2008/04/23 Wednesdayauthor: jummanet(n)

バングラデシュの先住民族ジュマに対する攻撃と国際的な行動の必要性

初出:2008.4.23
ACHR Weekly Review
アジア人権センター(ACHR) 2008年4月23日
「人生は我がものにあらず」:バングラデシュの先住民族ジュマに対する攻撃と国際的な行動の必要性

2008年4月20日、ニューヨークで国連先住民族問題常設フォーラムの第7会期が開かれようとしていた矢先に、バングラデシュのチッタゴン丘陵地帯(CHT)では、平野部から同地に違法に移住してきたベンガル人入植者数百名が先住民族ジュマの七つの村を襲撃した。2008年4月20日の午後9:30時から翌日の午前1:30時までの4時間、ランガマティ県バガイチョリ郡サジェク・ユニオンのナーサリー・パラ、バイバチョラ、プルボ・パラ、ナンガル・ムラ、レトカバ、シマナ・パラ、ゴンガラム・ムクという7つの村が攻撃を受けた。

2008年4月21日に同地を地元政府職員とともに訪問した4人のジャーナリストの報告によるとバガイハットからゴンガラムにかけての4キロ区間で少なくとも500戸の住居が全焼したと言う。先住民族数名が負傷し、何人かの女性が攻撃者にレイプされた。騒乱状況に関してさまざまな報告が入り続けている。

数百名の先住民族ジュマが住む場所を追われ、更なる攻撃を恐れて深い森の中に避難している。ランガマティ県評議会委員2名、ランガマティ県知事(DC)モハマド・ヌルル・アミン、同県警視アブドゥル・バテンが現場を訪問し、被害者に配布してもらう目的でバガイハット陸軍管区司令官サイード・イムティアズ中佐に10万タカ(1600米ドル)を手渡した。サジェク・ユニオン評議会の女性委員2名を含む被害者10名だけが救援金を受け取るためにバガイハット・バザールに出てきたが、残りの被害者は報復を恐れて来ることを拒んでいる。

2008年3月にサジェク・ユニオンのバガイハット、ゴンガラム、マッサロン地区で陸軍が平野部からやってきた新たな入植者を違法に先住民族ジュマの土地に入植させ始めたころから同地域では緊張が高まっていた。攻撃が始まろうとしているという噂を聞き、50~60人ほどのジュマがゴンガラム・ムク村に集まって、どうやって自分たちを防衛するかを話し合っていた。この情報がなぜか陸軍に漏れ、心配しないようにと村人に伝えるために兵士がやってきた。下士官ハルンの率いる兵士たちがジュマの男たちと会話している間に、ベンガル人入植者のグループが攻撃を開始した。

攻撃された人々は当初から大変不安定な状況にあった。この村々に住む先住民族の多くは竹の開花の影響ですでに飢えた状態にあり、深刻な人道的な危機に陥っていた。竹の開花に伴い、ネズミが大量発生して作物や貯蔵食品など食糧を食い荒らし、影響を受けた地域では深刻な食糧難が起こっていた。影響を受けている先住民族へのバングラデシュ政府から支援は無く、村が焼き払われて全てが破壊された。

ACHRは早くから警鐘を鳴らした

2008年1月25日付けの「バングラデシュ:チッタゴン丘陵で違法な入植を進めるために陸軍が仏教を攻撃する」(http://www.achrweb.org/Review/2008/203-08.html)と題するWeekly Reviewでアジア人権センターは、バングラデシュ陸軍が組織的に先住民族ジュマをその土地から強制退去させ、平野部から来た入植者を意図的に、そして違法な形でその土地に再定住させていることに焦点を当てた。

その前の「バングラデシュ:先住民族は一触即発の状態」(http://www.achrweb.org/Review/2007/182-07.htm)と題するWeekly Reviewでも、アジア人権センターは、いつ暴動が起こってもおかしくないほど緊張が高まっていることを報告した。2007年8月28日にバングラデシュの陸軍参謀長で実質的な国家元首であるモイーンUアハメッド将軍がチッタゴン丘陵地帯(CHT)のディギナラを訪問したことで何とか暴動が未然に防がれた。

緊急事態の発令以降、バングラデシュ陸軍の直接関与の下で平野部からの入植者の違法な入植が激しさを増している。バングラデシュ陸軍は1976年以来、チッタゴン丘陵での実質的な政府として機能してきた。1997年のCHT和平協定で陸軍駐屯地が引き上げられることになっていた。しかし、その後、どの政権も協定の条項を実施せずに来た。

国際的な行動の必要性

ジュマが居住する七つの村を全滅させ、意図的に放火、略奪、暴力、レイプの限りを尽くした今回の事件は、1985~86年に7万人以上の先住民族ジュマが国境を越えてインドに難民として逃れることを余儀なくさせた襲撃事件を髣髴とさせるものである。ドイツの人類学者、ウォルフガン・メイ氏の報告書「チッタゴン丘陵地帯でのジェノサイド」(IWGIA Document 51 / 1984)は、先住民族ジュマに対する粗暴で目に余る人権侵害に焦点を当てた。CHT委員会の1991年の報告書「人生は我がものにあらず」でも、これらの人権侵害の実態がさらに明らかにされた。ダグラス・サンダーズ教授率いるCHT委員会は、インド・バングラデシュ両政府の許可を得て先住民族ジュマの難民キャンプとチッタゴン丘陵地帯を訪問したのだった。

CHTで500戸以上の住居が全焼した今回の事件はバングラデシュ国内でほとんど報道されなかった。国際的に注目を集める可能性も低い。緊急事態の下、CHTでは先住民族ジュマは抗議できない状況に置かれている;これまでのところ、本件に対するバングラデシュ国内での抗議は、大学キャンパス内の控えめなものに限られている。今後、バングラデシュの公民権・人権擁護団体がどう対処するかが注目される。

非常事態が発令されてもされなくても、先住民族ジュマにとって大差は無い。CHTでは陸軍がすべてを牛耳っており、文民当局も陸軍に従属している。とはいえ、緊急事態が解除されれば、バングラデシュで切望されている政治的な自由が一定程度回復することも否めない。

2007年1月11日以来のバングラデシュにおける緊急事態発令に対する国連を含む国際社会の反応は憂慮に値する。市民的および政治的権利に関する国際規約の第4条に定める「国家存亡の脅威」をバングラデシュは何も抱えていないにもかかわらず、緊急事態が発令されたままとなっている。

国連先住民族問題常設フォーラム(PFII)もCHTでの7村焼失といった問題に対処できる見込みは少ない。これまでPFIIの年次会期報告書では常に勧告策定に重点が置かれ、500世帯の焼き討ちのような人権侵害は、国連の専門用語の下に埋没し、言及されてこなかった。

よって、ダッカにある欧州連合などの外交使節団・大使館はバングラデシュ市民社会組織と共に、被害状況を評価し、焼き出された人々の直近のニーズに対処するために、被災地を訪問すべきである。国際社会がこのような現地訪問を行わなければ、先住民族ジュマへの攻撃は激しさを増すばかりだろう。