先住民族

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

皆さんこんにちは!
バングラデシュでは冬から夏へ季節が大きく変わろうとしています。
今日は、3~4か月ぶりの大雨がランガマティにもふり日中暑かったのですが雨のおかげですっかり涼しくなりました。

今日は、ランガマティに住んでいるピノンの売れっ子デザイナーさんのお店にお伺いしたことをレポートしています!
ピノンのことで相談したいことが、と言ってチャクマの方と結婚されて現在はダッカに住んでいるちえこさんに相談したところ、今度ランガマティに来る際にデザイナーの方を紹介してあげるね。と言っていただき、お友達であるテンジンチャクマさんのお店へと連れて行ってくださいました。
テンジンさんとちえこさん.JPG
テンジンさんとちえこさん(中央が筆者)

ピノンとはご存知の方が多いと思いますが、チャクマ民族の女性の民族衣装
巻きスカートのほうをピノンと呼びます。
伝統的な着方はこのような感じです。
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テンジンさんはランガマティのランガパ二村からメインタウンに出ていくところにおうちと作業所を持っていました。
作業場.JPG
作業場

インドでデザインの勉強をしてこちらに戻ってきてからピノンを使った服を作るデザインを行っているとのことで、たくさんの作品を見せてくださいました。
ピノンを使ったスカート、ワンピース、ジャケットなど
中には結婚式に使うようなもやインドのミラーワークをふんだんに取り入れた作品もあり
村では見ない斬新なデザインを取り入れたものがたくさんありました!
ピノンで作ったジャケット.JPG
ピノンで作ったジャケット

ピノンで作ったスカート.JPG
ピノンで作ったスカート

ワンピース.JPG
ワンピース

どういう人がテンジンサンの服を購入するのか聞いたところ
ほとんどがチャクマ民族の女性たち。
どこの国でも、女性はおしゃれ好きだなあとやっぱり思わさせられました。
テンジンさんのおうちの横には作業所があり
ここで、刺繍などの作業はベンガル人の人によって行われているそうです。
専属で2名雇っているそうで、いろいろな道具や作りかけの衣装が並んでいました。
ピノンに刺繍を加えていたり、ピノンを切って普通の布と合わせたりとさまざまな工夫がされていました。
刺繍入りピノン.JPG
刺繍入りピノン

また、元になるピノンはどこで作られているのか質問してみたところ
なんと、私が暮らしているモノゴールのあるランガパ二村で織られているとのこと。
ほしい色を指定して、オーダーがあるときだけ織ってもらっているシステムだそう。
現在私は、日本でフェアトレード商品を扱ってらっしゃる深田真央さんと一緒にピノンを使ってなにかフェアトレード商品をと考えて村でピノンを織っている女性たちと話をしてたりしてるときに、昔はコットンで作ったピノンが多かったのですが今ランガパ二村で織っているピノンのほとんどはレーヨンでできています。
日本ではコットン生地のモノのほうがいいからということで
コットンでの織物の注文を行うのですが、帰ってくる返事は
「コットンはレーヨンに比べて作業が大変だからねえ」と。
みんな、織りたくない様子。

どうしたらいいのかなあと悩んでいたので、テンジンさんに相談してみると
コットンは、みんなやってないからねえいやがるだろうねえとのこと。
レーヨンよりも織り代が高くなるし、色落ちも早いからねえ。
と、テンジンさんのお店でもコットンのものはほとんど扱っていないとのことでした。
また、新しいデザインの服をオーダーする時にはどうしたらいいのかきいてみると
すでにみんなができる作業をすこしだけ変えてオーダーするとみんなも作りやすいと思うよ。
と、アドバイスしてもらいました。

丘陵地帯に住む先住民族の伝統を活かしながら日本人に合った製品。
CHTとのコラボレーションができるものはどんな形になるのかなあと
考えさせられました。

現地通信員・田中志歩
2015/03/18 Wednesdayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】ハロアガット・ガロ民族の村を訪れて

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

もう、2か月も前のことになりますが
クリスマスにダッカから北に8時間ほど行ったところにあるハロアガットという
インドとの国境に位置するガロ民族の村を訪れた時のレポートをします。

私がガロ民族の村を初めて訪れたのは今から約2年前の春
下澤先生に紹介され、アディバシフォーラムの代表を行っているションジップドロンさんの住むダッカの家をはじめ訪れました。
ジュマネットも昔入ったことのあるというガロ民族の村。
どんなところなんだろうと訪れたら、モンゴロイド系の民族がそこにも暮らしていました。
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ションジップさんの家族

ガロ民族の人たちは自分たちのことをマンディと呼びます。
マンディとは彼らの言葉で「人間」という意味
ダッカからほど近いマイメンシンにもガロ民族は住んでいるのでダッタでもお手伝いさんや警備の仕事をしているガロ民族の人をよく見かけます。
CHT の先住民族の人々ともよく似ているので時々チャクマの人かな?と思って話しかけると
ガロ民族だったなんてことがたくさんあります。
今住んでいるのはCHT。バングラデシュを知るきっかけとなったガロ民族の村にもう1度訪れたいな。そう思っていた時、ションジップさんがクリスマスに実家に遊びにおいでよと誘ってくださいました。
ガロ民族のほとんどはキリスト教徒
25日には大きなお祭りがあるよとのことで
ちょうど、昨年は25日が木曜日だったので26,27日の金曜日と土曜日のお休みとで3連休を使ってハロアガットへと行くことにしました。

チッタゴンに住んでいる日本人のお友達2人もガロ民族の村に行きたい!といってくれ
私たち3人でランガマティから遠く離れたハロアガットへと向かいました。
24日の夜行バスでチッタゴンからダッカへとまず向かうところから旅が始まったのですが
いつもはチッタゴンから乗ると10時に出ると朝の6時にはつくのですが
25日からの連休のためか、大渋滞。朝6時に目覚めた時にバスコンダクターさんから知らされたのはまだあと6時間はかかるよ。とのこと。
本当だったら25日のお昼にはハロアガットだったのに・・・
と、バングラデシュの渋滞のすごさに圧倒されながら過ごすことさらに6時間半
12時半にダッカへやっとの到着。
そこからさらにダッカのバス停に向かい、ハロアガット行きのバスに乗り込んだ時には2時になっていました。

ションジップさんはハロアガットに前日入りしていたので
電話で「今ハロアガット行きのバスに乗れました!」と報告すると
「ええ!?大丈夫?ついたらもう真っ暗だね。お祭り楽しめるかなあ」と言われながら
ダッカからさらに北に北にインドとの国境までバスの旅が続きました。
奥に見えるのはインド.jpg
奥に見えるのはインド

最初聞いたときは6時間とのことでしたがここでも渋滞
ぎゅうぎゅうずめのバスの中7時間北上し、ハロアガットへ着いたのはもう8時を過ぎ真っ暗。
真っ暗で寒いバス停で3人とも、お祭り終わっちゃったね。と残念がっているところに
ションジップさんの親せきの方々がバイクでお迎えにきてくれました。
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寒い朝

真っ暗闇の中バイクに2人乗り、バイクが思ったより早く進むので肌にあたる風が寒くて
寒い寒いと言いながら30分バイクに乗りました。
運転してくれているおじちゃんが
「今はくらいからわかんないけど、右側はインド。国境まであるいていけるよ」
と、言われたので
インドに行ったことあるの?と尋ねると、もちろん!ジャングルパスポートで!
と、言われびっくりしました。
ガロ民族の人の言うジャングルパスポートとはパスポートなしでということです。
日本のような島国ではどう考えてもできないジャングルパスポート
どうやって入国審査するんだろうと思いましたが
陸続きのこの土地ではよくあることなんだろうなあと思いながら
国は違うけどおんなじ民族があんな近くにいるんだものなあとそんなことを考えました。
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霧がいつもかかる橋

そうこうしているうちに、ションジップさんの実家に到着。
大変だったでしょうお疲れ様とねぎらわれながらご飯を食べました。
CHTに住む先住民族の人々も豚肉を食べますが、彼らも豚肉が大好き!
豚肉を中心としたごはんをふるまってもらいました。
ランガマティの味付けとは異なる調理の仕方で豚肉を料理。
大きな塊肉を柔らかくなるまで煮込むのがガロ流です。
料理もいっしょに.jpg
料理も一緒に

御飯が終わったところでションジップさんの家族を紹介してもらうと
なんと、半数がインドから来たとのことで。さらにその半数が
ジャングルパスポートでの入国で来ていました。
だから、私がベンガル語で話しかけても子どもたちが反応しなかったんだなあと納得しながら。
住んでいる国は違えど同じ民族の彼らは同じ言葉を使うので最初誰がどこから来たなんてわかりませんでした。
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インドから来た子どもたち

昔バングラデシュ側に住んでいて結婚したからインド側に今は住んでて
旦那はベンガル語しゃべれないよ。という人も
インドから来たガロ民族の人たちが、むこうはたくさんガロが住んでてね
今度しほもこればいいよ。と、にこやかに話してくれたことが彼らにとっての国境はあるようでないものなんだろうなあとそんなことを思いました。

私たちは参加できなかったクリスマスのお祭りの様子をみんながたのしかったね~
と、言いながら話していた時
遠くから太鼓の音と歌が聞こえてきました。
みんな、夜中まで近隣の家々を練り歩いているみたいでその一団がションジップさんの家にも登場!
輪になって踊り、歌いみんなクリスマスをお祝い。
おうちの人からはおやつとお茶がふるまわれ、私もすこしはクリスマスを満喫することができました。

2日目は親せきの家めぐりです。
よし!今日は私の実家でご飯食べようといわれ
私がずっとションジップさんの実家だと思っていた場所はションジップさんの奥さんのおうちだったことがそこで発覚!
ガロ民族は母系社会。奥さんの血筋の方々がここには集まっていることが分かりました。
バイクやCNGを家族みんなで貸し切って奥さんの実家からションジップさんの実家までバイクで走ること30分
今日はたくさん食べて行ってね!と歓迎をうけごはんを食べました。
みんなでごはん.jpg
みんなでごはん

ガロ民族の人は伝統的にバナナの木の皮をお皿にしてご飯を食べます
CHTに暮らす先住民族の人々はバナナの木もおかずとしてたべるのでそのことをみんなにいうと、えーそうなんだ!?とびっくりした様子。
何語が話せるの?何の民族と暮らしてるの?豚肉は食べるの?
そんな、質問攻めにあっていると
おじさんたちから手招きをされ、行ってみると
ガロ民族のお酒が!
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ガロ民族のお酒

お米を発酵させて作るウイスキーのような感じのお酒なのですこし酸味がきいているのですが、これが濃いこと濃いこと
初めて村に行ったときにジュースかなあと思ってふるまわれたお酒を1口のんだら
口の中が焼けるような思いをしたこのお酒名前が「チュー」と呼ばれていてかわいいです。
チッタゴンに住んでいる日本人のお友達はムスリム文化の中で生活しているため
お酒!すごい!と喜びながらおじさんたちと昼間から1杯
CHTの先住民族の人々もお酒を造って飲むのですがこちらは焼酎のような味で色も白いです
ほろ酔い気分でみんなでご飯を食べダンスを見て1日が過ぎていきました。
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まるで日本のお正月

バングラデシュには50を超える先住民族が暮らしていますがすべての民族それぞれの暮らしがあり、私もあったことのない民族がたくさんいます。
CHTの先住民族だけではなく他の地域に住んでいる先住民族の暮らしも勉強してみたいなと思いました。

現地通信員・田中志歩
2015/01/20 Tuesdayauthor: JummaNet サイト管理者

運営委員・安達のバングラデシュ再訪記

皆さんこんにちは。

運営委員の安達です。
2014年末にバングラデシュに行ってきましたので、現地の様子を書きたいと思います。
2008年以来、6年半ぶりに行ってきました。

バングラデシュに行くにはいくつかルートが有るのですが、
今回は料金の関係で中国東方航空を利用して、北京経由で行ってきました。
連休が長かったので一般的な、タイ、マレーシア経由は料金が上がってしまい、
まだ安かった中国経由で行ってきました。
移動時間が長いので、バングラデシュに長く居たい場合はオススメできません。

今回の旅行はチッタゴンにあるマハムニ母子寮に行くことが目的でした。

マハムニ母子寮は主に仏教徒の子供が120名住んでいます。
チャクマ、マルマ、ブルワなどバングラデシュでは少数民族の子供たちです。
家庭の状況で学校に通えなかったり、親の居ない子供が住んでいます。
母子寮から子供たちは近所にある学校に通うことになります。
約40年の歴史のある施設です。

親元から離れて暮らす子供たちに、クリスマスプレゼントを届けることと、
日本人が関わり作られた施設なので、遊びに行こうというコンセプトでした。

26日(金)に日本を出発し、北京で一泊。翌27日首都のダッカに入国。
28日にダッカからチッタゴンへ飛行機で移動して、マハムニ母子寮へ2泊3日滞在してきました。

母子寮の子供は、最低でも義務教育を受けられるように受け入れています。
バングラデシュの義務教育は小学校(1年生~5年生)までで、中学校からは授業料などの費用がかかります。
成績の良い子供は一部、中学校・高校にも行ける形になっています。

滞在一日目の夕方、プレゼント大会を開きました。
空港からマハムニ母子寮へ向かう途中駅前のバザールに寄っていろいろと買いました。

そしてくじ引きをして、景品を取る順番を決めてもらい、順にプレゼントを選びます。

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おもちゃを含めて買っていったのですが、小さい数字を選んだ子供は、かばんやノートといった学習道具を先に持ってゆくことが多かったです。
買い物するときの認識が甘かったです。


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翌日の午前中は皆で踊りを踊ろうということで、恋のフォーチュンクッキーを皆で踊りました。
日本人チームはだいぶ練習が必要だったのに、子供たちはだいたいの振り付けを1時間かからず覚えてひと通り覚えて、一緒に踊っていました。

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午後からは一緒に遊ぶことにして、いろいろと。
写真は今回募金やプレゼント代を出してくれた方々へのお礼状を書いているところです。

マハムニ滞在3日目の朝、チッタゴンへ向け出発しました。
また、時間が許せば戻ってきたい場所です。

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6年半ぶりに見るダッカは、乗用車の多さと空気の悪さがひどく驚きました。
車は、以前はワゴン車等の人数の乗れる車が多かったのですが、
家族向けの車が増えていて、自家用車を持つ家庭が多くなったようです。
そのため、道路を走る車の排気ガスがひどくなっていました。
乾期ということもあり、砂埃もひどかったです。

チッタゴン市内で目新しかったものは、リキシャに電気モーターを取り付けた
電動リキシャです。
リキシャワラ(リキシャの運転手)が以前は坂道だろうが、4人乗ろうが漕いでいた自転車がハンドルをひねればスピードが出て動くため、かなり楽になったのではないかと思います。

最後に、チッタゴンの船の解体場を見てきました。
最近はなかなか入りにくいそうで、伝をたどって入って来ました。
写真は掲載できませんが、なかなかすごい場所でした。


マハムニプロジェクト2014の帰国報告会を2月28日に予定しています。
ご興味のある方はぜひいらしてください。

■日時:2月28日(土) 18:00−20:00
■場所:赤坂区民センター 第一会議室
    (青山一丁目駅 又は 赤坂見附駅 徒歩10分)

 詳細はこちらから 

運営委員・安達

2014/12/02 Tuesdayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】日本語クラス

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

もう12月ですね。師走の季節がやってきましたが皆さんお元気でしょうか?
丘陵地帯も日に日に寒くなってきており、昼間でも太陽の当たらない場所は寒く
井戸水シャワーを浴びるのが少しつらい季節になりました。

今日は、私が5月から行ってきた日本語クラスについてお話ししたいと思います。
今、私はモノゴールで7年生と9年生(日本でいうと中学1,3年生)の子どもたちと
昨年から引き継ぎ高校生以上の生徒にも日本語を教えています。

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7年生男の子のクラス

子どもたちのクラスは、はじめ日本がどこにあるのかも知らない子たちばかり
もちろん、日本語なんて聞いたことがありません。
初めの頃は恥ずかしがって質問しても下を向いてしまっていた子どもたちですが
少しずつ慣れてくると、積極的に日本語学習に取り組んでくれ
~は日本語で何というの?という質問が授業で飛び交うようになり
校内で私を見かけると、日本語で挨拶してくれるようになったり声をかけてくれるようになったりしました。
主に、あいさつや日常会話など
日本人のお客さんが来たときにコミュニケーションができるようなフレーズや
日本の中学校の様子を交えながらの授業を行いました。
時々、日本文化の話をしたり一緒に折り紙を折ったり

学期の最後には、日本の料理を食べてみようということで
みんなでお好み焼きを作ってみました。

お好み焼き作成.JPG
お好み焼き作り

試作したときに、辛くないお好み焼きはおいしくないらしく残ってしまったので
今回は、お好み焼きをアレンジして、唐辛子や玉ねぎ、そしてニンニクも入れてみました。
さらに、油も多くしてあげるように焼いていくと、味の濃いお好み焼きが!
じょうずにやけるかな?

子どもクラスは120人の大所帯なので、この日は1日中お好み焼きを焼くことになりました。
大変でしたが、みんなが喜んでくれたのでよかった!
今は、子どもたちのクラスは進級試験があるので1月までお休みなのですが
来年、8年生9年生になったみんなとまたクラスをするのが楽しみです。

また、昨年度渡部さんが受け持っていたシニアコースの生徒たちの授業では
今年からは文字を取り入れ、読み書きもできるように。を目標に行ってきました。
みんな日本語学習2年目となるので、初めての日本語能力試験に3人が現在挑戦中です
漢字を読んだり、少し長い文章を読んだりと、趣味程度で行う日本語学習ではなく
毎回しっかりした授業、少ないとは言えない宿題
10月から強化訓練として、毎日9時から12時、15時から17時30分の約6時間を勉強してきました。
そんな彼らもこの12月7日がテスト本番!ダッカ大学で受験します。
シニアクラス.jpg
シニアクラス

今までの、コミュニケーション中心のクラスとは異なって、読み書きが中心
宿題もあるクラスにみんな心が折れかけながら頑張ってくれました。
何回も、クラスの運営やルールで生徒たちとぶつかりながら。
毎日そろわない宿題や、遅刻、無断欠席などで
どうしよう。と、悩む日がない日はなかったのですが
みんなと真剣に向き合っていくことで改善点を見出したり
お互いに理解しあったりできるようになったので
試験対策クラスをしたことは大きな経験になっているなあと思っています。
テストまであと少しですが、残り少ない時間頑張ってほしいです。

モノゴールの日本語クラスでは、様々なことを学ばさせてもらっています。
まず、母語じゃない言葉で授業するむずかしさ
最初は、みんなに私のベンガル語は伝わってるのか?と心配しながら恐る恐るでしたが
今は、間違えてもいいからしっかりはっきりと。をモットーに行っています。
間違えたら、生徒が訂正してくれるので私のベンガル語の勉強の時間にもなっています。
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9年生クラス

そして、子どもたちのクラスからは、興味を持続させながら外国語を教えること
これは、日本の子どもに外国語を教えるときと同じですが興味を持ってもらうことが1番
興味をなくすと休みがちになるので、ゲームを取り入れたり
歌を取り入れたり毎日工夫を行いながらクラスを進めることの大切さを知りました。

さらに、初めての経験だったのですが
自分よりも年上の人を生徒にもつこと。
シニアクラスの生徒たちは日本語が2年目ということもあって、コミュニケーションをとるのが上手。
日本語で自分の意思をすこし伝えることができるのですが
文字の勉強は、難しいしめんどくさい。そんな彼らと2か月間毎日6時間ほど勉強を行いました。
お互いの認識の差や文化の差などが1番大きく出た場面だったと思います。

2か月が過ぎた今
「あつい心 と つめたい頭」
昔読んだ緒方貞子さんの言葉が頭によくよぎりました。
あつい心で接するけど、冷静に。私は今回何度も生徒相手に怒ってしまったし
私も正面からぶつかるだけで、冷たい頭が抜けていたなあと。

テスト後1か月のお休みが明けたら日本語クラスも再スタート
今年の反省を活かせるクラスを運営していきたいです。


現地通信員・田中志歩
2014/11/04 Tuesdayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】コティンシボルダン

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

10月の満月の日の次の日からコティンシボルダンという大きなお祭りが
チッタゴン丘陵地帯のいたるところで行われています。
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パレード

この、コティンシボルダンとは仏教徒のお祭りで
夜6時から朝の6時までに布を織りあげるものです。
女性たちが夜を徹して綿から糸を紡ぎ、染め、24時間以内に法衣を織り上げて僧侶たちに奉納するというものです。

私の住んでいるランガパ二村も先月は毎日のようにどこかかしらのお寺がコティンシボルダンでみんなうれしそうでした。
10月30、31日にチッタゴン丘陵地帯の中で一番大きなお寺「ボノビハール」でのコティンシボルダンを最後にして今年のお祭りは終了しました。

このコティンシボルダンは、昔は綿花を紡いで、色を付けて、布を織るという作業をすべて行っていたのですが
現在綿花を紡ぐところから行っているのは私が知っている限りでは「ボノビハール」だけだということです。
簡略化が少しずつ進んできて、小さなお寺や人数の少ないお寺では織る作業から始めるようになってきているそうで、私が機織りに参加した2つのお寺もこの部類でした。

また、昔はお坊さんが着る袈裟を作っていたのですが、今では冬にお坊さんが寒さ対策で使う羽織を作っています。
コティンシボルダンは2日にかけて行われるのが一般的なのですが
1日目はお昼から機織りをする会場が作られ、屋台が並びます。
夕方になってくると、機織りを行う女性たちが集まりだし
5時、6時頃からお坊さんがお経を唱え、お寺の周りをお経を唱えながら回り
それが終わると、機織りのスタートです!

竹の策で囲われたブースの中に機織りを行う女性が入っていきます。
1ブース4人で行われるこの機織り。
どこのチームが一番早く織り終えることができるのかも競うこの機織り
エキスパートたちが集まる機織り大会のようです。
機織りの会場.JPG
機織りの会場

私は2つのコティンシボルダンに実際に機織りとして入れていただいたのですが
モノゴールの隣にあるお寺では、4人グループの一員として参加させてもらい
翌日の朝6時までの機織りを行いました。
機織り職人の女性たちの平均年齢は40歳以上。
おばあちゃんも多く、若い人を見かけることはほとんどありません。
私は今21歳なのですが、機織りの中では最年少でした。
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私も挑戦しました


現在、機織り文化の継承が少しずつ途絶えてきていることがここでも再確認されました。
若い世代に受け継がれなくなってきているんだなあと、思いました。
見ているだけの機織りとは違って、参加しているとわかる
「時間がないんだから早く」という機織りを行う女性たちの気持ちがどこからも感じられ
遅かったら、交代だからね。と、みんな真剣です。
6時までに終わらないとかっこ悪いでしょうと、全員相当なプレッシャーの中で織っていることがよくわかりました。

また、1晩中の作業なのでご飯も出ます!8時ごろにグループに分かれての食事
モノゴールの9年生の子どもたちはボランティア人員に駆り出されみんな
ご飯をよそったり、掃除をしたり、機織りさんにお茶をだしたり、警備にあたったりと
大忙しでした。

食事が終わると、もくもくと作業を進めていきます。
早いグループは、11時になるころには織りがスタートしていきます。
12時になるとみんな眠たいので交代で地面で寝ていきます。
わたしも寒い寒いと言いながらみんなで野宿。

3時になるとやっと私の番が回ってきました。
このくらいの時間になると、みんんつかれているのと、眠いのと寒いのが混じって
1つのミスで大ゲンカが始まります。
慎重にでも早く。
私もプレッシャーの中機織りを進めました。
6時頃空が明るくなってきたころ最後のチームが機織りを終えたところで
機織り職人の女性たちは家に帰って休みます。

2日目はお坊さんたちが主役です。
おぼうさんたち.JPG
お坊さんたち
織りあがった布を前にお坊さんたちがお経を唱え、お説法を行い
おみこしを担いでモノゴール中を練り歩きました。
このおみこしも、1つ1つ生徒たちの手作り。
女の子たちはそれぞれの民族衣装を着てめいいっぱいのおしゃれでした。
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おみこしと民族衣装の女の子たち

1年の中でお正月に続く大きなイベントをみんなで一緒に楽しむことができ
彼女たちの文化に触れることができました。
チッタゴン丘陵地帯だけでなく、バングラデシュの中でお寺がある地域ではどこでも行われているこのおまつり。
もっと、機織りを上達させて、来年は立派な機織りとしてもう一度コティンシボルダンに参加したいと思います。



現地通信員・田中志歩



2014/09/29 Mondayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】個性豊かな民族衣装(1)

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

バングラデシュでの生活もあと半年。後半に入りました。
8月、9月は日本の大学が休みということもありたくさんのお客さんが日本からランガマティにやってきました。
パーミッションが必要なチッタゴン丘陵地帯に外国人が少しでも多く入り、中の様子を日本に持ち帰って、先住民族のことや、丘陵地帯のことを周りの人に伝え、この土地の現状について、ここに住む彼らのことを1人でも多くの人が知ってくれたらうれしいと思いながら、ランガマティの紹介を行いました。
着つけてもらいました.JPG
民族衣装の着付け体験

しばらくお客さんが来ない時期が続きますが、また普段の生活に戻るんだなあと
ほっと一息。でもさみしいそんな日々です。

さて、今回のレポートでは、丘陵地帯の先住民族の民族衣装についてをお伝えしたいと思います。
チッタゴン丘陵地帯に住んでいる11の先住民族はベンガル人とは異なる独自の文化をそれぞれに持っています。言葉や文化、食べ物、そして今回のテーマである民族衣装もそれぞれ異なっています。

現在私はこの彼らのそれぞれにある民族衣装について関心があり調べているのですが
衣装が似ている民族もあれば、全く異なっていたりとさまざまで、毎日発見の連続で楽しく、いろいろな話が聞けるため毎回民族衣装について調査する際は新しいことを知れるためわくわくします。
いつもは、村で機織りをしているおばちゃんたちに機織りを教えてもらったり、機織りの歴史について尋ねているのですが
今回は、モノゴールの女子寮ビシャカボボンで暮らす9年生を対象に聞き取り調査を行いました。
9年生は日本語クラスを受講している生徒も多くいるため
普段からみんな「こんにちはー」「げんきですかー」と、声をかけてくれます。
9年生は2部屋に分かれて暮らしていて30人くらいの生徒数です。
手伝ってくれた9年生

初めにみんなに、じぶんの民族衣装作れる人はいますか?
と、質問してみたのですがその中で
作れる!と手を挙げたのは
ジュマネットの奨学生でもある「モットリカ・トリプラさん」と「プロンパラ・トリプラさん」を含め3~4人でした。
後のみんなは、お母さんは織れるけど、私はわかんない。習ってないとのことで
モットリカさんの自分で作った民族衣装をみて、みんなすごいねー!と。
聞き取りの後は日本語クラスを受講している生徒に協力してもらって
シェアと着つけを行ってもらいました。
今回は、バザールで手に入った
チャクマ民族、トリプラ民族、マルマ民族、トンチョンガ民族の生徒が活躍!

初めに、7人の生徒と衣装についてのシェアを行いました。
意外と、生徒同士もお互いの民族衣装について知らないようで
興味津々。お互いに質問が飛び交います。
みんなでシェア.JPG
みんなでシェア

同じ民族でも様々な織り方があるようで、出身が少し離れている生徒たちは
織り方に違いがあることを見つけて、面白いねーと話していました。
また、みんな昔の形からスタイルを取り入れていく民族衣装と伝統的なものの違いなどを一緒にシェアをしたのですが、個人によってかわいい、きれいだなあと感じるのはやっぱり異なっているようで、どのデザインがかわいい、この色一回着てみたいと、おしゃれにはやっぱり気を遣うんだなあと、どの国の女の子も同じだなあと思いました。

いよいよ着付け!
さすが、てきぱきと衣装を着つけていきます。
みんな、自分の民族衣装は1着持っていて、私が購入した民族衣装とともにお母さんやおばさんが手作りしてくれた民族衣装を着てもらいました。

もう、みなさんおなじみのチャクマ民族はこのような衣装を着ています。
チャクマ民族衣装.JPG

巻きスカートを「ピノン」上にかけているものが「カディ」
最近は、軒先で織っているピノンを見かけるとレーヨンでできたお祭り用のものをよく見かけます。
イリー・チャクマさんに着てもらったのは、お祭り用のピノン。
おばさんが作ってくれたようで、モノゴールでお祭りがあるときに着るとのことで机の下から大事そうに出してきてくれました。

次はマルマ民族。
マルマ民族の衣装はほかの民族が手織りをしているのですが
彼女たちの民族衣装は布に花柄などがプリントされているもの。
ミリープル・マルマさんに着てもらいました。
マルマ民族衣装.JPG

上下セットで着るのですが、ばらばらになってて
上着が「アンギ」下の筒状になっているスカートを「タミ」と言います。
手織りをしている人は少ないそうで私もいまだに手織りをしているという人に出会ったことがなく、手織りでマルマの民族衣装を作っている人にあってみたいなあと思っています。
決まった柄や色がなく、一番種類が多いのがタミだなあと感じます。
 
そして、トンチョンガ民族衣装を着てもらったのはプリアさん。
トンチョンガ民族衣装(1).JPG
笑顔がとってもかわいく、日本から来た友人のピノンの着付けまでしてくれました。

着付け方をおしえてもらう日本からのお客さん.JPG
着付け方をおしえてもらう日本人

トンチョンガの民族衣装は、呼び方がチャクマ民族と同じで
巻きスカートを「ピノン」、ストールを「カディ」と呼びます。
お母さんが作った民族衣装、そしてストールはチャクマ民族とはまた異なる織り方でした。
以前一度私も着せてもらったことがあるんですが、また違う模様が入っていて、興味深かったです。

最後はトリプラ民族。
トリプラ民族衣装の特徴はストールを横にして上半身に巻き付けます。
巻きスカートを「リナイ」ストールを「リシャ」と呼びます。
モットリカちゃんが、お休みで実家に帰った時に手作りしたものを着てくれました。
おちゃめな彼女は、いつも笑顔。写真を撮るときにはポーズを決めてくれました。
こんど織ってるのを見せてね。と、次は彼女の実家に案内してもらうことをおねがいしました。
モットリカちゃん.JPG

そして、こちらがバザールで買ってきた民族衣装をきてくれたプロンパラちゃん
すこし違うのが分かりますか?
トリプラ民族衣装.JPG

モットリカちゃんの作った伝統的な衣装には入っていなかったチャクマ民族のピノンにそっくりな縦のラインが入っています。
これは、スタイルとしていらているらしく正式なものとは違うとのこと。
私も最初はどっちが正しいのかわからなかったのですが、もともとは入ってないとのことでした。

あまり、学校では民族衣装を着る機会はないけれどそれぞれの民族衣装への誇りを子供たちからも感じることができました。
次の機会には、ほかのコミュニティー出身の生徒に手伝ってもらい、さらに丘陵地帯の織物について学びたいです。

現地通信員・田中志歩
2014/09/12 Fridayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】マルマ民族のおうちから

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

日本も9月にはいり残暑でまだまだ暑いとおもいます。
バングラデシュの丘陵地帯では朝方は冷えますが、やっぱり昼間は少し歩くだけで汗がだらだらとながれてくる暑さです。

今回は、バンドルバンへ先日訪れたことができたので、その様子をお伝えしますね!
ちぇれめいえの奨学生でもあるフラトアインチン・マルマ君が実家に帰るというので
同行させてもらうことができました。
フラトアインチン君の故郷はバンドルバン県タンチィ
彼の村には13家族が暮らしており、そのうち1つがトリプラ民族、3つがマルマ民族、残りはムロ民族という構成でした。
タンチィは首都のダッカから夜行バスでバンドルバン市まで12時間さらにバンドルバン市から4時間半ほど山をのぼり、おり、のぼり、おりを繰り返した先にありました。

村の様子.JPG
タンチィ村の様子

私がいつも暮らしているランガマティの主要民族はチャクマ民族
彼らの使うチャクマ語はベンガル語に似ていることもあって4か月のうちに少しずつですが使えるようになってきていたのですが、バンドルバンの主要民族はマルマ民族!
ベンガル語ともチャクマ語とも違う言葉の響きに初めは何を言ってるのかわからなかったけど、夜行バスの中での焼き付けのマルマ語を使ってコミュニケーション。

ココンヒンロー?(げんきですか?)
ココンヒンレー!(元気です!)

通じた時の喜びと言ったらなんといったらいいのか分からないくらいのうれしさ!
初めてベンガル語が通じた時のことを思い出しました。
同じバングラデシュにいるのに、ここまで違う言葉がこの人たちの母語なんだなあ。
と、感慨深かったです。

おうちは、チャクマ民族のものによく似ており、高床で竹作り。
チャクマ民族よりも少し高床で、ベランダを外に突き出るように作るのがマルマ流だとか。
高床に作ったおうちの下では、ガチョウや鶏、豚を家畜として買っています。
フラトアインチン君のおうち.JPG
フラトアインチン君のおうち

一通りの自己紹介が終わった後に、汗だくな姿を見て
水浴びしてきなさい。
と、勧められたのは川!
ここでは、ポンプなどの井戸水ではなく、川で直接水浴び!
つめたくってきもちよかったです。
川でみずあび.JPG
川で水浴び

ランガマティのランガパ二村も田舎だけど
本当にちゃんと村にやってきたんだなあと感じて初めての丘陵地帯の村体験に胸が躍りました。
水浴びの後はご飯!
チャクマ民族の料理とおなじかな、と思ったら料理にも違いが。
鳥を煮込んで作るスープやの鳥を独特なスパイスで味付けをするなど
マルマならではのミャンマーの文化に影響を受けた料理をいただくことができました。

また、机を見て驚いたのですが、日本のちゃぶ台にそっくり!
質問してみたところマルマの人たちはこの丸形の机でご飯を食べるとのことで今回訪れたおうちにはどこにでもこのテーブルがありました。
ちゃぶ台みたいな机.JPG
ちゃぶ台みたいなテーブル

村の人の暮らしは、焼畑を中心に営まれています。
遠くから見たことはあったけれど今回は実際に焼畑地にも実際に行くことができました。
焼畑の土地は家族ごとに場所が決まっていて、村から歩いて15分くらいのところにそれぞれの家庭の焼畑地があります。
ジュマへ向かう道のり.JPG
畑へ向かう道のり

ジュマの様子.JPG
焼畑地の様子

焼畑地にはそれぞれ、畑の中に小さなおうちが備え付けられています。
みんな、ジュマのおうち。と、呼びます。
朝から焼畑に出かけ、小屋で昼ご飯を作って食べて、焼畑に疲れたら一眠り。
焼畑では、お米や果物、野菜などが自然農のような形で植えられていました。

日本の畑の様子とは違う焼畑農業。
山全体が畑のような雰囲気
苦労が多いよ。と言いながら、も山の恵みを得ながらの生活。
そんな村の人たちの生活はのんびりと自然の中で行われていていいなあと思う反面
近代化の波はここにもやってきていて、現金収入が限られている中で
子供を勉強させるために町にあるいい学校に送ったり
病気になった時に薬代を工面したりなどの
日常の中で必要なお金を工面する方法がまだまだ少なく
お父さんは、ミャンマーで出稼ぎしてるよ。というマルマの家族が多く見受けられました。

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マルマのお母さん

今回は普段チャクマコミュニティーの中で過ごしていたらわからなかった
マルマコミュニティーの様子を知ることができてとてもうれしかったです。
マルマ語ももっと勉強したくなりました!
言葉や文化の違いを5感で感じることができ、やっぱり違う民族でそれぞれに文化への誇りがあるんだなあと再認識させられました。
話で聞くだけでは分からない違いが実際に訪れてみるとはっきりと見えてくる
村に訪れることは本当に貴重な体験だと思いました。
お世話になったマルマ族のみなさんありがとうございました。
今度は、ムロやキャンなどのコミュニティーも訪れてみたいです。
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マルマの民族衣装でおでかけ(中央黄色の服が筆者)

現地通信員・田中志歩



2014/08/19 Tuesdayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】世界先住民族デー

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

8月9日は世界先住民族デー
International Day of the World Indigenous People
バングラデシュでもダッカ大学のすぐ近くにあるショヒッドミナールで朝10時から
バングラデシュに住む先住民族の人々によるイベントが開かれました。
私も主催者の方に誘われてダッカへちょうど日本から来てくれていた友人といってきました。
会場に入ると民族衣装を身に着けた先住民族の方々がいっぱい集まっていました。
今日は子供も民族衣装!とってもかわいい!
色とりどりの民族衣装。CHTからはもちろん、平野部からも、モニプリ、ガロなど全国各地から勢ぞろい。
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                  チャクマのこども

ダッカ大学の学生たちが当日のボランティアを行っていたため
久しぶりにモノゴールを卒業してダッカで学んでいる大学生の友達にも会うことができました。
みんな、今日は自分たちが主役!
ボランティアの大学生.jpg
ボランティアの大学生

民族はちがえど、同じ立場で生きている者同士団結してイベントを成功させようという意気込みは同じ。
受付回り、物販、踊り子さん、フェンス係
どの役割の人も、誇らしげな表情です。

各地から、先住民族のオーソリティーの方々が集まり挨拶
各オーソリティー.jpg
各オーソリティの方々

CHTからは、ショントラルマ氏が来られていました。
「みんな民族は違えど、兄弟そのもの。団結していこう」というあいさつは聞いていて
こみ上げるものがありました。
バングラデシュには約 200 万人、45民族の先住民族が暮らしていますが
バングラデシュ政府は同化政策をすすめ、彼らの権利は守られていない状況が続いています
それでも、彼らの独自の言葉や文化があり、それを大切に生きている彼らがバングラデシュにはたくさん生活していることがこの日を通して少しでも伝わり、少しでも状況がかいぜんされるきっかけとなってほしいです。

各オーソリティーのスピーチが終わるとカルチャープログラムがスタート!
民族衣装で着飾った踊り子さんたちが勢ぞろい。
初めはガロのダンスからスタートしました。
ガロダンス.jpg
ガロのダンス

ガロの方々.jpg
ガロ民族

ガロ民族は北部に住む民族で民族衣装は巻きスカートの形をしていて細かな刺繍が施されています。
ダンスが始まると大盛り上がり!
ガロのダンスに始まり、チャクマ、マルマ、ボン、トリプラと少しずつ曲を組み込んだアレンジも披露されました。
自分の民族の曲がかかると、外で見ていた友達も歓声を上げ
すてきでしょ!と声をかけてきてくれます。
ジュマの民族の踊りが始まるとモノゴールで文化発表会がある際に耳にしたことがある歌や目にしたことのある踊りも見ることができました。
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ジュマのダンス



ダンスの後は劇
劇.jpg
バングラデシュ独立の劇

バングラデシュ独立の話でしたが、独立後の先住民族の状況
これからの明るい未来を願っての劇でした。
いろいろな民族が協力しての開催。
イベントが終わった後はみんなでラリーをしながら
物販の会場へ移動しました。

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ラリーの様子

CHTではおなじみの品がダッカで並び、みんなおもいおもいに商品をながめたり
久しぶりにあう旧友とのおしゃべりに興じたりと楽しいひと時を過ごしていました。
パンクワ民族 物販販売.jpg
パンクワ民族の物販

彼らと一緒にすごし、彼らの文化を学ぶ毎日
彼らのことを全部わかることは外国人の私には難しいかもしれないけど
それでも
すこしでも、彼らの感じているものの一部だけでも理解できるようになりたいです

CHTに住む先住民族だけでなく、平野部で暮らしている先住民族の今の状況や
彼らの歴史や文化も知りたいなあと
ますます、バングラでシュに住む彼らのことを知りたい、わかりたいと思わされる1日でした。

現地通信員・田中志歩
2014/07/01 Tuesdayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】バングラデシュの市場から

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

日本はもう梅雨明けでしょうか?
バングラデシュでは例年に比べてかなり遅い雨期入りに
みんな心配していましたが、今週に入ってからバケツがひっくり返ったような大雨で私もほっとしました。

今日は、バングラデシュの市場の様子をお伝えいたしますね!
バングラデシュの多くの人は毎日の食材を市場で調達します。
日本のスーパーとは違い、路上に野菜や果物、お肉、魚がずらーっと並び
野菜は野菜屋さん、果物は果物屋さん、お肉はお肉屋さんと別々に買い物をしていきます。

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野菜屋さん

唐辛子屋さん@ぼのるぱ.JPG
唐辛子屋さん

たくさんの人がひしめくバザールは見ているだけでいろんなものが売っていたり
いろんな人が通りがかるので楽しいです。
そして、値段も書いていないので、いくら?と聞きながら買い物をしていきます。
魚屋①@ぼのるぱ.JPG
魚屋さん



なかでも、肉屋さんは日本とは違い鶏がかごいっぱいに生きたまま入れられている様子は何度見ても圧倒されます。
鶏1匹を指差して、これくださいといってから
主人が鶏をさばいていきます。

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「ムルギーマンクショ」

スーパーでパックにされた肉を買うのが日常になっている日本ではない光景。
生きている動物を食べていることを毎日実感させられます。

また、市場ではおばちゃんやおじちゃんが井戸端会議に花を咲かせています。
今日のごはんは何にしようかなあとか
娘が昨日こんなことをいったんだよーと
楽しく話している様子を見ていると
どこの国でもおしゃべりはみんなだいすきだなあと思わされます。


現地通信員・田中志歩


2014/03/07 Fridayauthor: JummaNet サイト管理者

CHTの寄宿舎で学ぶということ

こんにちは!

現在、大学を休学しチッタゴン丘陵ランガマティにある寄宿舎学校Moanoghar(モノゴール)でボランティアをしている渡部です。

ジュマ・ネットの現地通信員として1年間、子どもたちの様子や現地の出来事をお伝えしています。 

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今日は、「チッタゴン丘陵地帯の寄宿舎で学ぶ」ということについて書きたいと思います。

この11カ月、日本語教師として、そして日本の大学の仲間と立ち上げたNGOちぇれめいえprojectの活動を通して、多くの少数民族の子どもたちに関わってきました。

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(わいわい1年生のクラス。)


わたしのボランティアしているモノゴールだけでなく、CHT(チッタゴン丘陵地帯)には寄宿舎学校がたくさんあります。

それは、前回のブログにも書いたように、山岳地帯の家からでは通える学校がないような子どもたちが、ある程度町に近いところにある寄宿舎に寝泊まりしながら学ぶからです。

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(寮母さんと生徒たちと女子寮の前で。下澤先生訪問の際。)


モノゴールには、現在、寄宿生と通学生が約600人ずつ在学しています。

1年生から10年生をあわせ、全校生徒1000人を超えるマンモス校です。

現在、チャクマ民族、マルマ民族、ムロ民族をはじめとする12の少数民族の生徒と、ボルア(身体的特徴はベンガル人であるが、宗教が仏教の人たちをこう呼びます。)の生徒が数人、学んでいます。仏教が圧倒的に多いですが、民族によって、キリスト教やヒンドゥー教、その他の土着の宗教を信じている子どもたちがいます。


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(日本語クラスを受講している8年生の生徒たち。)


普通のベンガル人、つまりイスラム教の子どもは受け入れていません。

 

さて、こんな寄宿舎にはいい点もあれば、考えるべき点もあります。

特に、チッタゴン丘陵地帯の「少数民族の子どもたちのための」寄宿舎学校での経験から感じることを書きます。

 

まずプラスな点。

少数民族の伝統、文化の継承に力を入れることができます。

 

政府のカリキュラムとは別に、それぞれの民族の伝統舞踊や歌、今は消えつつある文字を教える授業を設けています。

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(文化ステージの日。普段は着ないけどこの日は民族衣装でおしゃれ。)


必須科目である「宗教」の授業では、国の大多数を占めるイスラム教ではなく、自分たちの民族の宗教である仏教を教えています。

ただ、先生の数が限られているので、現在のモノゴールではすべての宗教に配慮することはできず、全員が仏教の授業を受けています。

また特にすばらしいと思うのは、今はすでに使われておらず、大人も読み書きができないチャクマ語を、時間割に組みこんで教えているということです。小学校4,6年生でこの授業を必ず受けるため、大人でも読めないチャクマ語を、モノゴールを卒業した子どもたちは読めるのです。

 

また、マルマ語、ムロ語も同様にモノゴールの寮の世話をしているスタッフが、自分と同じ民族の生徒を対象に授業を担当しています。

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(寮のスタッフでもあるマルマ語の先生は22歳。わたしと同い年。)


ベンガル人側(つまり政府側)から今も弾圧を受け続けるジュマの人々にとって、ジュマのスタッフが運営し、ジュマの寮母さんが子どもの世話をし、ジュマの先生が教える寄宿舎というのはなりよりも安心なのです。

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(学年ごと違う寮に暮らす。子どもたちの世話をするスタッフたちは本当の兄、姉のよう。)


しかし、マイナスな点もあることに気が付きました。

例えば、1年生から10年生までをこの寄宿舎で過ごす子どもは、ベンガル人の友達がいません。ベンガル人との一切の関わりがないまま大きくなります。しかし、町の高校に進むと、クラスの半数がベンガル人なわけです。初めて机を並べるのです。

 

以前、ランガマティ公立高校をのぞきに行きました。⇒その記事

教室には生徒がぎっしり。そのとき衝撃だったのはきれいに、ベンガル人と少数民族の生徒に別れて座っていたことでした。バングラの学校の机は日本のようにひとりひとつではなく、長机を45人で使うのです。


高校生とのこんな会話もショックでした。

「高校でさ、ベンガル人と少数民族の生徒、割合ってどのくらい?」

「うーん、半々かなあ。」

「じゃあ、クラスにベンガル人の友達もいるんだ」

「いないよ。すきじゃないから。」

 

学びも日常も寮の中での生活がすべての寄宿生は、ベンガル人の生徒と一緒に学ぶ経験も、笑う経験も、ご飯を食べる経験も、ケンカする経験もなく大きくなるのです。


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(去年の8月上旬に起こった、少数民族の村への襲撃事件。カグラチョリ。)


たしかに、この地域で起こった過去の内戦の事実は忘れてはいけない。

いまもしばしば起こる、少数民族への襲撃やレイプも許せない。

彼らの父親母親世代の多くはみな、難民キャンプで生き、家族を失った経験を持っている。

現在も続くCHTへの政府のベンガル人入植政策も、きちんととらえるべき問題である。

しかし、「ベンガル人=入植者」ではありません。

広いバングラには全くCHT問題の加害者ではないベンガル人、ここで起こった襲撃や内戦について全く知らないベンガル人(それもそれでまた別の問題ですが。)や、逆にマイノリティのために活動するベンガル人もいるのです。

そして変えられない事実として、この国の大多数はベンガル人なのです。

 

将来の、本当の平和のためには、大人から聞く、「悪いイメージしかないベンガル人」だけでなく、子どもの頃、一緒に笑うことから生まれる本当の交流も必要なのではないだろうか。


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(寮での夜ごはん。みんな大好き、じゃがいものカレー!)


将来、バングラデシュを担っていく、少数民族のリーダーになっているかもしれない子どもたち。

自分の国バングラデシュのことを、広い視野で知りながら、自分の文化に誇りをもって、成長していってほしいなと感じています。

 

(渡部清花)


2014/03/07 Fridayauthor: JummaNet サイト管理者

チャクマ族の王様たちと、山岳地帯をゆく 2/2

こんにちは!

現在、大学を休学しチッタゴン丘陵ランガマティにある寄宿舎学校Moanoghar(モノゴール)でボランティアをしている渡部です。

ジュマ・ネットの現地通信員として1年間、子どもたちの様子や現地の出来事をお伝えしています。 

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1月最後の週、4日間の、山岳地帯への旅に行ってきました。
天皇(陛下)の行幸?のようなものに同伴しました。
今回はその後編です。



いったいどうやってこんなにもたくさんのものが集まるのか!

というほど、マーケットはにぎわっていました。

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(チャクマ族は女が働きもの!)


野菜、果物、お米、日用品、洋服・・・

ここまで3日間、道中でわたしたちをぬかして行く、大きなかごをかついだ村人たちは、これらを運んでいたのです。

 

しかし、ここはやはり、「チッタゴン丘陵地帯」。

それを再認識したのは、おだやかなマーケットに、こうして軍隊がいることです。

ひとりではありません。

このマーケットだけでも、10人くらいが見回っていました。

道中、なんだか近代的できれいで大きな建物だね、と指さしたら、「あれはアーミーだから。」と言われたこともありました。

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(少数民族しかいない山奥にベンガル人の軍が銃を持って見回っているのは異様だった)



行く先々でのお出迎えの様子と、民族衣装、ダンスの様子を少し。

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(のもしゅかーる)


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(ある村では1000人ほどの村人が集合。)


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(この村のかわいい女の子たち。学校に一度も行ったことがないという女の子が多かった)


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(チャクマ民族の伝統的な踊りを披露してくれた女の子。)


ここからは、出会った子どもの写真シリーズを。

これは、お父さんのお手伝いをしているのか、大きなかごに入った野菜と油を運んできた少年たち。なにがおもしろいのか、げらげら笑っていました。


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水辺から遠いところに住んでいる家族は水汲みをしてきます。

女の子たちが、あぜ道を通って、遠くからこの釜に水を汲んで運んできます。


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汚くなるからやめなさい、ケガすると困るからやめなさい、迷惑をかけないようにしなさい、5時までに帰って来なさい・・・そんなことを言う大人はいませんから、子どもは本当に子どもらしく育つわけです。

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(この笑顔!こんな場所が、仲間が、時間が日常に存在する。)


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(ジュマの人たちの典型的な竹製の家。20年ほどもつ。)


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(二毛作が基本だそう。すべて手作業です。)



「貧困」について考えたことを少し書きます。

家族みんな、誰も飢えてはいない。

食べるものは畑で取れるし、米も野菜もある。

でも、現金収入を得るのが難しい。

年に一度の収穫時に売りに行く時が唯一の現金収入。

病院へかかるには、子どもを学校に行かせるのには、現金収入が必要。

そんな話をよく聞いたし、相談されたし、目の当たりにしました。

「子どもを学校に行かせられないと、このまま子どもも同じように大人になり、同じ仕事(焼畑または稲作)しかできなくて、孫も同じだ。」と。

彼らが言っていたこの課題に対して、なにができるのでしょう。

仕事を作る?・・・簡単なことではありません。

お父さんが出稼ぎに行くしか、定期的な現金収入を得る方法はないのでしょうか。

この場で、村で、なにかできたらいのかもしれないけれど・・・

そのとき、わたしはきちんと返事をすることができませんでした。


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(たまに日陰を貸してもらってひとやすみ。)


歩きすぎた全身筋肉痛と、崖ですべって足から出血したのと、正体不明の虫に刺され左足がとても腫れていることと、山の中のトイレ(壁がなくオープン。穴のみ)でお尻も虫に刺されたことと、冬に池での水浴びをしたので風邪をひいたのを除けば元気に帰ってくることができました!


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(最終日、日が暮れてから吸った水たばこ。相当肺にきました・・)


本で勉強していても絶対に得られないものを得ました。たくさんの人に出会い、様々なことを知りました。
へばっていたわたしにたくさん親切にしてくれた、村のおばちゃんたちに感謝です。

今回の経験は1つずつゆっくり言葉にしていきたいと思います。



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(一晩過ごした村での記念撮影。)




(渡部清花)




2014/02/27 Thursdayauthor: JummaNet サイト管理者

チャクマ族の王様たちと、山岳地帯をゆく 1/2

こんにちは!

現在、大学を休学しチッタゴン丘陵ランガマティにある寄宿舎学校Moanoghar(モノゴール)でボランティアをしている渡部です。

ジュマ・ネットの現地通信員として1年間、子どもたちの様子や現地の出来事をお伝えしています。 

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1月最後の週、4日間の、山岳地帯への旅に行ってきました。
天皇(陛下)の行幸?のようなものに同伴しました。
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(前から2番目を歩いているのがチャクマの王様)

年に一度のチャクマ族の王様一族のソーシャル行幸にご一緒させてもらえたのでした。
わたしがここ10ヵ月滞在しているのが、チッタゴン丘陵地帯にあるチャクマ民族の村々。

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(ボートと徒歩での移動を繰り返す。)

朝から晩まで、山登りとトレッキングと、クルージングと沢登りとマラソン大会とサバイバルキャンプをミックスさせたような日々でした。

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(歩く歩く歩く・・・19時間は歩きました。)


チャクマ族の王様は年に1回は自分の足で道とは呼べないような道を歩き続け、行く先の村々で子どもやおばあちゃんにも声を掛けながら進み、みんな変わらず暮らしているか、子どもたちは元気か、今年は農業に問題はなかったか、この村の一番の心配はなにか、そんな話を村人とするのです。

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(みんな、準備してきれいな民族衣装で出迎えてくれていました)

 

わたしのボランティアする寄宿舎学校はこの旅の期間、冬休み中でした。

子どもたちはそれぞれ山岳地帯の実家まで帰省していることは知っていたのですが、歩いて3日目に辿り着いた村で、生徒に偶然遭遇!

「こんな遠くに家があったのー?」というわたしを見てびっくりした彼は嬉しそうに「だから言ったでしょ!ぼくんち歩いて3日かかるって!」と。

ヤシの実のジュースをごちそうになりました。

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(新8、9年生の兄弟とお母さん。ヤシの実ジュース、ありがとう!)

 

まさかここは歩けない、と思うような岩と岩の間を、おばあちゃんのような人が飛んで渡っていきます。

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(もう一歩も進めない、と覚悟した瞬間の崖。つるつるすべる。)

このおばちゃんは、左手ににわとり抱えて、右手で頭にかついでいるカゴを支えて、どうやって上記の場所を突破したのか・・・

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さて、学校についてです。

「家から歩いて行ける距離に学校がある」という場合、その「歩いて行ける距離」が「2時間以内」ということなのでしょう。

子どもたちは、こんなふうに、川を越え、山を越え、学校へ通っていました。

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(みんなで毎日、助け合って川を越える。雨期には小舟。)

 

しかし、ほとんどの場合、1年生から5年生までの小学校しかありません。

モノゴールの生徒数が、6年生から一気にどっと増えるのは、こういった山岳地帯の子どもたちが家から通える中学校がないために、寄宿し学び始めるからです。

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(運動場はいらない。辺り一帯が自然の運動場。牛もいる。)

 

これは、ユニセフが建てた幼稚園(就学前児童向け)。

旅の途中で、6つほど見ました。

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家族についてです。

「お父さんとなんでもない時間を過ごす。」

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・・・これは本当に、日本人、見習うところですね。

『イクメン』なんて言葉はいらないわけです。

父親が子どもの成長に関わるのは当たり前です。

ディスにーランドへ行くわけでも、外食するわけでもない。そんな「スペシャルDAY」を作らなくても、いつもそばにお父さんはいるのです。


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(家の中の人口密度・・・・!)


(渡部清花)

        「チャクマ族の王様たちと、山岳地帯をゆく 2/2」へ続く



2013/12/28 Saturdayauthor: JummaNet サイト管理者

黒いバラの絵

今月からジュマ・ネットのスタッフになりました、竹中奈津子と申します。
一から勉強の日々です。どうぞよろしくお願いします。



ちょうど去年の今頃、奨学金支援をしているモノゴールの子どもたちから、素敵なお便りがとどきました。
二つ折りの画用紙の表には「Happy New Year」のメッセージ、内側には思い思いの絵を描いてくれています。

先生が、「みんながどんなところに住んでいるのか教えてあげましょう」と言ったのでしょうか。
緑の山に青い川、空には鳥が飛んでいて、オレンジ色の太陽が輝いている絵が多くありました。
子どもたちがそこではつらつと遊んでいる様子が目に浮かんでくるようです。

一枚一枚、ほほえましく眺めていましたが、ある一枚の絵にどきっとしました。
カラフルな他の子どもたちの絵に混じった、真っ黒なバラの絵。
大きなバラと小さなバラが寄り添うようにあり、周りには影が描かれていました。


心に大きな傷を抱えている子は、絵を描くのに明るい色を使わないのだそうです。
それは聞いたことがあったけれど、いざ目の当たりにすると、胸が締め付けられました。
先輩スタッフに聞いてみると、この子は襲撃事件でお父さんを殺されたのだそうです。
絵に添えられていた顔写真も、一人だけこちらを見ずにうつむいています。


彼の心には、青い空も明るい太陽も映らないのかもしれません。
大きなバラと小さなバラは、お父さんと彼なのでしょうか。


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私たちにできることはほんの小さなことかもしれません。
でも、もし彼に会うことができたら、「きみのことを思っている人が日本にもいるんだよ」と伝えたい。
彼が色とりどりの絵を描けるようになることを願っています。


事務局スタッフ
竹中
2013/12/26 Thursdayauthor: 現地通信員 渡部清花

ランガマティの独立記念日

こんにちは!

現在、大学を休学しチッタゴン丘陵ランガマティにある寄宿舎学校 Moanoghar(モノゴール)でボランティアをしている渡部です。

ジュマ・ネットの現地通信員として1年間、子どもたちの様子や現地の出来事をお伝えしています。 

*****************************************

少し遅くなりましたが、12月16日。

バングラデシュが独立して42年目の独立記念日です。

ランガマティの中心にあるスタジアムでも大きなイベントが開催されました。

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ランガマティにあるたくさんの学校の生徒たちが、セレモニーに参加。

これは少数民族の子どもたちが通う、1年生から5年生までの小学校の生徒たち。


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毎年、ダンスやパフォーマンスで各学校が競い、審査員によってNO.1が決定されるそう。

緑と赤はバングラの国旗の色。

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家族でこの日はスタジアムにやってくる人たちがたくさんです。


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ものすごい数の観客、そしてものすごい数のポリスが囲む中、無事にセレモニーは終了しました。

 

これで終わりかと思いきや、次に連れて行かれたのは・・・お寺。

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さらにものすごい数の人たちが、今日のために集まっていました。

3時間にわたるお祈り(お経?)。

パキスタンからの独立記念日。

自分たちの国を手にした日。

「ベンガル人」の「国」=「バングラ」の「デシュ」

少数民族の人々にとっては、独立記念日はどんな感覚のお祝い事なのか、少し気になるところです。

 

(渡部清花)


2013/12/24 Tuesdayauthor: JummaNet サイト管理者

ルニーとショバラニ

共同代表の下澤です。

もうずいぶんと時間が経ってしまいましたが、今年の8月に久しぶりにバングラデシュ、チッタゴン丘陵に行ってきました。これまでは共同代表のトムがバングラデシュ出張をしていてくれたのですが、バングラデシュ政府が入国を拒否したため私が今バングラデシュ出張をするようにしています。

ルニー(左)とショバラニ(右)は今ダッカのカレッジで勉強しています。
モノゴールで10年生まで勉強していて、ジュマ・ネットも支援をしていたのですが、成績が優秀ということで、支援を継続してほしいと要請したのです。ジュマ・ネットでも議論をし、継続を決めました。で、さっそく様子を見に行ってきました。

校長先生の許可を得て、会うことが許されました。新しい学校の制服を着た二人が出てきて、私を見ると、誰か気づいたようで笑顔になりました。

「新しい学校はどうですか?」
「なれないことが多いですが、楽しいです」
「勉強はどうですか?」
「ものすごくレベルが高く、ついていくのが精一杯です」
「実家には戻りますか?」
「イード休みには戻ります。今から楽しみです」

二人はちゃんと卒業できるでしょうか?不安と期待の両方を笑顔ににじませていました。

「将来はどんな職業に?」
「医者です」とショバラニ。
「NGOです」とルニー。

成長が楽しみですね。

ルニーとショバラニ.jpg


共同代表 下澤
2013/05/26 Sundayauthor: 現地通信員 渡部清花

僧侶になるための儀式(お坊さん3日限定体験もあり)

こんにちは。
今日は先日訪れた仏教の儀式についてお伝えします。

わたしが滞在しているランガマティをはじめ、チッタゴン丘陵地帯は仏教徒が多くを占めます。
皆とても信仰深く、どの家にも仏壇のようなものがあります。
毎日お祈りもしますし、学校でも宗教について学ぶ教科があります。
CNG(小型タクシー)の中にもブッダの絵が飾られていたり、携帯の待ち受けがブッダの人もめずらしくありません。
お坊さんは、とても尊敬される存在です。

いつもよくしていただいているお坊さんに、「今日は大事な儀式があるから、ぜひ来なさい」と誘っていただいて、「Prabajja Anustan(プロボッジャ オオヌスタン)」と呼ばれる、新しくお坊さんになるための儀式を見せてもらいに行きました。
ws0525-1.jpgのサムネール画像
  (いよいよだ・・・と緊張した面持ちの男の子)

この日は10歳くらいの男の子から55歳を超えるおじさんまで、50人が新しくお坊さんになりました。
儀式はこんな風に進みました。

まず前日に髪の毛を剃った人たちが列に並びます。
偉いお坊さんのお説教を聞いてから、お坊さんのオレンジ色の袈裟に着替えて、再び一列に並んでお経を読み、Buddhist name(お坊さんになったときもらえる名前)を3回ずつ呼ばれて、地域の人たちがもちよったごはんをみんなで食べます。
ws0525 -2.jpgのサムネール画像
  (この坪のようなものに入っているのが、お坊さんの袈裟。)

しかし、3時間におよぶこんな厳かな儀式でしたが、今回の儀式でお坊さんになった人が一生お坊さんかというとそうではなく、三日後にはお坊さんから普通の人に戻るそうです。
お坊さんとしての人生を続けたいと思えば一生続けることもできるということでした。

ちなみに、バングラデシュのお坊さんは結婚禁止なので、すでに結婚している人は3日後に必ずお坊さんから普通の人に戻らないといけないのです。
この3日間だけは特別に、すでに結婚している人でも、お坊さんとして瞑想や托鉢ができるとのこと。
この経験をすることは、男の人にとってとても大切なことだとも言われています。
(ここには女のお坊さんはいません。)
ws0525-3.jpgのサムネール画像
  (新しくお坊さんになった人たち。お坊さんとしての名前をもらいます。)

仲のいい同年代のお坊さんは、本当はこの儀式のあと、7日間だけお坊さんになってみるつもりだったそうです。
しかし、なぜかいま5年目とのこと・・・

わたしはこの地で、本当に尊敬できるひとりのお坊さんに出会えました。
お坊さんだから、ではなく、人間として尊敬できる人です。

わたしは仏教を専門的に勉強したわけでも、宗教学を深く勉強したわけでもありません。
でも、日本での毎日でまず考えることのない「宗教」というものの存在を全身で感じ考える機会にあふれています。




2010/09/05 Sundayauthor: 共同代表 下澤嶽

ハジョン(Hajon)のこと(4)

ハジョンのこと、これで最後です。

チナマティ(China-Mati)の問題のことです。


 今回Durgapur郡のBagaula地域に行ったとき、初めてチナマティ問題を知りました。

 チナマティとは、バングラデシュで陶器(現地でChina:チナ=陶器)をつくるための白土のことです。特にDurgapurの国境沿いの土は、バングラデシュで最高の土ということで、何十年も前から、土地の採集が続いています。小高い丘の白土を人足を使って掘り出し、トラックや船で運ぶのですが、これらの作業は政府から公式の採集許可をとったベンガル人による小さな会社(請負人)が行っています。


 採取場所が減ってきたこともあり、最近は丘に住んでいるハジョンのところにも会社が入り込んできて、家のすぐ脇の土地を深くえぐりとって採集をするようになってきています。そのため土砂が崩れ家が崩壊した場所、溝ができて家まど遠回りして行かざる得ない人、違う場所に住み変えた人などが続いています。

 私が訪ねたとき、すでに業者が入り込んで、ハジョンの家の脇を深く掘っていました。「どうして勝手に掘るんだ」と尋ねても、「俺たちは雇われているだけだから」と黙々と作業と続けていました。近くに住むハジョンの人も、佇んで作業を見つめていました。こうした状況が数年前から続いているということです。

 土採集会社は、賃金未払い問題を抱えているもの多く、会社側が労働者にまとまったローンを貸し付け利子をとるため、賃金だけでは返せない人も続出しているようです。そのためここで働いているHajonの人々はひどく搾取されているようです。
 一度抗議デモを実施し(すいません時期は確認していませんが)、新聞等にも掲載されたようですが、政府や会社側の動きはあまりなかったようです。この問題は深刻で、以前ジュマ・ネットがフリバリ炭鉱の問題を扱いましたが、これに似た構造を感じました。

 以上です。
 平野部の問題にジュマ・ネットとして何ができるのかわかりません。
 ただ、お世話になった方々、文化が押し殺されているハジョンの人々、チナマティ採取が理由で住む場所を奪われている人のことを考えると、やりきれない気持ちです。(写真は、ハジョンの家の脇の土を採取する業者たち)

チナマティ.jpg

2010/09/05 Sundayauthor: 共同代表 下澤嶽

ハジョン(Hajon)のこと(3)

ハジョンの続きです。

 

なぜこんなに人口が減ってしまったのでしょうか。

 パキスタン時代に急激に人口が減ったのは、1964年に起きた、ベンガル人の襲撃事件だったそうです。

 これはインドがアッサム地域に広がってきたベンガル人移住者を強制的にパキスタン側に追い返し、難民化したベンガル人がこのインド国境沿いにあふれ、政府は対応に苦慮していました。64年に小さな事件をきっかけにベンガル人のハジョン、ガロを狙った襲撃事件が発生、ハジョンらは大量にインド側に逃れました。多くのハジョンはインドから戻らず、彼らの土地の多くがベンガル人難民に分け与えられたということでした。

 こうした事件は、71年、75年にも発生していますが、最近は減って、ほとんど起きていないそうです。(写真は、ハジョンコミュニティに向かう道です。すぐ向こう側がインドです。)

 

ハジョンの村に向かう.jpg

2010/09/05 Sundayauthor: 共同代表 下澤嶽

ハジョン(Hajon)のこと(2)

さて、前回の「ハジョン」の続きです。

 わずかな時間ですが、彼らと接して強く感じたのは、「ハジョン意識の弱体化」「ベンガル化」です。

 たとえばベンガル人に囲まれた地域では、子どもたちはHajonの言葉を話せず、ベンガル語を常用し、年配者が家の中だけでHajonの言葉を使っているとこがいくつかありました。そうでない地域でも、Hajon語の中にかなりのベンガル語が混じって使用されているようです。


 また「Patin」という胸のあたりで巻いて着る女性の民族衣装も、糸が高いということでほとんど織られておらず、ほとんどの女性がサリーを常用しています。また頭の結い方も、これまでは後ろ左側に巻き込むように結っていたものが、ベンガル人女性と同じ髪型になってきています。お酒も近隣のベンガル人を気にしてあまり飲まないようにしているようです。


 ヒンドゥー教の神々が、コミュニティによって異なるため宗教共通の催事がなく、Hajon共通のネットワークがあまり強化されていないようです。ただ、古くからおこなわれてきた収穫祭のような「Kamakka」と呼ばれるお祭りがあるようです。しかし、これらはこれぞれのコミュニティでバラバラに行われているようです。

 土地の所有面積も少なく、非常に困窮しているのがわかりました。多くの人々が賃労働をしてしのいでいます。土地の喪失により、経済的にも大きな打撃を受けています。

 最後に。どこで話しても感じるのが、人々の「自信のなさ」といった雰囲気です。自分たちの文化を自由に楽しんだり、意見を主張したり、行政府に働きかけて要望を伝えたりということに、人々の強いパワーを感じることができませんでした。(写真は、村のことを聞きにいったときに集まってくれたハジョンの人々です。子どもが一番多かったです) 集まってくれたハジョンの人々.jpg

2010/09/05 Sundayauthor: 共同代表 下澤嶽

ハジョン(Hajon)のこと (1)

 今回、チッタゴン丘陵への出張後、バングラデシュ、マイメンシン県北部のハジョン(Hajon)の人々の村々を少し周ってきました。そのことを簡単にご報告します。

 ハジョンの人々とは、1991年頃、シェルプール県を歩いていたころ、偶然彼らの村を見つけ、ハジョン民族の存在を知りました。今回の訪問は、バングラデシュ先住民族社会の中で、彼らのプレゼンスがかなり弱いと感じることが多く、一度現場を見てみようと思ったからです。

 今回訪問した場所は、マイメンシン県のハルアガット、ネットロコナ県のドゥルガプール、シェルプール県のナリタバリという場所です。インド側のメガラヤの山々がかすんで見え、水田が広がり、アモンの田植えでどこも忙しそうでした。ときどき象が現れて、地域の村を襲うそうです。

 英国植民地時代は、マイメンシン地域全体にハジョン民族が主流民族として生活をしていたそうです。今はこの地域のマジョリティ先住民族となっているガロ、また今はほとんどインド側に移住してしまって数くないBanai民族、Dal民族も数多く住んでいたそうです。インド側にもハジョンが多数いるということですが、現在どのくらいの人口なのか調べていないのでわかりません。

 彼らはヒンドゥー教を信仰し、古くから稲作を中心とした農業を営んでいました。人口は1951年時に35,000人、現在は18,000人程度まで減少していると言われています。

 今は、私が見てきた地域にハジョンがかたまって住んでいると言われ、バングラデシュの先住民族の中でも、ベンガル化が進み、政治的・社会的にも弱い先住民族として指摘されています。顔かたちはガロとベンガル人を合わせたような風貌で、家も土で造られたものが多かったですが、ベンガル人の家に似ていると思いました。(写真は、ハジョンの女性で、パティンという民族衣装を着ているところです) ハジョン 女性衣装.jpg

 

バングラデシュ、チッタゴン丘陵和平協定の実施と平和を求めて署名キャンペーンを行なっています。★オンライン署名サイト⇒http://cht-global-voices.jp/ 


<署名キャンペーンにご協力頂いている皆様へ>

皆様からのご協力のおかげで、署名数がようやく「約7,600名」を超えました。
賛同団体の皆様、会員の皆様、支援者の皆様、また初めて「チッタゴン丘陵について知りました」という皆様からもご協力を頂き、心より感謝申し上げます。
オンライン署名の他にもFAXや郵送で続々と署名が届いております。ありがとうございます。

ようやく海外からの署名もエンジンがかかり、数が増えて来ました。
「10,000名」署名が目前に迫ってきました。何とかこれを超えて、国際市民社会からのインパクトをバングラデシュ政府に届けたいと思いますので、皆様、まだ最後までどうかご協力をよろしくお願い致します。(当初の目標は10万です)

【★重要なお知らせ★】署名の「締め切りを延長」致しました!
・郵送の場合:2010年『3月5日(金)』必着
・オンライン署名:2010年『3月5日(金)』頃
・提出時期:2010年3月中旬

※バングラデシュ政府に"効果的"に署名を提出するために現在調整を行っております。日本のみならず、バングラデシュを含めて呼びかけ団体間の相談によって、署名提出を3月中旬に変更いたしました都合により、署名の締め切りが、約1ヶ月延びることになりました。

※解説付きの署名用紙パンフレット
配布してくださる方は、ぜひジュマ・ネット事務局までご連絡下さい!すぐ送付致します。

※7名分署名が出来るフォーマットもダウンロード可能です(締切日は3/5です)

※引き続き、オンライン署名をぜひ、呼びかけて頂ける様にご協力をよろしくお願い致します。(ジュマ・ネット一同より)

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【転送歓迎】 ぜひご署名をよろしくお願い致します(ver.10.1.29)
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   バングラデシュ、チッタゴン丘陵(CHT)和平協定の実施と
       平和をを訴える世界同時キャンペーン
   Global Voices for Peace in the Chittagong Hill Tracts !
   オンライン署名はこちらから⇒http://cht-global-voices.jp/
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<賛同人・Mesbah Kamalダッカ大学歴史学部教授、バングラデシュ先住民族権利運動事務総長からのメッセージ>

バングラデシュ首相殿

貴殿はCHT和平協定を調印に至らせる勇気をお持ちでした。このため政治的な問題を政治的な手段で解決する歴史的な機会が作り出されました。今やチッタゴン丘陵の恒久和平を保障するために引き受けられた任務を貫徹すべき潮時です。
多様性を強みとして是認し、多元性を国策の基本方針とする機が熟しています。
民族、宗教、カースト、信条に関係なく全ての国民の対等な権利を確立する指導力を発揮してください。丘陵民の指導者と協議の上でCHT和平協定の完全実施の計画表を策定し、それを順守してください。

<賛同人Bob Brown上院議員(オーストラリア緑の党 党首)からのメッセージ>

国際社会は、ジュマ民族が自らの土地で平和を確立しようとする闘いを強く支持しています。新政権がチッタゴン丘陵和平協定の実施に前向きな姿勢を示していることに勇気付けられますが、すでに10年以上遅れている協定を完全に実施するよう改めて強く要請します。

<賛同人・阪口 直人衆議院議員(民主党)からのメッセージ>

和平協定の実施を後押しする為にチッタゴン丘陵に行きます。日本政府、そして日本の人々にもより強い関心を持ってもらえるよう、国会議員として取り組みます。

※オンライン署名サイトから、賛同人や賛同団体と、これまでの署名者から寄せられたメッセージを読むことが出来ます。⇒http://cht-global-voices.jp/

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<問題のあらまし> ジュマ・ネット代表 下澤嶽より

バングラデシュ、チッタゴン丘陵の民族対立と紛争はすでに30年近い時間が経とうとしています。1997年に政府とジュマの間で和平協定が結ばれたにもかかわらず、いまだに協定は実施されず、アジアの慢性的な紛争の典型例となっています。

しかし、2008年12月の選挙でマニュフェストに「和平協定の完全実施」を掲げていたアワミ連盟が勝利して与党として政権に返り咲き、大きく風向きが変わりました。

さらに2009年8月には、チッタゴン丘陵から軍の撤退が一部実現するといった、平和構築につながる動きが徐々に見られるようになってきたのです。

とは言え、人権侵害や土地紛争など問題は山積しており、予断を許さぬ状況です。一番の焦点は、バングラデシュ政府軍がここの利害関係から手を離せるかです。

そのために国際的な関心の喚起と、声(ヴォイス)が必要です。いま、チッタゴン丘陵はその課題の取り組みの歴史の中で、平和構築に向けた最大のチャンスを迎えつつあります。

ぜひ皆さんのヴォイスを出してください。それをバングラデシュ政府とバングラデシュ政府軍、そしてバングラデシュの市民の良心に届けましょう。

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<参考リンク>
朝日新聞2009/12/24 国際面『紛争地に和平の兆し 新政権、軍の一部撤退』

<チッタゴン丘陵(CHT)問題について、初めて聞く方へ>
CHT問題とは、和平協定とは⇒http://www.jummanet.org/cht/

<オンライン署名サイト>
●以下のサイトからぜひ署名をよろしくお願い致します!
 様々な国から、署名とメッセージが寄せられています。

<現在の署名数>
オンライン署名:5,600(1/29現在) 
紙による署名(バングラデシュ):約2,000 
合計で約7,600名(何とか1万が見えてきました!)

<署名集約と提出予定【変更しました】>
署名しめきり(郵送の場合):2010年3月5日必着
署名しめきり(オンライン署名):2010年3月5日頃
提出時期:2010年3月中旬

●以下のシェイク・ハシナ首相への要請にご賛同いただける方は、ぜひこちらからご署名をよろしくお願い致します。⇒http://cht-global-voices.jp/(オンライン署名)

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<要請文>

バングラデシュ人民共和国首相 シェイク・ハシナ殿

「CHT和平協定の完全実施を求めます。」

CHT和平協定の中で約束された、全ての土地紛争の解決、仮設駐屯地の撤退、県評議会・地域評議会への行政権の委譲、帰還難民と国内避難丘陵民の生活再建が、時限つきの工程表のもとで完全実施されることをバングラデシュ政府に要請します。

<呼びかけ団体>(4団体)
・ジュマ・ネット(日本)
・Organising Committee Chittagong Hill Tracts Campaign(オランダ)
・Indigenous Jumma People's Network USA (アメリカ)
・Jumma People's Network of Asia Pacific Australia(オースト ラリア)

<賛同人>(現15名)
・Mairead Corrigan-Maguire, 1976 Nobel Peace Prize Laureate,
  Co-founder of the Community of Peace People
(北アイルランド 1976年ノーベル平和賞受賞者)
・The Hon. Laurie Ferguson MP, Federal Member of Reid (NSW),
  House of Representatives, Member of the Australian Labor Party (ALP)
(オーストラリア 労働党 国会議員)
・茂田 真澄(勝楽寺 代表役員)
・池田 香代子(翻訳家)
・阪口 直人(民主党・衆議院議員)
・服部 良一(社民党・衆議院議員)
・Mohiuddin Ahmad, Chairperson, Community Development Library
・The Hon. Senator Bob Brown, Leader of the Australian Greens
(オーストラリア 緑の党 党首)
・The Hon. Janelle Saffin MP, Federal Member for Page,
  House of Representatives,Member of the Australian Labor Party (ALP)
(オーストラリア 労働党 国会議員)
・Ricardo Carrere, International Coordinator, World Rainforest Movement
(世界熱帯林運動 国際コーディネータ)
・Marcus Colchester, Director, Forest Peoples Programme
(森林に住む民族のためのプログラム 事務局長)
・Michael Heyn,Director, CHT Development Facility of UNDP
(UNDP-CHT事業責任者)
・Meghna Guhathakurta, Executive Director, Research Initiatives,
 Bangladesh
・The Hon. Lee Rhiannon, MLC, The Greens Parliament of New South Wales 
 Australia(オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ州議会上院議員)
・Dr. Sikder Monoare Murshed (Shourav Sikder), Professor and Chairperson
  Dept. of Linguistics, University of Dhaka
  (ダッカ大学言語学部長・教授)

<賛同団体>(現50団体)
・Association for Land Reform and Development (ALRD)
・Jumma Peoples Alliance (JPA)
・Jumma Peoples Network International
・Jumma Peoples Network in Japan
・Peace Campaign Group India
・Society for Environment and Human Development (SEHD)
・Survival International
・Vanishing Rites , UK
・New Internationalist Japan 
・Sarawak Campaign Committee 
・アジア女性資料センター(AJWRC)
・アーユス仏教国際協力ネットワーク 
・開発と権利のための行動センター
・「環境・持続社会」研究センター(JACSES) 
・認定NPO法人アジア日本相互交流センター・ICAN 
・NGO自敬寺
・市民外交センター 
・ジュマと歩む会
・浄土宗西山禅林寺派 宝泉寺
・先住民族の10年市民連絡会
・チェチェン連絡会議
・NPO法人懐かしい未来
・FoE Japan
・インドネシア民主化支援ネットワーク
・宗教法人孝道山本仏殿
・社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
・ビルマ市民フォーラム
・(特活)シャプラニール=市民による海外協力の会
・(特活)アジアキリスト教教育基金
・(特非)地球の木
・(特非)WE21ジャパン
・(特非)WE21ジャパンかなざわ
・(特非)WE21ジャパンいずみ
・(特非)WE21ジャパン旭
・(特非)WE21ジャパン大和
・(特非)WE21ジャパン港南
・反差別国際運動(IMADR)
・反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)
・生活クラブ生活協同組合・東京
・(社)日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)
・Asian Muslim Action Network
・Youth Coordination Center International
・Asian Muslim Lawyers Network
・Dependent Origination Society (DOS)
・Bangladesh Indigenous Peoples Forum
・AJHA International Chakma Organisation in France
・Jumma Peoples Network France
・Society for Women's Empowerment and Sustainability-SHRISTI (Nepal)
・SampreetiMancha
・Society for Threatened Peoples - Germany

(順不同・以後追加予定)

・現在署名者数 約7,600名(1/29現在、オンライン署名と紙の署名の合計)

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<キャンペーン事務局・お問合せ・署名送り先>
 ジュマ・ネット事務局(担当:佐藤・松田)
 〒110-0015東京都台東区東上野1-20-6丸幸ビル5F
 TEL&FAX:03-3831-1072(火曜~土曜10時~18時)
 Email:jummanet@gmail.com 
 URL:http://www.jummanet.org/
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バングラデシュ、チッタゴン丘陵和平協定の実施と平和を求めて署名キャンペーンを行なっています。★オンライン署名サイト⇒http://cht-global-voices.jp/

送信者 The appeal of implementation of the CHT Peace Accord, 19th Dec 2009

この和平協定実施の署名キャンペーンの締め切りが近付いて来ました。これまでに、世界にちらばるジュマ民族たちと、国際的な人権団体などが動き出し、ようやく世界キャンペーンらしくなって来ました。

この問題に関わる著名な人達も多く賛同や署名をしてくれ、和平協定の実施の必要性とあたり前の平和を求める気持ちに多くの人が共感してくれています。しかし、署名の数は、現段階で約5,600ほどと、目標にはほど遠い状態です。

せっかく、国際的な協力の連帯が出来てきたところです。2月には予定通りにバングラデシュ政府に署名を提出するために調整をしています。国際社会の市民の声として、インパクトを与える為にも、まだまだ頑張って数字を延ばしたいところです。

海 外でも、Survival InternationalやWorld Rainforest Movementのような巨大なNGOが広報の協力などをしてくれることになっています。また、バングラデシュ国内でも、ジュマの人達が中心になって署名 を集めています。日本国内でも、最後まで諦めずに、署名を少しでも多く集めたいと思います。

どうか、皆様のご協力をよろしくお願い致します。オンライン署名が可能ですので、MLへのメールの転送や、メールニュースやウェブサイト等への掲載、などどうか皆様からも、再度の呼びかけ(リマインド)を宜しくお願い致します。

ま た、紙による署名も受け付けております。署名用紙や、解説付きの黄色いパンフレットもございます。これを配布して頂ける方は、ぜひジュマ・ネット事務局ま で必要数をご連絡頂ければ、直ちに用紙をお送り致しますのでどうぞお気軽にお問合せください。(ウェブからもダウンロードできます)

どうかよろしくお願い致します!(ジュマ・ネット一同より)


  【転送歓迎】 ぜひご署名をよろしくお願い致します
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   バングラデシュ、チッタゴン丘陵(CHT)和平協定の実施と
       平和をを訴える世界同時キャンペーン
   Global Voices for Peace in the Chittagong Hill Tracts !
   オンライン署名はこちらから⇒http://cht-global-voices.jp/
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<賛同人・Mairead Corrigan-Maguireさん
(北アイルランド ノーベル平和賞受賞者)からのメッセージ>


30 年以上の武力紛争で苦しんできたジュマ民族は正義と平和を深く望んでいます。それは当然の権利です。このため首相、政府、全紛争当事者が1997年チッタ ゴン丘陵和平協定への重要な取り組みを推進し、持続させることを願っています。チッタゴン丘陵における平和の実現は、チッタゴンやバングラデシュの人々だ けでなく、世界中の人々に平和が可能だという希望を与えるでしょう。


<賛同団体・女性のエンパワーメントと持続可能性のための協会-SHRISTI
 会長、クリシュナ・クマリ・ワイバさんからのメッセージ>


バ ングラデシュ政府の和平協定実施への取り組みを歓迎いたしますが、今も続くバングラデシュのジュマ・コミュニティーに対する人権侵害に強く反対いたしま す。同時に一日も早く先住民族の権利および女性と子供の権利を回復させ、和平プロセスをしっかりと政策に組み込み、「公正な社会」を実現するよう要請いた します。

※オンライン署名サイトから、賛同人9名と、これまでの署名者から寄せられた
 メッセージを読むことが出来ます。⇒http://cht-global-voices.jp/
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<問題のあらまし> ジュマ・ネット代表 下澤嶽より

バングラデシュ、チッタゴン丘陵の民族対立と紛争はすでに30年近い時間が経とうとしています。1997年に政府とジュマの間で和平協定が結ばれたにもかかわらず、いまだに協定は実施されず、アジアの慢性的な紛争の典型例となっています。

しかし、2008年12月の選挙でマニュフェストに「和平協定の完全実施」を掲げていたアワミ連盟が勝利して与党として政権に返り咲き、大きく風向きが変わりました。

さらに2009年8月には、チッタゴン丘陵から軍の撤退が一部実現するといった、平和構築につながる動きが徐々に見られるようになってきたのです。
とは言え、人権侵害や土地紛争など問題は山積しており、予断を許さぬ状況です。
一番の焦点は、バングラデシュ政府軍がここの利害関係から手を離せるかです。

そのために国際的な関心の喚起と、声(ヴォイス)が必要です。いま、チッタゴン丘陵はその課題の取り組みの歴史の中で、平和構築に向けた最大のチャンスを迎えつつあります。

ぜひ皆さんのヴォイスを出してください。それをバングラデシュ政府とバングラデシュ政府軍、そしてバングラデシュの市民の良心に届けましょう。
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<参考リンク> 
朝日新聞2009/12/24 国際面『紛争地に和平の兆し 新政権、軍の一部撤退』
http://www.asahi.com/international/update/1224/TKY200912240001.html

<チッタゴン丘陵(CHT)問題について、初めて聞く方へ>
CHT問題とは、和平協定とは⇒http://www.jummanet.org/cht/

<オンライン署名サイト>
●以下のサイトからぜひ署名をよろしくお願い致します!
 様々な国から、署名とメッセージが寄せられています。
・日本語:http://cht-global-voices.jp/
・英 語:http://cht-global-voices.com/

<現在の署名数>
オンライン署名:3,600(1/17現在) 
紙による署名(バングラデシュ):約2,000 
合計で約5,600名(当初の目標は10万人でしたが、何とか1万を越したいですね)

<署名集約と提出予定>
署名しめきり(郵送の場合):2010年1月31日必着
署名しめきり(オンライン署名):2010年2月7日頃
提出時期:2010年2月中旬

●以下のシェイク・ハシナ首相への要請にご賛同いただける方は、ぜひ
こちらからご署名をよろしくお願い致します。
http://cht-global-voices.jp/(オンライン署名)
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<要請文>

バングラデシュ人民共和国首相 シェイク・ハシナ殿

「CHT和平協定の完全実施を求めます。」

CHT和平協定の中で約束された、全ての土地紛争の解決、仮設駐屯地の撤退、県評議会・地域評議会への行政権の委譲、帰還難民と国内避難丘陵民の生活再建が、時限つきの工程表のもとで完全実施されることをバングラデシュ政府に要請します。


<呼びかけ団体>

・ジュマ・ネット(日本)
・Organising Committee Chittagong Hill Tracts Campaign(オランダ)
・Indigenous Jumma People's Network USA (アメリカ)
・Jumma People's Network of Asia Pacific Australia(オースト ラリア)

<賛同人>(現15名)
・Mairead Corrigan-Maguire, 1976 Nobel Peace Prize Laureate,
  Co-founder of the Community of Peace People
(北アイルランド 1976年ノーベル賞受賞者)
・The Hon. Laurie Ferguson MP, Federal Member of Reid (NSW),
  House of Representatives, Member of the Australian Labor Party (ALP)
(オーストラリア 労働党 国会議員)
・茂田 真澄(勝楽寺 代表役員)
・池田 香代子(翻訳家)
・阪口 直人(民主党・衆議院議員)
・服部 良一(社民党・衆議院議員)
・Mohiuddin Ahmad, Chairperson, Community Development Library
・The Hon. Senator Bob Brown, Leader of the Australian Greens
(オーストラリア 緑の党 党首)
・The Hon. Janelle Saffin MP, Federal Member for Page,
  House of Representatives,Member of the Australian Labor Party (ALP)
(オーストラリア 労働党 国会議員)
・Ricardo Carrere, International Coordinator, World Rainforest Movement
(世界熱帯林運動 国際コーディネータ)
・Marcus Colchester, Director, Forest Peoples Programme
(森林に住む民族のためのプログラム 事務局長)
・Michael Heyn,Director, CHT Development Facility of UNDP(UNDP-CHT事業責任者)
・Meghna Guhathakurta, Executive Director, Research Initiatives, Bangladesh
・The Hon. Lee Rhiannon, MLC, The Greens Parliament of New South Wales
 Australia(オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ州議会上院議員)
・Dr. Sikder Monoare Murshed (Shourav Sikder), Professor and Chairperson
  Dept. of Linguistics, University of Dhaka(ダッカ大学言語学部長・教授)

<賛同団体>(現49団体)
・Association for Land Reform and Development (ALRD)
・Jumma Peoples Alliance (JPA)
・Jumma Peoples Network International
・Jumma Peoples Network in Japan
・Peace Campaign Group India
・Society for Environment and Human Development (SEHD)
・Survival International
・Vanishing Rites , UK
・New Internationalist Japan 
・Sarawak Campaign Committee 
・アジア女性資料センター(AJWRC)
・アーユス仏教国際協力ネットワーク 
・開発と権利のための行動センター
・「環境・持続社会」研究センター(JACSES) 
・認定NPO法人アジア日本相互交流センター・ICAN 
・NGO自敬寺
・市民外交センター 
・ジュマと歩む会
・浄土宗西山禅林寺派 宝泉寺
・先住民族の10年市民連絡会
・チェチェン連絡会議
・NPO法人懐かしい未来
・FoE Japan
・インドネシア民主化支援ネットワーク
・宗教法人孝道山本仏殿
・社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
・ビルマ市民フォーラム
・(特活)シャプラニール=市民による海外協力の会
・(特活)アジアキリスト教教育基金
・(特非)地球の木
・(特非)WE21ジャパン
・(特非)WE21ジャパンかなざわ
・(特非)WE21ジャパンいずみ
・(特非)WE21ジャパン旭
・(特非)WE21ジャパン大和
・(特非)WE21ジャパン港南
・反差別国際運動(IMADR)
・反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC)
・生活クラブ生活協同組合・東京
・(社)日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)
・Asian Muslim Action Network
・Youth Coordination Center International
・Asian Muslim Lawyers Network
・Dependent Origination Society (DOS)
・Bangladesh Indigenous Peoples Forum
・AJHA International Chakma Organisation in France
・Jumma Peoples Network France
・Society for Women's Empowerment and Sustainability-SHRISTI (Nepal)
・SampreetiMancha
(順不同・以後追加予定)

現在署名者数 約5,600名(1/17現在、オンライン署名と紙の署名の合計)

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<キャンペーン事務局・お問合せ・署名送り先>
 ジュマ・ネット事務局(担当:佐藤・松田)
 〒110-0015東京都台東区東上野1-20-6丸幸ビル5F
 TEL&FAX:03-3831-1072(火曜~土曜10時~18時)
 Email:jummanet@gmail.com 
 URL:http://www.jummanet.org/
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2009/11/25 Wednesdayauthor: Miki

国際協力の現場で使える英会話教室 

 12月からジュマ・ネット副代表のトムの第2回 英語講座が始まります。

※詳しくは 第2回 トムのNGO専門英語講座 ~ 人権の「てにをは」を英語で学ぼう ~ 受講者募集中! をご覧下さい。

 受講者はまだまだ募集中なので、ぜひご参加くださいね。内容は、1回ずつ完結ですので、クラスがスタートしてからの2回目以降の部分参加も大歓迎です。

 私も前回参加したのですが、とても勉強になりました。国際協力の現場で使える英語の表現方法や、多くの矛盾する現実があることも学びました。
 参加者もNGOのスタッフ、学生さん、留学経験者やこれから留学する人など様々で参加者との交流もとても学びの多い場になりました。

 身内を誉めるのもなんですが、講師のトムさんは、語学に関しては(も?)、素晴らしい能力を発揮します。日本育ちのアメリカ人なのですが、日本語は私より上手かも...。深い日本語もよく知っています。日本語、英語の他にもベンガル語も堪能です。以前、バングラデシュからゲストが来た際、京都観光に行ったのですが、ベンガル語で三十三間堂を説明していたのには、脱帽でした。(私は日本語でも説明できません。恥ずかしながら)環境・先住民族・人権・仏教に関しては、活動家としても通訳者としても第一線で活躍する日本でも数少ない貴重な存在なのです。

事務局 佐藤未希

前回の参加者の感想文です。

 この講座は少人数でアットホームだったので、とても楽しく受講しました。トム先生は受講生がリラックスして話すようにいつも気をつかってくださいましたし、受講生も学生から社会人まで幅広かったので毎回の議論が面白かったです。
 
 毎回の授業の宿題は、人権に関する英語レポートを事前に読み、各受講生に割り振られる担当箇所の文章を英語で要約して発表することでした。簡潔で的確に文章を要約したり、分かりやすい発表をしたり、難しい文章を自分のことばに置き換えて話したりする訓練になると思います。レポートの内容は、国際協力NGOで働いている私にとっては仕事で必要な知識も多く、本当に勉強になりました。また、先生からチッタゴン丘陵地帯の最新の情報や人権NGOの考え方を学べたのも興味深かったです。レポートには難しい内容も含まれていたと思いますが、わからない部分は事前や授業中に質問すると、丁寧に教えていただけました。
 
 この講座は特に、国際問題を英語で議論できるようになりたい方、仕事や留学先で使える実践的な英語を身につけたい方、もっと深く人権について学びたい方などにお勧めです!ぜひ皆さんも受講してください。 宮下恵




2009/06/05 Fridayauthor: 副代表 木村真希子

国連の先住民族会議に参加してきました(3)

バングラ出張報告のフルーツ、おいしそうですねcatfaceそういえば、私が留学していたデリーもこの時期は暑くて何もできないのですが、唯一の楽しみがマンゴーでした。朝も昼も晩もマンゴーとヨーグルトで食事を済ませていたような気がします。

大学で非常勤講師をするようになってから、この時期にインドに行けなくなって、おいしいマンゴーが食べられないのはちょっとさみしいですdespair

さて、国連会議報告の続きを。

2007年9月に「先住民族の権利に関する国連宣言」が国連総会で採択されました。先住民族の人たちにとっては非常に重要な土地権や資源権、自決権などが確立された重要な宣言なのですが、実際に国家や国民の人たちが理解し、実行しようと思わなければなかなか目に見える成果となって表れてきません。

アジアの多くの国では、宣言の影響が多少なりとも目に見えているのはネパールや日本など、ごくわずかです。みんな深刻な人権侵害や貧困など抱えていて、それをどうにかする手がかりを求めて国連にやってきます。そのため、宣言実施に関する話し合いは今回のフォーラムでも非常に重要なテーマとなっていました。

下の写真は、人権理事会に任命された先住民族の権利に関する特別報告者ジム・アナヤ氏とアジアの先住民族の会合の際のものです。法律の専門家とこうして会合を持って、アドバイスをもらうのも重要な活動の一つです。

 

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CHTから来た人たちは、やはり和平協定の実施をどのように進めるかを国連宣言実施のプロセスと重ねて、模索しているようでした。下の写真は、CHTからの参加者お二人と、アジア・コーカス夕食会で撮ったものです。

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左はゴータム・チャクマさん、真中は筆者、右がムリナル・カンティ・トリプラさん

一週間でしたが、いろんな事を学び、刺激を受け、そして勇気づけられました。国連に行っても劇的に状況が変化するわけではないのですが、それでも参加し続けたいと思うのは、やはり他の国でも困難に直面しつつ頑張っている人たちの存在に励まされ、学び、頑張ろうと思えるから。来年も参加できるといいな。

 

2009/06/04 Thursdayauthor: 副代表 木村真希子

国連の先住民族会議に参加してきました(2)

ちょっと間があいてしまいましたが、国連会議の報告をもう少し。

前回報告したように、会議中に自分たちの状況を報告したり、国家や国連に対して提言することも重要な活動ですが、なんといっても2000人以上が参加する大きな会議。みんな会議以外の場でも、自分たちの活動スペースを広げる工夫をします。

アジア先住民族がここ数年、開催しているのが夕食会。アジア各国から来ているいろんな先住民族グループの人が協力してお金を集め、第1週目の夜に常設フォーラムの委員や各国政府代表を招待して夕食会を開催します。中華料理を近くのお店からケータリングして、飲み物も出して、毎年60-80人以上参加する賑やかな食事会となります。

実は国連の会議では、お食事を一緒にしながらいろんな話をしたり、自分たちの持つイシューを話して印象付けるのは非常に重要な活動の一つなのです。常設フォーラムの委員を招いて、一緒にお食事しながら歌やダンスを披露したりするのも、大事なロビー活動の一つ。

下の写真は、夕食会で撮ったものです。アジア先住民族のネットワーク団体であるAIPPの議長、事務局長、そしてUNDP(国連開発計画)でアジア地域の先住民族プログラムを推進するチャンドラ・ロイさんです。チャンドラさんはチャクマの女性。アジア先住民族のリーダーは、女性で活発に活動している方が非常に多く、元気づけられます。

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左から、AIPP議長のスイ・カーさん、UNDP先住民族地域プログラムのチャンドラ・ロイさん、AIPP事務局長のジョアン・カーリングさん。

2009/05/28 Thursdayauthor: 副代表 木村真希子

国連の先住民族会議に参加してきました(1)

5月18-22日の間、国連先住民族問題常設フォーラムの第8会期に参加してきました!

日本では豚インフルエンザで大騒ぎで、国連NY本部で感染者も出たということで、行くことに少しためらいもありましたが、行ってみるとNYではマスクの人を見ることもなく、みな平常通りでした。

国連にはいくつか先住民族に関する機関がありますが、今回参加した常設フォーラムは2002年に設置されました。毎年、テーマが設定されて、世界各地から来た先住民族の人たちがそれぞれの置かれた状況について報告し、国連のできること、してほしいことについて要請を出します。今年は先住民族の権利宣言の実施などがテーマでした。

ただ、毎年発言者が集中するのは「人権」の議題。世界から集まってくる先住民族の人たちは、それぞれ国内で深刻な人権問題を抱えています。フォーラムは加盟国政府に対して命令することはできず、勧告するのみなので、発言してもすぐに改善するとは限らないのですが、それでもみんな国内で解決できない問題を数多く報告します。

下の写真は、インド北東部マニプル州の先住民族の友達です。今年のはじめに大規模な軍事作戦が展開され、彼自身も身の安全が確かではない中、勇気を持って状況を報告していました。

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2009/05/15 Fridayauthor: 副代表 木村真希子

先住民族運動との出会い

<タイトルが違いますが、5月7日の「ナガランドとの出会い」のつづきです。>

ナガランドの独立運動について論文を書くため、先住民族に関する文献を調べていて、日本では市民外交センターがアイヌ民族の国連参加を支援していることを知りました。そこで代表の上村英明さんに連絡を取り、市民外交センターの活動にも少しずつ参加するようになりました。当時、上村さんは琉球・沖縄民族の問題を先住民族の視点から考えることを試み始めており、同じ年代の沖縄出身の学生さんたちと一緒に沖縄の基地問題などを国際人権法の視点から考える勉強会に参加したりもしました。ナガランドだけでなく、世界に広がる先住民族運動というものを実感し始めました。

本当はこうしたNGO活動をずっと続けたかったのですが、一方で自分の研究者としての将来を考え、2001年にインドに留学することになりました。ナガランドの研究を続けたかったのはもちろんですが、現地に入れない地域を論文の対象として選ぶのは難しく、隣のアッサム州を選びました。その時はずいぶん残念に思いましたbearingが、他の北東部の地域のことを知るきっかけとなったので、今では回り道したことが結果的によかったなと思っています。

インドでの現地調査は2年間でひと段落したので、2003年からインドと日本を行き来し、また長年興味のあった国連先住民作業部会にも市民外交センターの一員として参加しました。スイスのジュネーブで毎年開催されていたこの会議は、毎年1000人以上の先住民族が世界各地から参加し、まさに先住民族にとっての外交の場といった感じでした。

また、2003年はジュマ・ネットがCHT・ナガ・サラワクから先住民族の方たちを招聘し、「大地と共鳴する人々」のシンポジウムを開催しました。ナガの人が来るというので、私も何回か会議に参加し、当日のお手伝いもしました。下澤さん、トムさん、みどりさんほか、ジュマ・ネットの人たちに出会ったのはこのころでした。今から思うと、あれこれ無茶な提案をしたりして困らせたと思うのですが、いろんな人たちと知り合いになれた貴重な機会でした。

今から振り返ってみると、2003年ははじめて国連に参加したり、ジュマ・ネットのシンポのお手伝いをしたりと、わたしの現在のNGO活動にとっては転換の年だったのだなと思います。それからもう6年も経ってしまいましたcoldsweats01

 

さて、明日から、国連NY本部で開催される「先住民族問題常設フォーラム」に参加してきます。CHTや、インド北東部ほか、いろんな国の先住民族が集まる国連会議です。また会議の様子もブログで報告する予定です:-)

 

2009/05/07 Thursdayauthor: 副代表 木村真希子

ナガランドとの出会い

私が先住民族関係の活動を知った発端は、「ナガランド」との出会いです。

大学院に入りたての頃、父親が赴任していたインドの民族問題に興味を持ち、インターネットや本などで調べていました。そこで偶然、「ナガ」という人たちが現在のインド・ビルマ国境付近で独立運動を展開していることを知りました。

興味を持って、なかなか手に入りにくいナガランド関連の本を買って読んでみました。「ナガ」の人々が1947年、インドが独立する前に「私たちはインドとは違う」と言って独立宣言をしたこと、独立後のインド政府やイギリス政府、国連が認定しないなかでも住民投票を行ったこと、その後1963年にインド連邦内で州として自治を与えられたけれども、人々は独立を求めていることなどを知りました。

「私たちはインドとは違う民族なのだから、独立を」という当たり前の主張が受け入れられないのはなぜだろう?という素朴な疑問を持ちましたが、民族問題を考えるテキストの中に答えはありませんでした。あれこれ調べるうちに、国連人権委員会(当時)に先住民族の権利を考える機関が設置され、そこでナガの人々が独立要求や、人権侵害に関する報告を行っていることを知りました。国連の最下部にあるこの機関が唯一、国際的に、世界各地の先住民族の人たちが、自らの苦境について訴えることのできる機関でした。

先住民族に関する本を調べていくうち、日本からもアイヌ民族の人たちが国連先住民作業部会に参加し、権利の回復を訴えていることを知ります。それまで、「他の民族を併合して自国民だと言っているインドは何とひどい国家なのだろう」と思っていた私には、日本の中にも同じような問題があるというのは衝撃的でした。<つづく>

ズラケ村.JPG  

 ナガランドのコノマ村の風景