2004/09/24 Fridayauthor: jummanet(n)

バングラデシュ軍による殺人と宗教迫害

 2004年7月29日、午後1時半ごろ、ランガマティ県カプタイ郡ムスリム・パラに近いプクル・パル村でモン・モン・マルマ(別名ウッジョル・ダーシュ)がカプタイ旅団の配下のインランド駐屯地の兵士の一団に射殺された。インランド駐屯地の少佐が率いる兵士の一団と数百人のベンガル人入植者が「暴力団の捜索」という名目でカプタイ郡チットマラン地区の住民を襲撃した。軍と入植者は突如としてジュマ民族とベンガル人永住者を追いかけはじめ、やがて軍が彼らに発砲し、モン・モン・マルマ(ヒンドゥー教から改宗した仏教徒)が撃たれて即死した。その後、軍と入植者はボロ・パラ村を襲い、ウモン・マルマさんの家を包囲してから家の中の貴重品類を破壊した。次に軍と入植者は仏教の聖地であるチットマラン仏教寺院を攻撃した。彼らは寺院を包囲し、土足で入り込んだ。兵士は住職のチンダ・オワイシュ師に嫌がらせをし、住職が宗教迫害に抗議するのをよそにアプルー・マルマとパイ・ウ・コイ・マルマという二人の孤児(6年生と7年生)を縛り上げた。そしてチットマラン・ユニオン評議会の議長トワイ・チン・マルマを逮捕すると大尉が脅した。入植者たちは軍の見ている前でチットマラン・カムルク林区の立ち木を意図的に破壊し、軍はその責任をジュマやベンガル人永住者になすりつけた。
  木材商人と地元森林局の間で支払いに関する揉め事がおこっていたことが事件の背景にあった。森林局が攻撃を行うよう軍と入植者をけしかけていた。一方、軍は住民が先に発砲したという根も葉もないデマを流した。現在、ジュマとベンガル人永住者は、再び攻撃されるのではと恐怖の中で暮らしている。PCJSSは事件に関わった軍と入植者を処罰し、被害者に十分な補償を行うよう政府に要求した。

情報源:PCJSS広報部