2013/10/23 Wednesdayauthor: JummaNet サイト管理者

紛争被害児童・生徒への奨学金支援 

20年以上紛争が続くチッタゴン丘陵地帯では多くの子ども達がその被害を受けて来ました。 特に直接的に襲撃事件の被害を受け、親を亡くしたり、本人も傷を負った子供は勉学を続けることが困難となっています。そのことが被害者をさらに弱い立場へ と追い込み、立ち直ることを難しくさせています。

ジュマ・ネットでは2007年から主にマハルチャリ襲撃事件で直接被害を受けた厳しい立場にある3名の生徒へ奨学金支援を始めました。

2008年度は、2007年度から奨学金支援を継続している3名と、新たに支援を決定した
8名を加えて、合計11名へ 奨学金支援を行いました。

2010年からは、新たに15名、2011年からは1名の子どもへの支援を追加し、
2013年10月時点で、計18名への奨学金支援を行っています。

子どもたちの多くは、モノゴールと呼ばれる先住民族児童のための寄宿舎学校に
住み込み、勉強をしています。

    ***子どもたちの様子2013年10月現在)***

2007年度からの奨学生>

ニデッション・キシャ:当時24歳(大学2年生) 

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2003年8月のマハルチャリ襲撃事件で 父親を殺害され本人も左腕を銃剣でさされる被害を受け、母一人息子一人となりました。事件当時は16歳で、家は焼き討ちにあった後にUNDPの支援で建て 直されました。ジュマ・ネットからの奨学金支援は、2007年から始まり、2年が過ぎました。2007年にHSC試験(上級中等教育終了証)に合格し、大 学入学試験を経て無事に大学へ進学してカグラチャリ県マハルチャリ郡の実家を出て、大学のあるチッタゴン市で他の学生達と共同生活をしながら大学に通って います。現在社会学部2年生です。たまに小さな子ども達の家庭教師をやって学費や生活費の足しにしているそうです。

1 年前は大学で勉強を継続できるか分からない経済状況もあったためか、進路についても「実家に帰って農業をやって暮らす」と言っていましたが、現在は、大学 の成績も良いようで「大学卒業後はマスターに進み勉強を続け、その後はNGOに就職したいです。頑張って勉強しますので、どうか今後もご支援を続けてくだ さいますようお願いします。」と初めて明確に将来の希望を語り、成長を感じさせました。


2010年度からの奨学生>

ディプ・チャクマ:(12歳、5年生)、
リク・チャクマ:(10歳、4年生)兄弟


2008年4月に起こったサジェク襲撃事件の被害者です。家が焼かれてもその村を離れずに暮らしていたことによってベンガル人入植者から恨みを買い、更に2008年8月にサジェク襲撃事件に関してCHT委員会の国際調査団に情報を提供したとして父親(ラドゥモニ・チャクマ氏)が入植者によって惨殺されました。子どもがまだ小さく、働き手を失い家族を養えない母親の訴えもあり、また殺害後に遺族に対して何の補償もなかったことからジュマ・ネットとして子ども達への奨学金支援を決めました。上がお兄さんのディプ君、右は弟のリク君。
Rikku Chakma.jpg
2011年1月からモノゴールの寄宿舎で生活しています。
一番上のお兄さんが時々様子を見にきてくれるそう。
お母さんは遠くに住んでいるのでなかなか会えないけれど、
夏休みなどに帰省して家族が集まるのが楽しみ。




アオジ・チャクマ12歳、6年生)
チッコドン・チャクマ(9歳、3年生)兄妹

2010年2月のバガイチョリ襲撃事件で父親が負傷し、重度の障害を負いました。家の再建や収入の問題から、2011年1月からモノゴールで勉強しています。
姉のアオジさんの将来の夢は医者になること。弟のチットゴン君はベンガル語の授業が好きで、クリケットも好き。

・・・アオジさんからのメッセージ・・・
皆さまが私の教育費用を全額ご負担くださったと聞き、
両親がとてもよろこんでおります。(中略)皆さまのご期待に
応え、毎年試験に合格できるよう、どうか祝福してください。
私はとても幸せです。両親もとても元気です。


リトン・チャクマ(6年生)、シリカ・チャクマ(10歳、4年生)兄弟

2010年2月のバガイチョリ襲撃事件で父親が軍人に銃殺され、家も焼かれました。
その日、リトン君の一家は状況が呑み込めないまま、何も持たずに 家から駆け出し、近くの森に逃げ込みました。森の中には、何人ものジュマの家族が逃げ隠れていて、「ベンガル人と軍人が襲ってきた」「誰かが殺された」 「家が焼かれている」と口ぐちに叫んでいました。少し離れた親戚の家にかくまってもらっていましたが、父親は違う方向に逃げ、戻ってくることは ありませんでした。
事件から3年半が経った今、リトン君は、「人を殺した人は、必ず地獄にいく。僕はそれを信じる。そして僕にこれまで多くの人が助けてくれたように、僕も人のためにできることをしなくてはならない。だから勉強するんだ。」と語ってくれました。


(共同代表の下澤と一緒に)

上記のほかにも、モノゴールで一生懸命勉強に励んでいる子どもが大勢います。
子どもたちが平和な環境で、勉強を続け、将来の夢を持つ。
そんな当たり前の幸せを、守り続けたいと心から願います。


       ****奨学金支援を卒業した生徒たち***

クキ・チャクマ:19歳(SSC試験)

 2003年8月のマハルチャリ襲撃事件で は家を焼き討ちされ、本人と姉も暴行を受けました。事件当時は14歳でした。父親はなく、村で母と2人暮らしをしています。2007年から奨学金支援を受 けていますが、2007年2008年と2年連続してSSC試験(中等教育終了証)に合格することが出来ませんでした。本人は進学を希望し、家庭教師をつけ て勉強をしてきたと言っていますが、村で暮らしているために彼らの管理をしていた現地NGOのPBMも十分な管理やアドバイスが難しかったようですし、彼 女もPBMにあまり頻繁には訪れなかったようです。2009年度の奨学金支給に関しては見合わせて様子をみることを決めました。

 

ニムニ・チャクマ:20歳(HSC試験)

 ニムニの父親は1992年ロガン虐殺事件で殺された一人です。当時彼女はまだ赤ん坊でした。母親は再婚し、父親は平野部に出稼ぎに出ています。ニムニは長らくPBM に寄宿して家事や小さな子ども達の世話をしながら勉強を続けて来ましたが、2007年はHSC試験(上級中等教育終了証)に合格することは出来ませんでし た。2008年も試験を目指して勉強してきたものの、残念ながら不合格でした。この間、PBMは様々な問題を抱え、もともと孤児院事業は経営が厳しかった こともあり、寄宿していた150名ほどの子ども達を養うことが出来ずに、家に帰らせています。ニムニもPBMを出てカグラチャリの親戚の家で小さい子ども の世話をしながら、女子学校に通って勉強を続けています。本人が進学を目指して勉強を続けているのであれば応援したい気持ちはありますが、クキと同様に 2009年度の奨学金支給に関しては1度見合わせ、様子を見ることになりました。

 

2008年度からの奨学生>

ルメ・ムロー:15歳(10年生)、アセンズ・ムロー:12歳(7年生)、デワイ・シドニー・ジョイ・ムロー:6歳(2年生)の3人兄弟

軍によるムロー民族の土地収用への反対運動のリーダーだった父親(ランライ・ムロー氏)が20072月に不当逮捕され、酷い拷問を受け心臓病を患いました。20082月にようやく釈放されましたが莫大な裁判費用と医療費と借金で生活も苦しく、子どもの教育費が捻出できない状況で、ジュマ・ネットとして3人の子どもの奨学金支援を行いました。

 

チャンドラ・トリプラ:17歳(SSC試験)、ショントゥア・トリプラ:15歳(10年生)の2人兄弟

トリプラ民族の人権活動家でリーダーだった父親(シャクティバド・トリプラ氏)は2007年に当局より逮捕命令が出され、逃亡生活を続けていました。家族も軍や当局のいやがらせを受けました。20091月に父親が逮捕されましたが、幸運にも翌月2月に釈放されました。生活が苦しくジュマ・ネットとして子どもへの奨学金支援を行いました。姉のチャンドラは不運にもSSC試験の直前に父親が逮捕され、家族の面会もさせてもらえず悲しい状況の中で試験を受けることになりました。