2009/05/03 Sundayauthor: 共同代表 下澤嶽

なぜチッタゴン丘陵の問題に取り組んだか(2)

代表の下澤です。

1992年のロヒンギャ難民の現場で見たこと、その直後に発生した、ロガンの虐殺事件に冷淡だったNGOの反応などが、私がチッタゴン丘陵問題に関心をもつようになった最初のきっかけです。

しかし、実はそれ以前にも私は、モンゴロイド系の方々の村を暇あるたびに訪ねていました。たとえばモドゥプールのガロ、ラッシャヒのサンタル、シレットのモニプル、ジャマルプールのコーチ、チャンドラゴーナのマルマ、コックスバザールのラカイン、ダッカのビハリー・・・といろいろとマイノリティの人々との接触があったのです。1991年のサイクロン災害の活動の時は、近くのボロア仏教徒の村に入り、村の中にある仏像に触れて、感動したことがあります。

イスラム教徒ベンガル人の村にない、どこか落ち着いた空気、仏像、ろうそくの灯、どこか自己主張を抑えた独特の態度、豚肉、スパイスの違うすっぱい料理、日本人に似た少女の瞳、お酒の発酵する匂い。

うまく言えませんが、「郷愁」というか、家に戻ってきた、そんな感じを毎回感じました。ですから、そこで起きているひとつひとつは、自分の生まれた町で起きているような錯覚を覚えました。

私の中に今でも眠っているひとつの強い感性に、知られない弱者=マイノリティへの、変な郷愁があるのです。正義感以外の部分として、愛すべき人々へのそんな思いが強く宿ったからだと思います。

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                 バンドルボンの山を登る(写真はカンさん)