2007年3月 記事一覧

初出:2007.03.31

デイリー・スター紙2007年3月31日

3月29日、バングラデシュ法的支援サービス信託(BLAST)はセミナーで、丘陵3県に早急に正式な裁判所を開設するようアピールした。従来から1900年CHT条例では、CHT3県で司法権を持つのは県知事(DC)だと定められていたが、訴訟の件数が県知事の処理能力を超えてしまい、CHTの行政裁判所からチッタゴン省裁判所に移された係争中の訴訟の数が約25,000件に膨れ上がっているという。結審まで長い年数がかかり、遥々チッタゴン市まで何度も通わなければならない貧しい裁判当事者たちは大変困窮苦しているとBLASTは訴えた。この状況に鑑み、政府は1900年CHT条例を改定し、丘陵3県にそれぞれ裁判所を設けて判事を任命すると官報で公布したが、未だに実施されていないという。BLASTでは、この決定が履行されていない理由の説明を求める申し立てを高等裁判所に提出しているが、まだ審理が行われていない。

初出:2007.03.08

暫定政権はCHT和平協定を実施する姿勢を印象付けるためか、最近になって軍キャンプの一部を引き上げていることが新聞で報道されている。暫定政権に移行してから16箇所の非常設の軍キャンプが撤収されたと新聞では報じられている。しかし、和平協定を調印したPCJSSや関連機関のCHT地域評議会には報告は行われていない。現地に確認した情報によれば、ランガマティ県カウカリ軍のカシュカリ陸軍キャンプとモクシュドティラ陸軍キャンプ、カグラチョリ県バガイチョリ郡のカグラチョリ陸軍キャンプが撤収されたことが分かった。一方、バガイチョリ郡のハザラチョラ・キャンプとカラリャチョリ・キャンプも撤収されたが、兵士たちは同じバガイチョリ郡に新しく建てられたバイボンチョラ・キャンプに移転しただけである。その他、ランガマティ県ボルコル郡から8つのBDR(国境警備軍)キャンプが撤収されたことが確認された。ただし、和平協定ではBDRキャンプは対象外となっており、協定実施と直接には関係ない。歓迎すべき動きだが、関係機関との調整が望まれている(CHT News 2007年3月8日)。

また、11月17日に地域評議会議長ショントゥ・ラルマ氏が暫定政権CHT省顧問、ハサン・マシュード・チョウドゥリー氏と会談した際、チョウドゥリー氏は、和平協定実施の一環として、近い将来、園芸普及センター、綿産業開発担当官事務所、家庭福祉監督・研修所(ランガマティ)、プロジェクト担当官(中等教育)事務所、初等教育訓練所(ランガマティ)、看護学校(ランガマティ)、県教育担当官事務所および職業訓練所(ランガマティ)という8つの政府機関を県評議会の管轄下に置き、権限を委譲すると口約束した。(訳注:2007年1月に暫定内閣が総辞職し、新しい暫定内閣に交代したため、この約束の行方が不透明となっている。)(ニュース・トゥデー紙、2006年11月17日)。

初出:2007.03.06

(デイリー・スター紙2007年3月6日)

去年10月までCHT開発局長・カグラチョリ県選出議員(BNP)を勤めた入植者圧力団体「平等権運動(SOA)」の指導者ワドゥッド・ブイヤン氏が2007年2月4日に暫定政権に汚職、土地収奪、「保護料」取立人の幇助などの嫌疑で逮捕された。取調べの結果、同氏が職権を使って莫大な富を蓄積していたことが分かった。2001年の選挙前、彼は200万タカの自己資産を選挙管理委員会に申告していたが、2007年総選挙に立候補する際に1000万タカの資産を選挙管理委員会に申告し、当局の注意を引いた。同氏夫人が提出した資料によると銀行預金2100万タカ、カグラチョリで250万タカ相当の土地、ダッカとカグラチョリで1700万タカ相当の住居、900万タカ相当(合計)の自動車8台、580万タカ相当の家具、現金1000万タカを含め資産5000万タカに上ることが認められた。取調べの結果、動産・不動産を合わせた資産額が少なくとも1億5千万タカ(約3億円)あることが判明した。ブイヤン氏は「保護料」の取立てを行うBNP系の青年組織を大勢従え、開発事業で入札の操作も行っていたと疑われており、捜査が進んでいる。

初出:2007.03.05

デイリー・スター・マガジン2007年3月5日

タンガイル県モドゥプールでのエコパーク建設に反対してきたガロ(マンディ)民族リーダー、チョレス・リッチル氏は2007年3月18日、マイメンシンで結婚式に出席して帰宅する途中、カリバリ・バザールで他の3人のガロ男性と共に軍に逮捕された。その夜、彼の遺体が郡保健所で発見された。警察は、チョレス氏が警察から逃げようとして気絶して倒れたと説明したが、異体は傷だらけで、激しい拷問を受けていたことは明白だ。一緒に逮捕された仲間のプロタップ・ジャンビル氏、トゥヒン氏、ピレン氏も軍に拷問を受け、プロタップ氏は重傷を負ってマイメンシン医大付属病院に入院させられた。