2009/09/08 Tuesdayauthor: Midori

バンドルボンのムロー民族を訪ねて(3)

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チンブックの山の中腹にある村、この村に向かって斜面を下ります。お天気なので良いのですが、雨が降ったらきっと怖くて降りれません。(滑って降りるはめになるかも)
今思うと、トタン屋根が多いのも避難してきて急いで作った家だからかも知れません。

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村の入り口ですね。

バンドルボンでは、どこも土地が少なく人々は生活が苦しいそうです。特にチンブックのエリアは、スアロクの軍の土地収用によって土地を追われて来た人が作った村があったり、軍が作ったニルギリ・リゾートのように元々住んでいたムロー民族を追い出して作ったリゾート地があったりします。そういう話を聞かずに、景色だけを眺めながら車を走らせていたら、ここは最高のリゾート地だと思うかも知れません。

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竹を運ぶお兄さん~。左端に、警官の銃口が写ってますね。外国人に対するセキュリティです。

土地を追われた村々がまた新たに焼畑を作ったり果樹園を作ったりするような土地にまた住み着けるとは限りません。各土地は慣習的にモウザやユニオンという単位でカルバリやヘッドマンが管理しており、土地には全て境界線があり、他の人々が使用している土地に侵入することは出来ません。結果、狭い狭い面積の土地を見つけて大勢で使用しなくてはなりません。

以前は、5~6年おきに休ませて使っていた焼畑地も、今は毎年使わねばならず、しかも化学肥料を使ってやらないといけないほど土地が痩せてしまいました。それでも人口が増えるのに、土地が痩せてしまい米の収穫量は年々減って行きます。以前だったら1人で食べられた食事の量を今は7人で分けて食べなければならないと村人が嘆いていました。

果樹園では、換金作物となるマンゴーやバナナ、ジャックフルーツなどの果物を植えます。しかし、遠隔地に住む人々の地元では安い値段しか付きません。バンドルボン・ショドル(街)のバザールに持って行けばもっと高い値段がつきますが、交通費・運搬費、街での滞在費を払わねばならずコストが高くつきます。さらにベンガル語が出来ない村人は街の市場を取り仕切るベンガル人商人と交鈔がうまく出来ません。ベンガル人のシンジケートに入れてもらうことも難しく、リスクが高く結果的に見合わないこと多々あります。

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ドキュメンタリー映画「コルノフリの涙」に出ていた女性に偶然会いました。映画観ましたか?と聞いたら、見ていないそうです。。。
話は飛びますが、現在この映画を作ったタンビール・モカメル監督が来日中で、10月24日(土)に監督をお呼びして上映会を行う予定です。まだ詳細が決まっていませんが、決まり次第皆様にご案内をお送りします。