2015/02/27 Fridayauthor: JummaNet サイト管理者

運営委員・青山のバングラデシュ再訪記

昨年12月、チッタゴン丘陵の先住民族、ジュマの村を訪れた。

この村を初めて訪問したのは、2004年2月。
当時、小さな寺子屋にお坊さんと3人の先生、アシスタントの若者、そして小学生の子どもたちが30人ほど。
そのうち、約半数の子どもたちは家が遠くて通学が困難なため、教室のそばの簡易宿舎で寝泊まりしながら勉強していた。
夜になると真っ暗な宿舎で、ひとつの布団に2-3人ずつ子どもたちが寄り添い、薄い毛布に包まれて眠りについていた。
たくさんの蛍が舞う畦道の向こう側では、大人たちが焚き火を囲んで暖をとり、何をするでもない静かな時間が流れていた。

子どもたちを見守る村の人たちの協力によって細々と成り立っていたこの寺子屋は、数年前に公立小学校となった。
乗合トラックで砂埃を巻き上げながら走っていた道は、今はアスファルトで舗装されており、月明かりとロウソク、ケロシンランプが頼りだった夜の暗闇も、電池式のLEDライトが多く使われるようになっていた。電球がある家も珍しくない。
一方で、屋外のかまどで牛糞燃料を使って料理する女性たちの姿や、川で身体や衣類を洗う風景は今も変わらない。 
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深い緑の山々に囲まれ、自然の中を子どもたちが駆け回り、ところどころにきれいな花が咲いているチッタゴン丘陵の村は、一見、平和で長閑。
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しかし、入植政策をめぐりバングラデシュ政府と先住民族との間で勃発した紛争に、終止符を打つこととなった「和平協定」が結ばれてから17年。
紛争がおわったはずの、このわずか17年の間にも、先住民族のいくつかの村が消え、たくさんの人々の笑顔が奪われてきた。


私がはじめてチッタゴン丘陵を訪れたとき、あるひとりのおじいさんと話をした。
入植者に村を襲撃されて家族を失ったそのおじいさんは、その苦しい経験を話してくれたあと、こう言った。

「...数年後ここ(チッタゴン丘陵)がどうなっているか誰もかわかならい。だけど日本に帰っても私たちのことを忘れないでほしい。ここに、私たちがいたということを日本の家族や友だちに伝えてほしい。」

そのおじいさんの、悲しみや憎しみとは違う、けれども諦めや外国人への期待でもない、ただ淡々とした口調がとても印象的だった。
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チッタゴン丘陵に何世紀も前からずっと住んできたジュマの人たちの土地や歴史、アイデンティティ、そして命までもが奪われていく現実。
そうした中で、子どもや女性たちが様々な暴力を受けていることも知り、心をぎゅーっとわし掴みされるような苦しい気持ちになった。
同時に、無関心ではいられなくなった瞬間だった。


ジュマ・ネット運営委員/青山亜紀