2011/04/21 Thursdayauthor: JummaNet サイト管理者

ラムガーとマニクチョリでのベンガル人入植者によるジュマ村落に対する襲撃事件

2011年4月21日PCJSS広報局
 
 
住居が全焼したラムガーとマニクチョリの6つの村のジュマ住民は現在も森の中で野宿を強いられている。

2011年4月18日にマニクチョリ郡行政官事務所からマニクチョリ郡内の被害者各世帯に米10キロとダール豆1キロが配布されたことが分かった。

2011年4月20日にマルマ開発協会(MUS)がジュマ被害者98世帯、ベンガル人入植者8世帯に救援物資を配布した。ジュマ被害者のための全ての救援物資は、被害者たちが自ら結成した救援物資配布委員会に手渡された。その委員会ではコンジュリ・マルマとシャトアイ・マルマが招集者と委員兼書記をそれぞれ務めている。MUSは米1トンと塩、干し海老ペースト、食器、衣類などを被害者に配布した。

治安軍とアワミ連盟指導者を含むベンガル人指導者はMUSが被害者に救援物資を配布するのを妨害しようとした。MUSが救援物資を積んでラムゴル郡ハフチョリ・ユニオンのションコラ村に向かって移動していた時に軍はカグラチョリ市のゼロ・マイル地点、マティランガ、そしてジャティア村で、その車列を止めた。MUSの救援チームの車両はカグラチョリ市に戻る時にもポタチョリ地区で身元不明の暴徒に石などを投げつけられた。

カグラチョリ請負業者福祉協会代表ロビ・ションコル・タルクダールが率いる別の救援チームは救援物資を配布することを許されなかった。

被害を受けた世帯:

六ヶ村で焼失したジュマ村人の家屋の総数は(二つの仏教寺院を含め)98戸であり、略奪されたジュマ店舗は4軒、負傷したジュマは20人、殺されたベンガル人入植者は4人であることが確認された。一方、多くのジュマは今も行方不明であり、ベンガル人入植者はこの事件で自分たちの8戸の家屋が焼失したと主張している。

焼失したジュマ村人の家屋の村別の内訳は:

1.ションコラ村 31戸 (ラムガー郡)
2. シュルドン村 36戸 (ラムガー郡)
3. レモロム村  5戸   (ラムガー郡)
4. トイコルマ村 9戸   (ラムガー郡)
5. ポタチョラ村 8戸    (ラムガー郡)
6. ケジャイ・カルバリ村 11戸 (マニクチョリ郡)

合計 100戸

(マニクチョリ・バザールで略奪され、荒らされたジュマ店舗数は4軒。)

ジュマ2名焼死

2011年4月17日の放火・襲撃事件でラムガー郡ハフチョリ・ユニオン、ションコラ村のトゥイチャイ・マルマの年老いた父親と幼い子供が焼死したと報告されている。被害者はレプルチャイ・マルマ(72才)とルイチャイ・マルマ(生後2ヶ月)だとうことが分かった。2011年4月20日にMUSが救援物資の配布のために訪問した際、焼けた家屋の灰の中から人骨が発見された。

当時、トゥイチャイ・マルマの妻は義父のレプルチャイと幼子を家に残して牛の世話をするために家を離れていた。その間にベンガル人入植者が家屋に放火し、犠牲者が焼死した。