会でき、胸に熱いものが込み上げました。若い女性の先生たちの中には、あのころ、校庭で、はしゃいでいた少女たちの姿もありました。最初はピンと来なかったようでしたが、だんだん思い出してくれて、互いの消息を聞き、懐かしい話をしました。

「ところで、バイラビーは、どうしているの?」

バイラビーは、数年前に病気で亡くなっていたことを聞かされました。詳しい経緯を聞く時間もなく、一行とホテルに向かわなければなりませんでした。寂しい夜空に無数の星が煌めいていました。




もう二十数年前のことですが、インド・ビハール州の田舎の学校で子供たちと農作業などを共にしながら長期滞在する機会がありました。ガンディーの弟子たちが被差別カースト(ダリット)の人たちの解放を願って開いたサマンバヤ・アシュラムというところです。日本でも、ここにお世話になったNGO関係者は多く、「サマンバヤの会」が里親制度による支援を続けておられます。そこでの忘れられない経験について書いてみたいと思います。

87年秋、シャプラニールでアルバイトをしながらも将来について決めかねていた僕は、二回目のインドの長旅に出ることにしました。2年前にアシュラムで仲良くなった少年たちがどんな風に成長しているか、僕のことを覚えてくれているだろうかと、わくわくする思いでした。コルカタからの夜行列車は早朝にガヤ駅に到着し、40分ほどリキシャに載ってブッダガヤへと向かいました。町の喧騒を離れると、ナイランジャナ川の岸を走る道の両側に農村風景が広がり、霞の向こうに朝日を浴びた大菩提寺の仏塔が見えたときには、胸が高鳴りました。「ナマステー!」と挨拶して門をくぐったアシュラムの内庭では、女の子たちが朝の掃除をしていました。懐かしい顔もあれば、見慣れない顔もありました。「トムが帰ってきたよ」と再会を喜び、アシュラムの責任者、ドワルコさんの部屋に案内してくれました。

2~3日ブッダガヤで過ごした後、記憶をたよりに、乗り合いバスと徒歩で懐かしい田舎の男子校に向かいました。田んぼのあぜ道の遠方には、巨大な菩提樹の影で薪を運ぶ女性たちが休んでいるのが見え、インドの大地を歩いているんだ!という感慨が沸いてきました。井戸から足ふみ装置で水を畑にくみ上げる音、ろくろを回して瓦を作る職人、ござの上に稲籾を広げて乾燥させる女性たち、厳しい環境の中で逞しく生きる人々の姿が目に焼きつきました。迷い迷ってやっと学校に辿り着いたころには、夕べの祈りの時間になっていました。「オーム、シャンティ、シャンティ」というヒンドゥーの祈りに続いて、聖フランチェスコの「平和の祈り」やアメリカ公民権運動の「ウィー・シャル・オーバーカム」など、忘れもしない歌が心に深く響きました。

子供たちは、みんな元気そのもの!僕が去った後も、デンマークなど各国のボランティアが訪ねてきていたためか、最初はきょとんとしていて、再会に心躍る僕としては、期待はずれでしたが、だんだん思い出してくれたようで、教えたドリフターズの踊りやギャグを披露してくれ、ほっとしました。英語に関心が高かったアメリカ君、聡明なソハール君、若き哲学者のようなスレッシュ校長先生、恰幅のいいモハーン先生など、みんな再会を喜んでくれました。しかし、再会を楽しみにしていた何人かの子達の姿が見えません。すでに何人かは、学校をやめ、働き始めているとのことでした。

リズムのよい毎日がまた始まりました。夜明け前の鐘の音と祈り、農作業、水浴び、食事、勉強、放課後の遊び、夕飯、そして夕べの祈り。へっぴり腰を笑われながら子供たちと一緒に農作業に汗を流したあとは、じゃぶーんと池に飛び込んだり、ジャングルに木の実を探しに行ったり、先生たちからガンディーの話を聞いたりと、楽しい毎日が続きました。夜は、部屋に鍋で水を運び、その水の上でゆれる月の影に心洗われ、見上げる満点の星空に息を呑みました。森からザーッと風が吹き、「ホー、ホー」と鳥の声が聞こえてきました。

そんなある日、ルンギ姿の若者がふっとアシュラムを訪ねてきました。よく見ると、元生徒のクルディープでした!2年前は、牛で鋤を引くのが得意な、ちょっとひねくれものの13歳ぐらいの少年でした。どうしているのかと尋ねると1年前からカルカッタでリキシャ引きをしていると言われました。その若さで、数百キロも離れたベンガルという異国の大都会に身一つで出向き、稼いだお金をもって里帰りしていたのです。その見違えるような男らしい姿に驚きました。彼は、ルンギの結び目の中から、あるものを取り出し、誇らしげに見せてくれました。 

「妹のために買ってきたんだ」 

それは、インド製の、ちゃんと動くかどうか怪しそうな腕時計でした。

日本なら百円ショップでも買えそうな、その腕時計を見ながら、この同じ地球上に、どうして、これほど大きな境遇の違いがありえるのかと、身震いする思いでした。自分がとても恥ずかしくなり、こんな世の中はおかしいと憤りました。しかし何よりも、愛する人たちのために慎ましく直向に生存の闘いを続ける、この人たちの視点からしか、本当の世界は見えてこないと強く感じました。世界観が90度、カクッと変わるような瞬間でした。

「サマンバヤの会」
HP:http://www.questions.gr.jp/samanway/
ブログ:http://www.ratio.co.jp/blog/samanway/




総選挙でCHT和平協定の完全実施をマニフェストに掲げたアワミ連盟政権が今年1月に誕生し、2月にバングラデシュを訪問したCHT国際委員会との会見でシェイク・ハシナ首相はじめ新閣僚がCHT問題の解決に前向きな発言を連発しました。1997年の調印以来、十数年間滞っていたCHT和平協定の実施にやっと追い風が少し吹きはじめています。

この好機に在米ジュマ民族団体、Indigenous Jumma People's Network USA(IJPNUSA)から「和平協定の完全実施と憲法上の保障を求める署名キャンペーン」への協力要請が届きました。ジュマ・ネットでも、呼びかけに応えて署名集めに協力することになりました。ご署名は、各国から集まった署名と共に、南方系仏教でお釈迦様の誕生・成道・入滅の日とされるBuddha Purnima(5月9日)の日にIJPNUSAによって駐米バングラデシュ大使館に届けられます。

英文のサイトはこちらです:http://www.ijpnus.org/appeal_for_cht_peace_accord_97

ジュマの人々にとって大切な日に、その心の願いを届ける署名キャンペーンにご協力ください。下記の記入欄にローマ字でご氏名、ご所属(任意)、お住まいの都道府県、メールアドレス(任意)をご記入の上、「Submit」ボタンをクリックしていただければ、自動的に署名が登録されます。よろしくお願いいたします。

ジュマ・ネット副代表
トム・エスキルセン



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