2015/01/21 Wednesdayauthor: JummaNet サイト管理者

モノゴール職員が見たランガマティ衝突事件

事務局の竹中です。
1/10、ランガマティでジュマの人たちとベンガル人との衝突事件が発生し、その後外出禁止令・集会禁止令が発令される事態となりました。30人以上がけがをしたと伝えられています。

事件が起きたのは、ジュマ・ネットが支援する寄宿舎学校「モノゴール」から少し離れたところでした。
幸い直接の被害はありませんでしたが、その夜モノゴールは大変な状況におかれることになりました。
モノゴールの職員でジュマ・ネットのカウンターパートでもあるアショクさんが、当日の様子をレポートしていますのでご紹介します。
突然事件がおきたとき、普通の人たちに何が起こるのか、そのときジュマの人は、ベンガル人はどうするのか。とても心に響きました。


「ランガマティでの暴力的衝突:混乱の中で」  2015/1/12
モノゴール業務執行取締役アショク・クマル・チャクマ
  原文はこちら
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アショク氏、オフィスにて

昨日、ランガマティのベドベディで起きた「ジュマとベンガル人との衝突」のあと私たちが経験したことを、どうお伝えしたらよいでしょう。
暴力的対衝突は午後6時ごろ発生しました。私たちのいるランガパニの村は、ベドベディから少し離れているにも関わらず、対立の空気に包まれていました。

業務時間が終わり、私がオフィスを出たのは6時8分でした。
私がモノゴールのメインゲートにさしかかった時、たくさんの人が「進め、進め、ベンガル人がくるぞ」と叫びながらランガパニの村からベドベディの方へ向かっていきました。
私はとっさに立ち止まりました。道に出るのは危ないと思ったのです。
そして何が起きているのかと、ベドベディにいる人に電話をしました。
彼は、「ベンガル人がトラブルを起こそうとしている、たくさん人が集まって抵抗している」と教えてくれました。
彼の言葉から、何か思いもかけないようなことが起こっていると感じました。
そしてバイクをオフィスに戻そうとしたとき、1台のバイクに続いて2人がモノゴールのゲートに駆け込んでくるのが見えました。
そのときゲートのあたりにいた人が、「モノゴール病院に患者が運び込まれたらしい」と教えてくれました。
それを聞いて、私はバイクを停めにオフィスに戻りました。

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モノゴールのメインゲート 敷地内から見たところ、画面奥が道路

オフィスのすぐ向かいがモノゴールの小さな病院です。
その病院の前に数人の人がいました。
患者は運び込まれベッドに横たえられていました。
住み込みで働いている看護師が私のところに来て、「どうしますか?かなり重症のようです。切りつけられていて、出血しています。」と声をひそめて言いました。

業務時間は既に過ぎている上、まだ休暇期間中のことで、医師もアシスタントもいません。
病院にはお休みムードが漂っていました。
重症の患者はベッドに横たわり、彼の頭やその下の枕、頬、Tシャツは血で濡れていました。
血は彼の頭の傷から流れ続けていました。
このけがをした男性を見て、私は頭が真っ白になってしまいました。
看護師に、何とか手を尽くしてくれと頼みました。
「こんな患者の処置をする設備はありません。病院に搬送すべきです。」と彼女は答えました。
どうやって病院に運べばいいのか!
ベドベディでは一触即発の状態になっていると聞きました。
ベドベディとアサンバスティの間の道は封鎖されているとも聞きました。
まったくひどい状況でした。

看護師はとても心配そうに患者を見ています。
私たちにはなすすべもありませんでした。せめて出血を止めなくては。
看護師に、電話で医師に助言を求めるよう指示しました。
アシスタントにも電話しようとしましたが、看護師によれば彼の電話はつい2,3日前に故障したばかりとのことでした。まったくなんてついてないんだろう!

看護師とお手伝いさん、それに高学年の生徒たちが協力して、作業療法室にあるストレッチャーに患者を乗せました。(実際のところ作業療法設備はないのですが...モノゴールの子どもたちのための簡単な医療設備があるだけで、症状が重い場合は一般の病院に送られています。)
お手伝いさんが傷口を圧迫し、看護師が消毒したティッシュやタオルを巻いていきました。
医師のアドバイスを受け、痛み止めなども処方しました。
看護師とお手伝いさんの献身的な努力には本当に感謝しています。

次は病院への搬送のための手助けを待たねばなりませんでした。
私の同僚たちは警察署、警察庁、他の政府機関やネットワークをたどってコンタクトをとろうとしました。
私自身も何度も警察署に電話をしました。
向こうで呼び出し音は鳴っていますが、誰も受話器をとってくれません。この火急のときに、まったく泣きっ面に蜂です!

私は患者から、彼の出身や親せきについての情報を聞き出そうと試みました。
彼によれば、彼の名前はタルン・ビカシュ・チャクマ、ベドベディの青少年育成事務所の近くに住んでおり、大工をしているそうです。
彼の兄はラオザンで警察官をしているということだったので、お兄さんの電話番号を聞いてすぐに電話をかけました。
お兄さんに弟の容体を伝え、ランガマティ警察署と警察庁に弟の緊急搬送を要請するよう頼みました。

事件について患者はこう言っていました。
「道を歩いていたら、テニスコート(今はモスクが建設されています)のところで、ベンガル人が数人立ちふさがってきました。彼らに身ぐるみはがされ、切り付けられました。頭を切られ、私は逃げ出しました。道の向こうからやってきたバイクの人ともう一人が私をモノゴールのミニ病院に連れてきてくれました。」

「チャクマ人男性がベンガル人たちに切りつけられた」―このニュースは瞬く間にベドベディの村に、そしてランガマティ中に広がりました。
ベドベディ村を助けるために、ランガパニからもたくさんの人が「進め、進め」と叫びながらベドベディに行進していきました。
事態はどんどん悪化し、激しい叫び声と銃声が聞こえました。

しばらくして、町に外出禁止令が出されたという放送がこえてきました。
誰も家から出ることはできません。
デモの声は徐々に小さくなっていきました。
でも私たちには、患者を病院に搬送できなかったらどうなってしまうんだろうという不安が残ったままでした。
看護師とお手伝いさんは今やこの救急処置の「担当医」でした。
出血は未だ止まらず、2人はとても不安そうにしていました。
包帯は血に濡れていく一方です。
出血多量・・・看護師は私のところに来ては「また血が出ていますよ、早く病院に搬送してください」と何度も言いました。

私たちは患者をランガマティ総合病院に送る手だてを模索していました。
どうやったら搬送できるだろう?
外出禁止令が出され、ベドベディ側もアサンバスティ側も道路は封鎖されています。
私たちは、あちこちの人やオフィス、本当にたくさんのところに掛け合いました。

フェイスブックを通して、モノゴールのミニ病院にけが人がかつぎこまれたというニュースはすぐに広まりました。
大勢の人が電話をくれて、何とか患者を助け出そうとしてくれました。
協力を申し出てくれた人全員にお礼を言いたいです。
中でも、ランガマティ・サダル病院のビノー・シェカ・チャクマ医師には、非常に困難な状況の中救急車を手配してくださって本当に感謝しています。
救急車は、警察と軍にエスコートされてやってきました。
午後9時25分頃、ようやく患者を病院へ送り出すことができました。
看護師、お手伝いさん、そして治安部隊の皆さま、本当にありがとう。
患者を見送って、深い安堵のため息がもれました。

****

この暴力的衝突が一般の人たちに与えた影響についてのお話をあと二つご紹介したいと思います。
「悪が為されるとき、それを一番よく知るのは被害者である。」という言葉の通りです。

<病気の赤ちゃん>
昨夜、私たちがモノゴール・ミニ病院で重症の患者と不安な一夜を過ごしていたとき、ランガパニ村から一人のお母さんがやってきました。
彼女の2、3歳くらいの娘は具合が悪そうで、ひたすら泣いていました。
もどしてしまったのを見て、お母さんはとても心配そうにしていました。
お母さんによれば、夕方赤ちゃんを病院に連れて行こうとしていたときにベドベディで衝突が起きたのだそうです。
そのため赤ちゃんを病院に連れて行くことはできませんでしたが、具合がどんどん悪くなってきたので、モノゴール・ミニ病院に連れてくることにしたということです。
看護師はお母さんにいくつか質問をすると、薬を赤ちゃんに与えました。
しばらくして、お母さんはほっとしてモノゴールから帰っていきました。

<夜明けに産気づいた妊婦さん>
外出禁止令が出ているため、昨夜は家に帰らずモノゴールに泊まりました。
ニッシャン(※モノゴールのスタッフ)と私は同じ部屋で寝ました。
午前3時半頃、ニッシャンの電話が鳴りました。
彼のお母さんが、ベドベディで産気づいた人を助けてほしいと言ってきたのです。
なんという状況でしょう!なんとしても妊婦さんを病院に送らなければなりません。
ニッシャンはすぐにランガマティのお医者さんやあちこちに電話をかけはじめました。

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左がアショク氏、右がニッシャン氏

深夜だったので、当然みんな寝ていました。
ラッキーなことに、昨夜けが人につきそってランガマティ総合病院に行ったモノゴールの同僚が2人、まだ病院にいました。
ニッシャンは2人に、救急車をまわしてくれるよう頼みました。
方々探し回ってなんとか1台つかまえることができましたが・・・でもどうやってベドベディに行ってもらおう?
運転手はベンガル人で、チャクマ人の村であるベドベディに行くのをこわがっていました。先住民族vsベンガル人・・・なんというジレンマ!
運転手は昨夜もチャクマの村には頑として入ろうとしませんでした。
ニッシャンは電話で、安全は保障するから何とか行ってくれないかと頼んでいました。
運転手はニッシャンを信頼したようでした。
ニッシャンはベドベディの誰かに、気象庁の事務所前で救急車を出迎えるよう頼んでいました。

陣痛の前では、ベンガル人もチャクマ人も関係ありません。
陣痛が始まったのなら、外出禁止令だって関係ないのです。
ホルタルも外出禁止令も陣痛を止めることはできません。
私は妊婦さんの痛みを想像しました。早く救急車が来てくれますように!

しばらくして、救急車のサイレンが聞こえてきました。
ベドベディの待ち合わせ場所に到着したようです。
そこから運転手はニッシャンに電話してきました。
運転手は妊婦さんを乗せ、病院に向かいました。
もう小さな天使は産まれたのかな・・・まだわかりませんが、妊婦さんが病院に運ばれたということにとても安心しました。
この件はニッシャンと彼のネットワークのおかげでなんとかなりましたが、もしニッシャンがいなかったらどうなっていたのでしょう?
ランガマティだけでなく、バングラデシュ全土で、妊婦さんは何十万人も何百万人もいるでしょう。
彼女たちは大丈夫なのでしょうか?
こんな緊急事態のとき、彼女たちはみんな救急車をつかまえられるのでしょうか?

最後に、私はこの救急車の運転手に感謝したいと思います。
彼は、人間の思いやりというのは民族に左右されるものではないということを証明してくれました。


※その後、赤ちゃんは無事産まれ、チャクマ語で「光と希望」を意味するジュニちゃんと名づけられたそうです。

抄訳・竹中