2016/01/30 Saturdayauthor: JummaNet サイト管理者

コルポナを想う

kalpana-chakma.jpgのサムネール画像

コルポナ・チャクマは20年前に軍人によって誘拐され、行方不明になっているジュマ女性活動家である。
いまだに真相がわからないままだが、チッタゴン丘陵のジュマの人々の真相究明の声は年々高まっている。毎年開かれる

追悼会と再調査の声がそれを物語っている。 コルポナは人々の中で今も生き続けている。

以下、事件の簡単な要約だ。

彼女は、丘陵女性連盟の事務局長で、1996年6月12日に、チッタゴン丘陵ランガマティ県バガイチャリ、ニュー・ラルヤゴナの自宅で軍人に誘拐された。 事件後、二つの報告が提出されており、一つは2010年にランガマティ警察によって提出され、もうひとつは2012年犯罪調査部によるものである。それら によるとコジョイチャリ軍キャンプのフェルドース・カイセル・カーン中尉と村自警団のヌルル・ホックとサレ・アハメッドに容疑をかけている。しかし報告 書はコルポナの生存に関する情報は一切なかったため、ランガマティの裁判官はこの報告書を受理しなかった。ランガマティ裁判所は2013年1月16日、ランガマティ警察署長のアメナ・ベグンに、ヌルルとサェに尋問をして再調査するよう依頼する。しかし、アメナも期日までに報告書を提出できなかった。
コルポナの家族やジュマ活動家によると、彼女はチッタゴン丘陵における軍の存在に対して反対し、チッタゴン丘陵の自治が必要だと考えていた。これが軍の標的になったのだと言う。
コルポナは、彼女が誘拐される1時間後に始る、1996年の総選挙に立候補

した丘陵人民会議のビジャイ・ケタン・チャクマの選挙活動をしていた。
国際・国内の人権活動団体の声に応えて、現地裁判所は1996年9月に調査委員会を組織した。容疑者のフェルドースを含む軍関係さ、警察、村自警団など、94人の関係者への調査と質問を行なった。しかし、

報告者一度も公開されることはなかった。
軍はコルポナの失踪と軍との関係はまったくないと否定し続けた。軍は実際にフェルドースとコルポナが駆け落ちしたという報告まで出していたが、証拠を提示することはできなかった。
しかし、軍はコルポナの情報提供者に5万タカの報奨金を発表した。

軍は1996年にはコルポナはパスポートをつかって海外に失踪したとも言っている。それを立証するために、バングラデシュ人権委員会という団体が1ヵ月後 記者会見までし、コルポナをインドのトリプラ州で目撃した、そして誘拐を演出していたとまで発表した。しかし、アガルタラ(トリプラ州の州都)を基盤に活 動する人道保護フォーラムはその内容には根拠がなく虚偽の調査であることをつきとめている。


先住民族活動家はこうした情報は人々を誤解させるとともに犯人追求を混乱させるとしている。アムネスティ、アクション・エイド、ブラスト、アイン・オ・サリッシュ・ケンドロ、

マヌシェール・ジョンノ基金は公正な調査のためのキャンペーンを行なっている。(下澤 嶽)