2009/04/27 Mondayauthor: 共同代表 下澤嶽

なぜチッタゴン丘陵の問題に取り組んだか

私が、なぜチッタゴン丘陵問題に取り組むようになったか。それを簡単にご紹介します。

私は1988年~1993年まで、シャプラニールという団体の、バングラデシュ駐在員をしておりました。1992年のことだと思いますが、ミャンマーから逃れてきたロヒンギャ難民がチッタゴンのテクナフ半島に30万人ほど発生し、その対応でこの地域にいったときのことでした。

当時のミャンマーからバングラデシュに逃れた難民は、ロヒンギャだけではなく、仏教難民もいましたが、バングラデシュ政府はイスラム教徒のロヒンギャ難民に対してのみ、支援を許可しました。多くのNGOはロヒンギャ難民の支援のために、コックスバザールに拠点を構え、ほとんどのホテルはNGOで埋まっているような状況でした。皆、自分たちの活動で必死でした。

しかし、徐々に、チッタゴン丘陵地域にも多くの難民がいることがわかっていましたが、バングラデシュ政府は紛争地域であることもあり、この地域での活動は一切認めませんでした。

そういった矛盾の中で、活動を展開しているとき、4月10日にカグラチュリ県のロガンで大量虐殺事件が発生しました。しかし、ロヒンギャ難民で忙しいNGOはどこも、その事件については触れることがありませんでした。私も後で、その事件を知り、非常にショックでした。大量の資金が流れ、自分たちの手柄集めで必死だったNGOが、100キロ先で起きている虐殺事件に声もあげることができなかった。NGOは何か・・・・そういった反省がこみ上げてきました。

人権に敏感な、そのことを一番の優先順位にするNGOが必要ではないか・・・そのためにはどういった準備をしなくてはいけないか・・・と思い、準備に入っていったのです。

バングラバス.jpg

シャプラニールの駐在員当時、ジャマルプールからバスで帰るところ