2015/02/27 Fridayauthor: JummaNet サイト管理者

【現地通信員ブログ】ランガマティの年末年始

みなさんこんにちは!
現地通信員としてこちらの様子をお届けします田中志歩です。
現在、静岡文化芸術大学を休学してチッタゴン丘陵地帯にある「寄宿舎学校モノゴール」で日本語ボランティアとして働いています。

みなさん、お久しぶりです。
ブログの更新が遅くなってしまってすいません。
2015年を迎えたチッタゴン丘陵地帯は昨年2014年から大きく悪い方向に変化する1年となってしまいました。
5月にこの地域に長期的に入ることになった時、こんな状況になるとは
少しも思っていませんでした。

初めてこの地域にかかわりだしたのが2年前
そのころは、平和協定が結ばれて、今も不安定な状況は続いているけれども
少しずつ平和になっていくだろうとそんなふうに思っていました。
しかし、そんな予想は大きく覆されていき
12月16日に起きたランガマティ県ナニアチョルの大規模襲撃事件をはじめとし
1月10日のランガマティでの医学専門学校の建設を巡っての先住民族と入植者との大規模な衝突が起き
私の知っているランガマティではどんどんなくなってきていると実感しました。
ランガマティ大規模襲撃.JPG
ランガマティ大規模襲撃

さらに、今月2月5日の新聞で、外国人の入域規制がさらに強まることを知らされました。
また、小さな子供へのレイプ事件などは日常化していて毎月何件の事件が起きているのだろうと
驚かされます。
外国人の私からしてみるとすべて大きな出来事。
今までも、年に何回かは必ず大きな事件が起きていたCHTですが、いつもは、遠い日本で事件について耳にしていました。今回大きな事件を近くで感じるのは始めてだった私。
日本にいるときに聞く事件よりも、現地で肌で感じる様々な出来事を目にし、耳にし
現地での出来事をその土地で聞くことは日本で聞く時よりも衝撃的であることを感じました。

すこし、1つずつの大きかった事件についてみていきたいと思います。
襲撃事件のあったナニアチョルはモノゴールから1時間半ほどの距離なのですが
その日はバングラデシュはビクトリーデイ。戦勝記念をみんな旗をもってお祝いしていました。
前日に、カプタイ地区でマルマ民族の女の子がレイプ殺害事件で亡くなったというニュースを聞いたばかりの私たちの耳にナニアチョルで襲撃事件があった。それも、大規模の。というニュースが飛び込んできました。
ちょうど、私は日本から来ていたお客さんを連れて、チャクマの王様が住んでいるおうちの隣にあるお寺にきていました。そこで、お坊さんたちから詳細を聞いたのですが
チャクマ民族の反応は様々で「また襲撃されたんだって」など、すこし遠いところの話をするような様子が見られたり
「私たちはどうしたらいいのだろうね」と、なんだかあきらめのような口調だったのが印象的でした。

モノゴールに帰ってからも、周辺に住んでいる村人たちも襲撃事件について騒いでいる人は少なく
みんな、その日の暮らしを当たり前のように行っていました。
所々で、「ナニアチョルが襲撃された」「家が焼かれたそうだ」ということを耳にし
それぞれがそれぞれに議論していましたが、どことなく自分のこととして語っている人は少ないことに驚きました。
私のほうが心配になって、今はどうしてるんだろうね。と尋ねると
政府が少し米とかくれるのかなあ。や、お寺の中でブルーシートで住んでると思う。
と、すごく心配しているというよりは日常の一部。そのような口調で教えてくれました。

その中でも、若者たちは次の日にはランガマティのメインタウンであるボノルパマーケットの近くや故郷を離れている学生たちはダッカやチッタゴンなど各地でデモを行っていることをFacebookや友達からの知らせで知りました。
いつも、若者の「CHTのために」という思いには感動させられるのですが
村の人全員の声ではないのかもしれないとある時から思うようになりました。
多くの高校生以上の男子は政治活動にのめりこみます。
私が見ていて時にびっくりさせられるような発言をすることもあります。
中には、争うしかないという人もいて、それ以外の道はないのかなあ?と聞いても
信じ切っている学生は、勉強と同じくらい戦うスキルもつけないと。と、言われるので
背筋がひやっとすることがよくあります。

若者と村人の間のギャップ。彼らの多くは言います。村の人は政治活動を知らない。勉強をしてくなかったからこのような時にどうしたらいいのかわからないと。
紛争後から17年。今少しずつではありますが都市で学ぶ学生も多くなってきました。
それに伴って、これからのCHTも変わってくるのだろうなあと感じさせられます。

また、私は一度大きなデモにランガマティで鉢合わせたのですが
その時はベンガル人入植者の行うデモでした。
ちょうど、県のオフィスに書類を提出しに行き、いつものように書類確認が終わるまで2階から外の様子を見ていたら、大きな音が近づいてきて瞬く間に県庁前を封鎖してしまいました。
男の人から女の人おばちゃんまでが座り込みのデモを開始しました。
最初、ベンガル人入植者のデモなんて、思いもよらず
なんだ?なんだ?何事かと思っていると
ナニアチョルの襲撃事件を巡ってのデモ活動が始まりました。
彼らの言い分は「私たちの土地!ベンガル人の土地!なんで私たちのパイナップルに被害を与えたんだ!?」と大きな声が。
県庁では、ベンガル人も先住民族も関係なく仕事をしています。
そんな中で、このようなデモ。正直、ショックでした。
職員たちも、慣れているのかどうなのか。自然と持ち場に戻っていき
お客さんである私たちは先住民族とベンガル人にわかれるという不思議な図になりました。
私たち日本人は自分から告白しないと先住民族に思われてしまうので私もびくびくしながら過ごしました。
オフィス前の門が封鎖され2時間ほどみんなで待ちぼうけ。
門があいた後も座り込みは続き、帰りのCNGに乗り込むまで何も起こりませんようにと願いながらモノゴールまで帰りました。
ベンガル人との対立.jpg
ベンガル人との対立

私は、今までずっと先住民族の人の暮らしの中に入っていました。
最初にバングラデシュに来たときから、ベンガル人の生活に触れることがなくずっと先住民族コミュニティーに所属していたので、入植者ベンガル人の気持ちが分かっていません。
彼らだって被害者なのです。土地があるといわれた場所には先住民族が暮らしていたのですから。
先住民族と入植者は今後もいがみ続けるのが正しいのでしょうか。
本来の原因にお互いが目を向けていけばわかるはずです。
怒りを向けねばならない先は、政府であり異なるコミュニティーではないこと
支配されているのはお互いであることを理解することが大事なのではないのかと考えさせられましたが、当事者同士ではそんな冷静な考えに及ぶことは難しいのだろうなあと。
時々、ベンガル人入植者の住んでいる村と先住民族のコミュニティーが隣同士になって暮らしている村に行きますがそこでは、入植者はチャクマ語が話せ、シドルという先住民族特有の魚ペーストの調味料を使っておかずを作っている人もいます。
いざこざが起こった際には彼らも対立するのでしょうか。

そして、1月10日から続いた医療専門学校の建設を巡っての先住民族グループと入植者の対立
私は体調を崩してこの時にはランガマティにはいなかったのですが、モノゴールのスタッフや、近所
の人々などと話を聞くことができました。
対立があった前日の1月9日金曜日は、ダッカでダッカ大学の学生を中心として医療専門学校の建設反対のデモが起きていました。
ダッカで学ぶたくさんの学生がダッカ大学付近でデモをしたことを友人らから電話で聞きました。
何か起こるのかなあと不安に思っていた次の日にモノゴールからの電話があったので
不安な気持ちで電話を取ったら悪い予感が見事に当たり
対立が終わるまで帰ってこない方がいいという連絡を受けました。
1か月もしない間に何でこんなに問題が起こるのだろうと信じられない気持ちでの電話。
街では、4人以上で出歩くことが禁止されベンガル人と先住民族の争いが激化していること
今は、外出禁止令も出ていてかつてないほどの規模でモノゴールの職員も家に帰れてないともこと。
そんな報告を受けてからは毎日遠くにいても現地が心配で心配で
モノゴールからかかってくる電話でみんなは大丈夫なのかを聞くことが精いっぱいでした。
対立が収まったころ、そろそろ帰っておいでという連絡を聞いたときは本当に安心しました。
帰って、大丈夫だった?とさまざまな人に質問すると
モノゴール周辺に住む人は、ランガパ二村は大丈夫だったよ。
少し離れた町から聞こえる銃の音や争ってる音で怖くってモノゴールまで逃げて行った。
という人。みんな、それぞれに感想を述べるのですが目立っていたのは
大したことなかった。と笑いながら怖かったとか、誰が一番怖がってたとかを
過去のことにして話している姿にびっくりしました。

ここは、なにかすこし摩擦が起きると大きな事件につながって
そして、それは住んでいる人にとって日常の中の1コマとして埋め込まれていくのだなあと
忘れられた紛争地というフレーズを身に染みてかんじました。
のどかな日常の中に潜む対立の影。
これからも、すぐに何か小さなきっかけで大きな争いになること。
CHTの問題の根深さを考えさせられました。
私たちはすぐに何ができるかといわれると、なにもないかもしれませんが
少しでも多くの人が関心を持つことそして、中の人がどうしたいのかをしっかり聞くことが大事なのではないでしょうか。
今後CHTへの入域には規制がさらに強まることとなりました。
もしかしたら、モノゴールでのこの1年間が終わったら私がこの土地に入ることはしばらくないのかもしれません。
何が本来の問題なのか、どこをどう抑えていけばいいのか
さらに多くのことを学びたいと思わされました。

現地通信員・田中志歩