2010年9月 記事一覧
ミニカボチャ肉詰めレシピ♪
ミックスに入っているミニカボチャの肉詰めレシピを
ご紹介します
ミニカボチャ6~8個分
材料:
合挽きミンチ 300g
白ねぎ 1本
しょうが お好みで
にんにく お好みで
トマトケチャップ 大1
中濃ソース 大1
砂糖 大1
しょうゆ 大1
片栗粉 大2
調理:
① 白ねぎ・しょうが・にんにくをみじん切り
② すべての材料をよく混ぜる
③ ミニカボチャのわたと種をくり抜く
(少しレンジで温めると皮が柔らかくなります)
④ ②の材料をつめる
⑤ ラップをして、電子レンジで6分(機種によって調整要)でできあがり!
美味しそうですよね~!
私も、グローバルフェスタで買って試してみます!
また、カボチャ自体が美味しいので
シンプルにてんぷらなんてのもお薦めだそうです。
このレシピは、
カボチャをご購入頂いた大阪のcafe LIPIJA様から頂きました。
ありがとうございます!!
cafe LIPIJA様は
身体にやさしいスローフードがテーマなフェアトレード・カフェです。
メニューをみると身体にやさしいばかりか、どれも美味しそうです。
私、個人的には、東京でないのが残念です・・・。
イベントなどもよく開催されていらしゃいますので
大阪近郊にお住まいのみなさん、
大阪にいかれるみなさん、ぜひ1度cafe LIPIJAへ
そして、感想を私まで!
ジュマ・ネット事務局
金 瑛美
9/5 NGO祭りの様子
丸幸ビルのNGO祭りでは
たくさんの方がジュマ・ネットにも来てくださいました!

来場者に説明中のアドバイザリー委員の森本さん(中央)と
運営委員の早見さん(左端横顔)
みなさん、熱心に話を聞いて下さりました。

こんな感じでパンフレットを置いたり、書籍販売したり


ニーム石鹸の販売も行いました!
富良野のラベンダーの香りが人気でした。
現在、この石鹸は通信販売は行っていませんが
10月2,3日のグローバルフェスタでも販売しますので
お楽しみに♪
ご来場頂いたみなさま、ありがとうございました。
また、今回ご都合が悪くこれなかった方も
出張写真など、いつでも事務局で見れますのでお立ち寄り下さい★
ただ、ご来訪される場合には、
一人事務局なので、不在にしていることもありますので
事前にご連絡下さい。
ジュマ・ネット事務局
金 瑛美
ハジョン(Hajon)のこと(4)
ハジョンのこと、これで最後です。
チナマティ(China-Mati)の問題のことです。
今回Durgapur郡のBagaula地域に行ったとき、初めてチナマティ問題を知りました。
チナマティとは、バングラデシュで陶器(現地でChina:チナ=陶器)をつくるための白土のことです。特にDurgapurの国境沿いの土は、バングラデシュで最高の土ということで、何十年も前から、土地の採集が続いています。小高い丘の白土を人足を使って掘り出し、トラックや船で運ぶのですが、これらの作業は政府から公式の採集許可をとったベンガル人による小さな会社(請負人)が行っています。
採取場所が減ってきたこともあり、最近は丘に住んでいるハジョンのところにも会社が入り込んできて、家のすぐ脇の土地を深くえぐりとって採集をするようになってきています。そのため土砂が崩れ家が崩壊した場所、溝ができて家まど遠回りして行かざる得ない人、違う場所に住み変えた人などが続いています。
私が訪ねたとき、すでに業者が入り込んで、ハジョンの家の脇を深く掘っていました。「どうして勝手に掘るんだ」と尋ねても、「俺たちは雇われているだけだから」と黙々と作業と続けていました。近くに住むハジョンの人も、佇んで作業を見つめていました。こうした状況が数年前から続いているということです。
土採集会社は、賃金未払い問題を抱えているもの多く、会社側が労働者にまとまったローンを貸し付け利子をとるため、賃金だけでは返せない人も続出しているようです。そのためここで働いているHajonの人々はひどく搾取されているようです。
一度抗議デモを実施し(すいません時期は確認していませんが)、新聞等にも掲載されたようですが、政府や会社側の動きはあまりなかったようです。この問題は深刻で、以前ジュマ・ネットがフリバリ炭鉱の問題を扱いましたが、これに似た構造を感じました。
以上です。
平野部の問題にジュマ・ネットとして何ができるのかわかりません。
ただ、お世話になった方々、文化が押し殺されているハジョンの人々、チナマティ採取が理由で住む場所を奪われている人のことを考えると、やりきれない気持ちです。(写真は、ハジョンの家の脇の土を採取する業者たち)

ハジョン(Hajon)のこと(3)
ハジョンの続きです。
なぜこんなに人口が減ってしまったのでしょうか。
パキスタン時代に急激に人口が減ったのは、1964年に起きた、ベンガル人の襲撃事件だったそうです。
これはインドがアッサム地域に広がってきたベンガル人移住者を強制的にパキスタン側に追い返し、難民化したベンガル人がこのインド国境沿いにあふれ、政府は対応に苦慮していました。64年に小さな事件をきっかけにベンガル人のハジョン、ガロを狙った襲撃事件が発生、ハジョンらは大量にインド側に逃れました。多くのハジョンはインドから戻らず、彼らの土地の多くがベンガル人難民に分け与えられたということでした。
こうした事件は、71年、75年にも発生していますが、最近は減って、ほとんど起きていないそうです。(写真は、ハジョンコミュニティに向かう道です。すぐ向こう側がインドです。)

ハジョン(Hajon)のこと(2)
さて、前回の「ハジョン」の続きです。
わずかな時間ですが、彼らと接して強く感じたのは、「ハジョン意識の弱体化」「ベンガル化」です。
たとえばベンガル人に囲まれた地域では、子どもたちはHajonの言葉を話せず、ベンガル語を常用し、年配者が家の中だけでHajonの言葉を使っているとこがいくつかありました。そうでない地域でも、Hajon語の中にかなりのベンガル語が混じって使用されているようです。
また「Patin」という胸のあたりで巻いて着る女性の民族衣装も、糸が高いということでほとんど織られておらず、ほとんどの女性がサリーを常用しています。また頭の結い方も、これまでは後ろ左側に巻き込むように結っていたものが、ベンガル人女性と同じ髪型になってきています。お酒も近隣のベンガル人を気にしてあまり飲まないようにしているようです。
ヒンドゥー教の神々が、コミュニティによって異なるため宗教共通の催事がなく、Hajon共通のネットワークがあまり強化されていないようです。ただ、古くからおこなわれてきた収穫祭のような「Kamakka」と呼ばれるお祭りがあるようです。しかし、これらはこれぞれのコミュニティでバラバラに行われているようです。
土地の所有面積も少なく、非常に困窮しているのがわかりました。多くの人々が賃労働をしてしのいでいます。土地の喪失により、経済的にも大きな打撃を受けています。
最後に。どこで話しても感じるのが、人々の「自信のなさ」といった雰囲気です。自分たちの文化を自由に楽しんだり、意見を主張したり、行政府に働きかけて要望を伝えたりということに、人々の強いパワーを感じることができませんでした。(写真は、村のことを聞きにいったときに集まってくれたハジョンの人々です。子どもが一番多かったです)


