2010/01/15 Friday
招聘事業
■2009年度
2009年度は、2009年8月10日~19日の日程で第3回訪問を果たしたばかりの、チッタゴン丘陵委員会の共同代表であるスルタナ・カマル女史と、不当逮捕され、ジュマ・ネットでも署名キャンペーンを展開したランライ・ムロー氏の2名を招聘しました。
国際社会でも、未だに注目を集めることが少ないアジアの民族紛争のひとつであるバングラデシュ、チッタゴン丘陵の問題を、広範囲な市民社会に伝え、また、チッタゴン丘陵委員会の成果を政策決定者やマスコミに伝え、国際世論を高めることで、草の根からの平和構築を促進し、これまで多くの事を成し遂げてきた招聘者の人生を振り返り、彼らのライフヒストリーからの学びの場となりました。
2009年9月10日~9月20日のスケジュールで、東京・神奈川・大阪を廻り、講演会や交流会、勉強会などを行い、約300名近い人が参加してくれました。
【招聘者のプロフィール】
● Sultana Kamal(スルタナ・カマル)
1950年バングラデシュ生まれ。Ain o Salishの常務理事、またの人権活動家であり、政治活動家でもある。父はKamal Uddin Ahmed、母はSufia Kamalで両方とも社会活動家、作家、詩人であった。Azimpur女子高校で高校卒業、Holy Cross カレッジで短大を卒業し、その後ダッカ大学で修士号を取得。彼女は最初音楽学校の教師になり、その後タバコ会社を経て、1976年にシレットのカディムナガールの国際ボランティアサービスに入る。またオランダでも、女性と開発のテーマで修士号を修めた。2008年度の選挙管理内閣の大統領であったIajuddin Ahmedの主席アドバイザーでもあった。また2008年からは、チッタゴン丘陵委員会の共同代表も努めている。
●Ranglai Mro (ランライ・ムロー)
チッタゴン丘陵地帯に住む11の先住民族うちのひとつの4番目の人口のムロー民族のリーダー。分散したムロー集落をまとめ、教育や平和な社会作りに取り組む。人口の少ないムロー民族の頼りの綱として、先住民族とベンガル人両方の票により、バンドルボン・ショドル郡シュアロク・ユニオンの評議会議長に3回選ばれた。1995年には全国でも有数の優れた評議会議長として賞も受賞。
土地収容が続くバンドルボン県で、2006年12月に陸軍が土地を手に入れようとしたとき、ランライ氏はそれに強く抗議したため、軍と警察の合同部隊によって2007年2月に武器違法所持の嫌疑で逮捕。電気ショックなどのひどい拷問を受け、心筋梗塞となり病院に運ばれる。入院中も四六時中、憲法で禁止されているのにも関わらず手枷・足枷をつけられ、看守に監視されていた。2008年6月にジュマ・ネットではバングラデシュ政府宛にランライ氏の保釈と人道的配慮を求める手紙を出し、10月にはアムネスティー・インターナショナルやサバイバル・インターナショナルが緊急行動をとった。ジュマ・ネットでは、11月からランライ氏を支援する署名キャンペーンを展開し、1月下旬にバングラデシュ政府に提出した。
弁護士の尽力で2009年1月7日にダッカ高裁が健康上の理由で保釈命令を出したが、保釈命令がダッカの刑務所当局に届くまで再び手錠でベットに繋がれていた。1月26日にようやく解放。
【来日スケジュール】
2009年度は、2009年8月10日~19日の日程で第3回訪問を果たしたばかりの、チッタゴン丘陵委員会の共同代表であるスルタナ・カマル女史と、不当逮捕され、ジュマ・ネットでも署名キャンペーンを展開したランライ・ムロー氏の2名を招聘しました。
国際社会でも、未だに注目を集めることが少ないアジアの民族紛争のひとつであるバングラデシュ、チッタゴン丘陵の問題を、広範囲な市民社会に伝え、また、チッタゴン丘陵委員会の成果を政策決定者やマスコミに伝え、国際世論を高めることで、草の根からの平和構築を促進し、これまで多くの事を成し遂げてきた招聘者の人生を振り返り、彼らのライフヒストリーからの学びの場となりました。
2009年9月10日~9月20日のスケジュールで、東京・神奈川・大阪を廻り、講演会や交流会、勉強会などを行い、約300名近い人が参加してくれました。
【招聘者のプロフィール】
● Sultana Kamal(スルタナ・カマル)
1950年バングラデシュ生まれ。Ain o Salishの常務理事、またの人権活動家であり、政治活動家でもある。父はKamal Uddin Ahmed、母はSufia Kamalで両方とも社会活動家、作家、詩人であった。Azimpur女子高校で高校卒業、Holy Cross カレッジで短大を卒業し、その後ダッカ大学で修士号を取得。彼女は最初音楽学校の教師になり、その後タバコ会社を経て、1976年にシレットのカディムナガールの国際ボランティアサービスに入る。またオランダでも、女性と開発のテーマで修士号を修めた。2008年度の選挙管理内閣の大統領であったIajuddin Ahmedの主席アドバイザーでもあった。また2008年からは、チッタゴン丘陵委員会の共同代表も努めている。
●Ranglai Mro (ランライ・ムロー)
チッタゴン丘陵地帯に住む11の先住民族うちのひとつの4番目の人口のムロー民族のリーダー。分散したムロー集落をまとめ、教育や平和な社会作りに取り組む。人口の少ないムロー民族の頼りの綱として、先住民族とベンガル人両方の票により、バンドルボン・ショドル郡シュアロク・ユニオンの評議会議長に3回選ばれた。1995年には全国でも有数の優れた評議会議長として賞も受賞。
土地収容が続くバンドルボン県で、2006年12月に陸軍が土地を手に入れようとしたとき、ランライ氏はそれに強く抗議したため、軍と警察の合同部隊によって2007年2月に武器違法所持の嫌疑で逮捕。電気ショックなどのひどい拷問を受け、心筋梗塞となり病院に運ばれる。入院中も四六時中、憲法で禁止されているのにも関わらず手枷・足枷をつけられ、看守に監視されていた。2008年6月にジュマ・ネットではバングラデシュ政府宛にランライ氏の保釈と人道的配慮を求める手紙を出し、10月にはアムネスティー・インターナショナルやサバイバル・インターナショナルが緊急行動をとった。ジュマ・ネットでは、11月からランライ氏を支援する署名キャンペーンを展開し、1月下旬にバングラデシュ政府に提出した。
弁護士の尽力で2009年1月7日にダッカ高裁が健康上の理由で保釈命令を出したが、保釈命令がダッカの刑務所当局に届くまで再び手錠でベットに繋がれていた。1月26日にようやく解放。
【来日スケジュール】
日にち |
プログラム |
9月11日(金) |
外務省南西アジア課、国別開発協力第2課、人権人道課訪問 |
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仏教NGOネットワークで勉強会 |
9月12日(土) |
シンポジウム「和平協定で平和が本当につくれるか」(立教大学) |
9月13日(日) |
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ジュマ・ネット関係者拡大勉強会 |
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メディア「Actio」インタビュー |
9月14日(月) |
WE21ジャパン海老名でWE講座 |
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JICA南アジア部南アジア第5課訪問 |
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トヨタ財団訪問 |
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在日ジュマの人々と夕飯 |
9月15日(火) |
WE21ジャパン共催講演会(かながわ県民センター) |
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在日ジュマの人々と交流 |
9月16日(水) |
スルタナ・カマル女史帰国 |
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WE21ジャパン共催講演会(神奈川県大和市) |
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全国友の会中央部バングラデシュ勉強会 |
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会員企画(コーヒー専門店ボナール) |
9月17日(木) |
高橋千秋参議院議員訪問(日本バングラデシュ友好議員連盟メンバー) |
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東京YWCAお茶会(勉強会) |
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アムネスティインターナショナル日本と共催講演会(JICA地球ひろば) |
9月18日(金) |
大阪友の会訪問 |
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9月19日(土) |
アーユス関西共催講演会(清風寺) |
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アーユス関西共催講演会(瑞龍寺) |
9月20日(日) |
ランライ・ムロー氏帰国 |
外務省の方と情報共有・意見交換
仏教NGOネットワークにて勉強会
仏教NGOネットワークにて勉強会
在日のジュマの人達が2人に会いに来ました
大阪友の会訪問
お好み焼きにも挑戦しました。
※こちらからも、招聘時の写真が見られます。
http://www.jummanet.org/dblog/2009/09/post-23.html
http://www.jummanet.org/dblog/2009/09/2-4.html
大阪友の会訪問
お好み焼きにも挑戦しました。
※こちらからも、招聘時の写真が見られます。
http://www.jummanet.org/dblog/2009/09/post-23.html
http://www.jummanet.org/dblog/2009/09/2-4.html