2006/03/01 Wednesdayauthor: jummanet(n)

土地収奪に抗議する道路封鎖で不当逮捕。軍が裁判所に介入

報告:トム・エスキルセン

平和ミッション、道路封鎖に遭遇
2月にCHTを訪問したジュマ・ネットの「平和ミッション」は、衝撃的な出来事を目撃することとなった。2月13日の夕方、モハルチョリのプロジェクト視察からカグラチョリ町に戻る道中で、道路封鎖を行うジュマの村人100人ほどに取り囲まれた。「今、ベンガル人が自分たちの土地に家を建設している。現場を見に来てほしい。軍は彼らを止めるどころか、我々が入れないよう行く手を塞いでいる!」と訴えられた。老若男女総出で道を遮る村人たちは、真剣な眼差しでマイクロバスに乗った私たちを取り囲み、興奮した口調で訴えた。日没も近づいており、現場に駆けつけるのは危険と判断した。「翌日、県知事と会うので、そのときに問題を訴えて見る」と説明し、なんとか通してもらった。
カグラチョリ町の南にあるガマリダラ村、ビジタラ村の周辺では、去年からベンガル人入植者がジュマの土地に勝手に住居を建設し始めていた。集団村が手狭となったため、入植した当時に政府から約束されていた土地を手に入れようとしたのだ。軍の警護の下、すでに50戸近くの家が不法に建設されていた。軍の車両で建設資材が運び込まれ、気づかれないよう、一夜の内に一気に住居が建てられていったという。
土地収奪に抗議するために、地元ジュマ知識人からなるカグラチョリ県市民社会委員会とジュマ民衆フォーラムの呼びかけで、すでに2月6日に1日の道路封鎖と県知事への陳情が行われていた。改善が見られなかったため、住民は2月12日から再び無期限の道路封鎖に突入していた。カグラチョリ町からランガマティ町に向かう幹線道路で民間車両が通行するのを「人の鎖」で止めていた。(軍の車は止めることができず、通行し続けていた)。
80年代、政府は平野部から貧しいベンガル人を連れてきて、軍駐屯地に隣接した集団村に住まわせ、食糧を配給してきたが、土地権利証書を与え、将来は広い土地で農業ができると期待を植えつけていた。証書は、どこそこに何エーカーを与えると書いてあるだけで、境界線は明確に定めていない。その後、集団村では人口が増え、窮屈・劣悪な状態となってきたので、約束の土地に住みたいとの要求が高まっていた。
政府が無所有地と称して入植者に分け与えた土地は、ジュマの人々が先祖代々、焼畑などを営んだ共有地である。ジュマの名義で登記されている土地も含まれる。新住居建設は、土地譲渡にヘッドマン(村の長)の許可を要するCHT条例にも違反している。近くのブッダ・シシュ・ゴル(仏陀の子供の家)という孤児院も訪ねたが、その8エーカーの登記した土地も今や1エーカーしか残っておらず、周りには入植者の新しい家が所狭しと建設されている。一年前に訪問したときとは様子が激変していた。

県知事は言い訳ばかり
翌14日、当初からの予定通り、スマナランカール和尚と一緒に県知事を訪問した。「軍上層部で決めたこと。自分はどうすることもできない。地域評議会や土地委員会に言ってほしい。入植者も狭い集団村の生活に耐え切れず、住む場所が必要だ」と県知事は言い逃ればかり。後で聞いたことだが、県知事の前任者が、こうして不法に建てられた住居の撤去を命じたところ、すぐに別地域に転属になったという。
その後、我々一行はダッカを経て日本に戻ったが、続々と不穏なニュースが飛び込んできた。

軍が撤去を口約束
2月15日には市民社会委員会とPCJSSのリーダーが県知事や地元与党リーダーと会合を持ったが、物別れに終わり、道路封鎖が続けられた。
道路封鎖が7日目を迎えた2月18日、地域評議会事務所で、地域評議会議員、PCJSSと市民社会委員会のリーダーがカグラチョリとモハルチョリの陸軍司令官と会合を持った。「土地委員会が土地の所有権を確定するまでは、ジュマもベンガル人も係争地に入らないこと」を条件に「住居の建設を止めさせ、新しく建てられた住居を撤去する」との口約束を取り付けた。ジュマ団体はプレス・リリースで合意を報道機関に知らせた。

不当逮捕、軍が裁判所に介入!
しかし、約束は空しいものとなった。入植者が居座り続け、住居が撤去されなかったため、住民は再び3月6日からの無期限のゼネストを呼びかけ、その準備を進めていた。その矢先、3月4日深夜11時ごろ、ビジタラ地区の陸軍司令官、バシル少佐率いる兵士たちがビジタラ村と近くのゴム園に侵入し、ゼネストを組織しようとしていたコモラ・ロンジョン・チャクマさん(45歳)、プリティ・ジボン・チャクマさん(30歳)、アウン・キャ・マルマさん(30歳)、カラ・マルマさん(33歳)、バンシ・チャクマさん、そしてシュシル・カンティ・チャクマさん(48歳)に暴力を振るった上で6名を逮捕した。
翌3月5日、6人は裁判所で司法手続きを受けた。午後3時ごろ、開廷中にジャヒド大尉率いる兵士たちが突然、裁判所に侵入し、シュシル・カンティ・チャクマさんとコモラ・ロンジョン・チャクマさんを外に連れ出した。兵士は自分たちが持ってきた銃を二人に持たせ、その様子を写真に撮ってから再び警察に引き渡した。地元ジャーナリストや弁護士も現場を目撃した。ジュマたちは、銃器不法所持の嫌疑で起訴され、身柄を拘束されている。カグラチョリ県弁護士会は同日、軍による司法へのあからさまな介入を非難するプレス・リリースを出し、PCJSSも3月6日に国際アピールを出した。

大規模デモで負傷者
その後もカグラチョリ県では張り詰めた状況が続いている。3月16日には、軍による抑圧と土地収奪に抗議するため、UPDFの関連組織である民主青年フォーラムがジュマ帰還難民福祉協会などの賛同を得て1万5千人規模(主催者発表)の大集会とデモ行進を行った。座り込みを行う目的で県庁に向かっていたところ、デモ隊は午後3時半ごろ警察隊に棍棒で襲われ、催涙弾やゴム銃弾を浴びせられた。多くの負傷者が出たほか、数名が逮捕され、もしくは行方不明となっている。シュコモイ・チャクマさんが重症を負い、ほか1名と共にカグラチョリ病院に入院している。

日本での対応
ジュマ・ネットでは、現地弁護士会からの要請を受けて、先住民族の10年市民連絡会、ジュマ協力基金と連名で、今回の土地収奪・不当逮捕・軍の司法への介入について3月13日にカレダ・ジア首相とCHT担当省副大臣宛に英文で抗議文を送った。今も不穏な状況は続いており、引き続き状況を見守っている。しかし、今回の一連の事件は丘陵地帯で繰り返されている土地収奪の一断片に過ぎない。場当たり的な対応を超えて、土地収奪の全体像、仕組みを把握する調査を行っていく必要がある。その方法・可能性を現地と探っているところである。

(出典:デイリー・スター紙、プロトム・アロ紙、カグラチョリ県弁護士会プレス・リリース、PCJSSプレス・リリース、UPDFプレス・リリースなど)